第51回 原子力潜水艦からソフトウェアハウスへ
脇英世
2009/4/23
本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部) |
本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。 |
ゴードン・ユーバンクス(Gordon E. Eubanks)――
元シマンテック社長兼CEO
ゴードン・ユーバンクスはシマンテックの社長でCEOであった(*1)。黄色い箱の、ノートンユーティリティを出している会社がシマンテックだといえば分かってもらえるだろう。ノートンアンインストール、ノートンクラッシュガード、pcANYWHERE、Java関連製品などもある。シマンテックのホームページを見るとユーティリティソフトが中心だが、通信ソフトやさらには言語にまで手を広げていると感じられるかもしれない。
(*1)1999年4月、ゴードン・ユーバンクスはオブリックス社の社長兼最高経営責任者に就任した。シマンテックにいたのは1984年から1999年の15年間であった。 |
ゴードン・ユーバンクスがシマンテックの経営に携わって15年になるが、ゴードン・ユーバンクスはシマンテックの創業者ではない。シマンテックはもともと1982年、ゲアリー・ヘンドリックスによって創業され、1984年、ゴードン・ユーバンクスらの会社に売却された。
さてゴードン・ユーバンクスは1946年11月7日生まれで、1968年オクラホマ州立大学の電気工学科を卒業した。ベトナム戦争が激化していく中で、ゴードン・ユーバンクスは海軍に徴兵された。1970年から1979年にかけては、米海軍士官として原子力潜水艦に乗り組んでいた。この間、カリフォルニア州モンタレーの海軍大学院のコンピュータ科学科で修士号を取得した。ゴードン・ユーバンクスの修士論文の指導教官は鬼才ゲアリー・キルドールであった。
■ ゲアリー・キルドールとデジタル・リサーチ
ゲアリー・キルドールは1942年ワシントン州シアトルで生まれた。ワシントン州立大学のコンピュータ科学科を卒業し、さらに修士号、博士号を取った。ゲアリー・キルドールもベトナム戦争で海軍に徴兵され、海軍大学院で教鞭を執ることになった。
インテルのコンサルタントを務めていたゲアリー・キルドールは、1974年にCP/Mというインテル8080とZ80用のOSを書いた。このCP/MというOSを売るために、ゲアリー・キルドールはインターギャラクティック・デジタル・リサーチという会社を創業した。会社名にしては、この名前は長すぎるので、後にデジタル・リサーチと短縮した。マイクロコンピュータ用のOSがほかに存在しなかったので、デジタル・リサーチのCP/Mはそこそこに売れた。
ゲアリー・キルドールはCP/Mでもうけたお金で自動車と飛行機の操縦にのめり込み始めた。
こんななか、1980年にIBMがパソコン業界参入を決めた。マイクロソフトにBASICを中心とする言語プログラムを書いてもらうためIBMの担当者はビル・ゲイツを訪問した。「IBMはOSも必要としている」とビル・ゲイツにもちかけると、ビル・ゲイツはゲアリー・キルドールを訪ねるよう助言したという。しかし、IBMがデジタル・リサーチに行ってゲアリー・キルドールに面会を求めると、ゲアリー・キルドールは飛行機で遊んでいて不在であった。そこで妻のドロシー・キルドールが応対した。ドロシー・キルドールは話し合いの前にIBMがサインを求めた機密保持誓約書にサインしなかったので、IBMとデジタル・リサーチの話し合いはまったく進まなかった。IBMの担当者はゲアリー・キルドールに失望して帰るしかなかった。
そこで、それまでBASICを中心とする言語メーカーでしかなかったマイクロソフトは、一転IBMに対してインテル8086用のOS開発を提案した。IBMはこの提案を受け入れた。
ところで、当時シアトルにあったシアトル・コンピュータ・プロダクツのティム・パターソンがCP/Mを参考にi8086用のQDOSを開発していた。マイクロソフトは直ちにQDOSを5万ドルで買い求め、これをもとにMS-DOSを開発した。
デジタル・リサーチはさまざまな変遷を経て、1991年ノベルに買収された。キルドールは1994年52歳で急死した。ある晩、頭に受けた傷が致命傷であった。酒のうえのけんかだったらしいといわれている。実にあっけない死に方だった。
本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。 |
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