第49回 偶然の帝国の支配者
脇英世
2009/4/21
1987年、ミッチェル・カーツマンは時代の変化に敏感に反応して、自分の書いたMRPプログラムをクライアント/サーバ用に書き直すべきだと感じた。ここでクライアント/サーバといっているのはミッチェル・カーツマンも認めているように後知恵で、タイムシェアリングシステム形態から専用ミニコンを持つ形態でのMRPプログラムはどうあるべきかを考えたのである。
そこでミッチェル・カーツマンはMRPプログラムをクライアント/サーバ用に書き直すための開発ツールを探し始めた。その過程でミッチェル・カーツマンはカリネットの前研究開発主任であったディビッド・リトワックを雇った。こうして、MRPプログラムをクライアント/サーバ用に書き直す一方で、データベース開発ツールの世界にかかわることになる。
1991年6月、コンピュータ・ソリューションは、ディビッド・リトワックが書き上げたパワービルダーを発表する。この成功を見て1992年、ミッチェル・カーツマンはコンピュータ・ソリューションの製造業向けMRPプログラム部門を切り離し、売却してしまう。
コンピュータ・ソリューションは開発システムのパワービルダー1本に賭けることになったのである。このエピソードで分かるように、変わり身の早さと決断力がミッチェル・カーツマンのビジネスの特徴である。
1993年、コンピュータ・ソリューションは株式公開を機にパワーソフトと社名を変更する。
1994年11月、パワーソフトはサイベースに9億4000万ドルで買収された。サイベースは1984年にマーク・ホフマンとボブ・エプスタインによって設立された会社で、オラクルに次ぐ業界第2位のデータベース会社である。サイベースは1988年マイクロソフトとOS/2用のSQLサーバの開発で提携した。マイクロソフトのSQLサーバの原型は、サイベースが作った。皮肉にもサイベースは自分の作った製品と戦わざるを得なくなっている。
1995年、サイベースはパワーソフトの買収にお金をかけ過ぎたうえに、主力製品のSQLサーバ10にバグが続出し、さらにオラクルとインフォミックスの猛攻を受け、赤字を出して大きく揺らいだ。1996年7月、サイベースの創立者で社長のマーク・ホフマンは辞職して会長となり、思いもかけずミッチェル・カーツマンが社長になった。ミッチェル・カーツマンは、このために「偶然の帝国の支配者」といわれることがある。しかし、ミッチェル・カーツマンの戦術は手堅かった。
ミッチェル・カーツマンによれば、サイベースの失敗は、オラクルをまねて、インタラクティブテレビやマルチメディア開発ツールなどの市場に手を広げ過ぎたことにある。そこでミッチェル・カーツマンは、これらの市場から撤退し、戦線を大幅に縮小した。この戦線縮小の結果、サイベースは持ち直している。
ミッチェル・カーツマンはさらにネットワーク・コンピュータを提唱するオラクルとの差を強調している。シンクライアントは悪くはないが1つの回答にすぎず、PCの役割を否定し過ぎているという。これも堅実で正しい戦略だと思う。
「ディスクジョッキー上がりの」という修飾句がミッチェル・カーツマンの名前にかぶせられることが多い。しかし、ミッチ・ケイパーの例を引くまでもなく、パソコンの業界にはディスクジョッキー上がりの人が多いのである。しかも大物が多い。ミッチェル・カーツマンはプログラマとしては一流ではないかもしれないが、経営者としては一流である。特にサイベースの戦線を縮小して経営を再建しつつある手腕は大したものである。またよく勉強もしている。偶然の帝国の支配者といういい方をされることがあるが、より適切には帝国の偶然の支配者である。したたかさは並外れたものがあり、決して偶然ではないように思う。
■補足
ミッチェル・カーツマンは1998年サイベースの会長を降り、NCI社の新社長兼最高経営責任者になった。サイベースの経営悪化の責任を取らされたものと思われる。
1998年ミッチェル・カーツマンは議会の証言でマイクロソフトを激しく攻撃し、話題になった。NCI社の正式名称はネットワーク・コンピュータ・インコーポレイテッドであり、オラクルのラリー・エリソンのネットワーク・コンピュータの理想を現実化するものであった。しかし、ミッチェル・カーツマンはサイベース時代、ラリー・エリソンのオラクルと熾烈な競争を繰り広げた前歴があり、2人の仲は良好とはいえなかった。
ミッチェル・カーツマンは、NCI社をリベレート社と社名変更し、ネットワーク・コンピュータを捨て、双方向TV分野への進出を目指した。双方向テレビ分野でミッチェル・カーツマンのリベレート社は、マイクロソフトと激しく衝突することになり、ミッチェル・カーツマンのマイクロソフト批判は激しさを増した。
2002年4月、ミッチェル・カーツマンはマイクロソフトに対する独占禁止法訴訟の証人としてコロンビア地裁で証言した。その証言記録がマイクロソフトによって公開されているが、実に膨大なものである。
これを読むと、ミッチェル・カーツマンはマイクロソフトの双方向テレビ部門を買収しようとしてマイクロソフトに働き掛けたことがあり、そのときの電子メールが証拠に挙げられた。状況の不利さを悟ったミッチェル・カーツマンはマイクロソフト批判を引っ込めつつあるように思われる。
本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。 |
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