第51回 原子力潜水艦からソフトウェアハウスへ
脇英世
2009/4/23
■ 猛烈な買収戦略
海軍大学院で鬼才ゲアリー・キルドールの指導を受けることになったゴードン・ユーバンクスは、PL/Iを使ってコードコンパイラであるEBASICを書いた。ゴードン・ユーバンクスは海軍在籍中にコンパイラ・システムズ社を創業し、CBASICとC80を売り出した。CBASICはゴードン・ユーバンクスのEBASICをもとにしていた。ゲアリー・キルドールはCBASICを高く評価し、ゴードン・ユーバンクスのコンパイラ・システムズ社を1981年夏に買収した。
ゴードン・ユーバンクスはデジタル・リサーチのコマーシャル・システム部門担当副社長に就任し、システムソフトウェア製品の開発とマーケティングを担当した。
しかし、ゲアリー・キルドールはそこそこ成功しており、それ以上もうけることにあまり興味がなった。そのためゲアリー・キルドール率いるデジタル・リサーチの商売は生ぬるかった。その生ぬるさをゴードン・ユーバンクスは嫌った。
1983年デジタル・リサーチの経営方針に飽き足らなくなったゴードン・ユーバンクスは、デジタル・リサーチを辞めてC&Eソフトウェアを創業した。この会社はゴードン・ユーバンクスとスタンフォードビジネススクールの教授デニス・コールマンが共同で創業した。
1984年ゴードン・ユーバンクスはシマンテックを買収すると、C&Eの社名をシマンテックに変えてしまった。ゴードン・ユーバンクス率いるシマンテックには、プレデターというあだ名がある。『プレデター』という題名の映画があったが、プレデターとは捕食動物という意味で、シマンテックが次々にほかの会社を買収してはのみ込んでいくためにこのあだ名が付いた。
さて、プレデターならぬシマンテックの猛烈な買収戦略によって買収された会社を挙げてみよう。
- 1987年 リビング・ビデオテキスト、シンクテクノロジーズ
- 1990年 ピーター・ノートン・コンピューティング
- 1991年 DMA(ダイナミック・マイクロプロセッサ・アソシエイツ)、レオナルド・デベロップメント・グループ、ゾーテック・グループ
- 1992年 サータス・インターナショナル・グループ、マルチスコープ・グループ、シマンテックUK、ホワイトウォーター・グループ
- 1993年 コンタクト・ソフトウェア・インターナショナル、ディストリビュータ・プロ&ネットデストリビュータ・プロ、REI、Fifthジェネレーション・システム
- 1994年 セントラル・ポイント・ソフトウェア、インテック
- 1995年 デルリーナ
- 1996年 ホワイト・パイン・ソフトウェア
実に猛烈に買収戦略を展開したものだが、20社にも上る買収を繰り返してもシマンテックの従業員数は二千数百人程度にとどまった。買収しても不良採算部門の不要な人員の切り捨てを断行したからである。
シマンテック最大の買収はカナダのトロントに本拠を置くデルリーナの買収であり、これは1995年に行われている。デルリーナはモデムソフトなどの通信ソフトで有名な会社であった。
1995年のデルリーナの買収以降はシマンテックの買収戦略は沈静化している。むしろ1996年以降は自社の不要部門の売却を盛んに行っている。
買収額は、デルリーナを除いてはピーター・ノートン・コンピューティング、セントラル・ポイント・ソフトウェア、Fifthジェネレーション・システム、コンタクト・ソフトウェア・インターナショナルの順である。ノートンがやはり大きい。
シマンテックの主力製品は、
- ノートンユーティリティ(旧ピーター・ノートン・コンピューティングの製品)
- ACT! (旧コンタクト・ソフトウェア・インターナショナルの製品)
- WinFaxPro(旧デルリーナの製品)
- pcANYWHERE(旧DMAの製品)
というように買収された会社の製品であったものが多い。それがプレデターと呼ばれる原因である。取り込みはうまいが製品が多岐にわたりすぎて焦点がぼけているという批判もある。
シマンテックは1987年にシンクテクノロジーズを買収している。この会社はマサチューセッツ州ベッドフォードにあった小さな会社で、マッキントッシュ用のシンクパスカル開発ツールを得意としていた。
1992年ごろ、アップルがパワーPCを採用したパワーマッキントッシュへ移行しようとしていたとき、アップルは開発者用のクロスプラットフォームフレームワークを必要としていた。この開発者用クロスプラットフォームフレームワークの開発を、アドビ、アルダスに加えてシマンテックも行っていた。アップルはシマンテックを選択し、共同で開発者用クロスプラットフォームフレームワークの開発に従事した。
また、1993年ごろシマンテックはパワーマッキントッシュ用の開発ツール、レインボーの計画を持っていた。このようにシマンテックはマッキントッシュ市場に対しては接触を怠らなかった。
しかし、ゴードン・ユーバンクス率いるシマンテックにとって、マッキントッシュが重要であったのは1990年ごろまでであり、その後ウィンドウズの勢力伸長によって、ゴードン・ユーバンクスはマイクロソフトへの傾斜を強めていく。最も有名なエピソードは、1995年8月のウィンドウズ95の出荷に際したものであって、ゴードン・ユーバンクスは、ウィンドウズ95の出荷遅延はパソコン産業に破壊的な影響を及ぼすと司法省を批判した。
ゴードン・ユーバンクスはしたたかであり、マイクロソフトを支援するのは、マイクロソフトのウィンドウズの方が「獅子の分け前」が大きいという現実的契機に基づいている。シマンテックが今後も発展していけるかどうかはマイクロソフトとの協調関係にかかっている。
本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。 |
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