第56回 MINIXを作った男
脇英世
2009/5/1
一方、これらとは逆にマルチスレッドファイルシステムのように、先進的な機能の採用も見られる。当初、Linuxは単独では動かず、MINIXの助けを借りて初めて動くOSだった。1992年1月に入ってから、やっとMINIXなしで動作するようになった。
1992年1月29日、タネンバウムはcomp.os.minixというニュースグループに「Linuxは時代遅れだ」という投稿をしている。この投稿では、いかにも尊大で高飛車な態度をとりすぎた。自分は大学教授で、OSの領域における本職の研究者であり、MINIXは片手間でやっている趣味の仕事だといった。
タネンバウムはLinuxを2つの視点から批判した。第1に、Linuxがモノリシックシステムであることを責め、MINIXのようにマイクロカーネルベースであるべきだといった。Linuxのやり方は1970年代への退歩で、1991年にモノリシックシステムを書くことは本当に貧しい考えだと述べている。第2に、移植性について言及して、特定のアーキテクチャに向けてOSを設計するのは大きな間違いであり、Linuxがi386アーキテクチャに強く依存しているのは感心しないといった。批判の内容に加えて、論調そのものに多少高慢な感じが出ていた。
これに激怒したリーナス・トーバルズは、ネチケットも品位もかなぐり捨てて反論した。MINIXのコードの良い部分は、ブルース・エバンスによって書かれたという暴露もあえて行った。タネンバウムはMINIXを趣味でやっているというが、それで金もうけをしているではないかというのが第1の反論であり、第2の反論として、タネンバウムの本職は大学教授で研究者というが、それにしてはMINIXがお粗末なOSだと批判した。売り言葉に買い言葉で、タネンバウムに負けず劣らず、リーナスの方も口が悪く下品な言葉使いをする。
タネンバウムは反論して、いまモノリシックカーネルを設計するのは根本的に間違いで、自分の学生ならば進級できないだろうと攻撃し、POSIX規格が手元にないのに、POSIX準拠のシステムが書けるとはおかしいではないかと嘲笑した。また、i386用にだけ新しいOSを書くならば、今学期の成績は「不可」だと挑発した。
これによって、論争は一挙に過激化した。お互いに意見のすれ違いがある。この論争にはUNIXの開発者ケン・トンプソンも参加して、全世界的なものになった。激しい議論の後、MINIXは教育用に機能を意図的に限定したOSで、Linuxはユーザーが希望する本物のOSを目指しているため、考え方が違うというあたりの結論が出て収束した。この論争でタネンバウムが損をしたのは、Linuxを激しく攻撃したことで、かえってLinuxの独自性を明確にしてしまったことである。また、MINIXの機能拡張を拒否したことで、メジャーとなりうるOSの地位を放棄し、将来的なOSの王座をLinuxに譲ってしまったことも悔やまれる点だろう。
リーナス・トーバルズが『それがぼくには楽しかったから』(小学館プロダクション刊)の中で、「それにしても、アンドリューはどうしてあんなに怒ったのだろう?」と述べているとおりである。リーナスは続いてその理由を分析しているが、おおむね正しい。
このインターネット上で行われた論争の全文については、「タネンバウム−トーバルズ対談」として、オライリー・ジャパンから販売されている『オープンソースソフトウェア:彼らはいかにしてビジネススタンダードになったのか』に収録されているのをはじめ、複数のWebサイトから内容を知ることができる。
タネンバウムは現実に疎い象牙の塔の理論家として攻撃されたが、自身は理論家でなく実際家であると思っている。理論家と呼ばれることは屈辱であるとまでいっている。たしかに理論家は、実際にC言語で一万数千行に及ぶMINIXのソースコードを書いたりしない。
実際、コンピュータ実技の腕は相当立つらしい。世界で自分だけが使用しているというemacs的なエディタを使いこなして、troffで写植プログラムを動かしている。LaTexは嫌いで絶対にtroffがよく、WYSIWYGは嫌いでコマンド・インターフェイスが好きだといっている。実に好き嫌いが激しい。
専門書以外に、タネンバウムは料理や旅行の本も書いており、お菓子ではチョコレートチップのクッキーが好きらしい。コンピュータはもちろん、発生学や旅行、そして写真が趣味のようだ。彼のホームページにある写真は世界各国の風景写真が多く、自分を撮った写真はあまり好きではないらしい。
本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。 |
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