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IT業界の開拓者たち

第54回 UNIXとCを作った男

脇英世
2009/4/28

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 ケン・トンプソンは、UNIXというOSを作るだけでは満足せず、機種依存性が少なく互換性の高いプログラミング言語を作り出そうとした。彼は、アルゴリズムの正確な記述に適したALGOL60という言語の系列を引くCPLをさらに単純化したBCPLに目を付けた。BCPLをさらに徹底的に切り詰め、できた言語をB言語と名付けた。1970年のことである。続いてデニス・リッチーが登場する。デニス・リッチーはB言語の良い点だけを取り出し、データ構造の考えを入れ、B言語にさらに磨きをかけた。これがC言語である。

 C言語を手にしたケン・トンプソンとデニス・リッチーは野心的な実験に取り掛かった。それまでOSは高速で記憶領域を食わないアセンブリ言語で書かれるのが常識であった。ところがケン・トンプソンとデニス・リッチーはPDP-11用のUNIXをC言語で書こうとした。この試みは成功し、しかも2カ月で完成した。さらにC言語で書いたUNIXの性能はアセンブリ言語で書いた場合に比べ、それほど落ちなかったといわれている。このことはOSはアセンブリ言語でしか書けないという当時の常識を打ち破ったことになる。またC言語はプログラマの考えを非常に明確に記述できるシステム記述言語であることが証明された。

 高級言語で書ければ、UNIXは移植性も高い。UNIXの移植はIBMシステム/370の場合も成功した。さらにPDP-11と最もかけ離れたアーキテクチャを持つといわれるインターデータ8/32というコンピュータの場合でもうまくいった。こうしてUNIXはハードウェアを選ばない移植性の高いOSという評価が高まった。

 そうではあってもUNIXの前にはイバラの道が控えていた。当初は「AT&Tベル研究所内で使用するワープロ用OSである」という風にカムフラージュして、予算を獲得し、研究を継続させた。初期のUNIXやC言語の本に文字列処理の例題が多いのは、UNIXがワープロ用OSとカムフラージュしていたためだろう。これらの例題を見る限り、頭でっかちで武骨なワープロしかできなかったのではないだろうかと思う。

 UNIX第1版はPDP-7、PDP-9用で、UNIX第2版はPDP-11/20用、UNIX第3版はPDP-11/34/40/45/60/70用、UNIX第4版はPDP-11/70用である。UNIXがゲームやワープロなどの趣味的な色彩を払拭し、OSとしての完成度を見せ始めるのは、UNIX第5版を経て1976年のUNIX第6版あたりになってからである。

 UNIXはAT&Tベル研究所の私的な研究にとどまった。AT&Tはあまりに巨大な企業であり、司法省による独占禁止法訴訟によってコンピュータ産業に参入することを禁止されていた。UNIXは成功しても商品として売り出すことができなかったのである。しかし、1978年のUNIX第7版から非営利目的に限って、テープの実費に近い価格で大学や研究機関に提供された。UNIXはC言語で書かれ、中身のよく分かるソースコードのままで提供されたので、大学や研究機関で広く利用されることになった。

 西海岸のUCバークレーにUNIXが広まるきっかけとなったのは、1973年にケン・トンプソンが行ったパーデュ大学におけるOSの原理に関するシンポジウムの講演だといわれる。1974年1月、UNIX第7版のテープが届き、大学院生のキース・スタンディフォードがUNIXをインストールした。当初ハードディスクがクラッシュするなどの問題があって、数千キロ離れた東海岸のAT&Tベル研究所からケン・トンプソンが電話線経由でリモート・デバッグに協力したという。

 1975年、ケン・トンプソンが1年間のサバティカル休暇を取って、UCバークレーに客員教授としてやって来た。どうしてUCバークレーを選んだのだろうと思っていたが、UCバークレーがケン・トンプソンの母校と分かると合点がいく。ケン・トンプソンはおみやげにUNIX第6版を持ってきた。そこでUCバークレーが新規に購入したPDP-11/70はUNIX第6版を搭載した。ここでケン・トンプソンは大学院生のビル・ジョイに出会う。UNIXはBSD版UNIXの神様といわれるビル・ジョイに受け継がれるのである。

 UNIXは1983年のAT&Tの分割後、UNIXシステムVとしてAT&Tの主力製品になる。肥大しすぎたこと、AT&Tの官僚性と排他性とオープン性の欠如によって、首座をビル・ジョイが参加したサン・マイクロシステムズのSUN OSに奪われることとなる。

 ケン・トンプソンは、その後チェスをするコンピュータBelleの開発や、Plan9やインフェルノというOSの開発や、パススター・アクセス・サーバの開発に従事している。Linuxには厳しい目を向けている。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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