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IT業界の開拓者たち

第56回 MINIXを作った男

脇英世
2009/5/1

第55回1 2次のページ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

アンドリュー・タネンバウム(Andrew S. Tanenbaum)――
vrije大学数学計算機科学科教授

 後にMINIX(ミニックス)というOSを開発することになるアンドリュー・タネンバウムは、1941年にニューヨークの北方にあるホワイトプレーンズで生まれ育った。父方の祖父は、ウクライナのクロコフで生まれて、1914年に米国に移住している。当時のウクライナはオーストリア・ハンガリー帝国領であった。

 タネンバウムは、地元のホワイトプレーンズ高校に入学した。電気工学が好きで、大学はボストンのMIT(マサチューセッツ工科大学)に進学している。だが、MITの校風はタネンバウムの気性に合わなかったようだ。結局、米国東海岸にあるボストンのMITから、西海岸のUCバークレーに移り、そこで博士号を取得した。UCバークレーとサンフランシスコ湾岸地域は気に入ったらしい。だがその一方で、UCバークレーについては「MITと違ってUCバークレーでは知能指数が150以下でもよく、毎日12時間から14時間勉強する必要もないので、びっくりした」という。多少悪意にも通じかねない、強烈な冗談である。

 博士号を取得した後は、オランダのアムステルダムに移り住み、そのまま居着いている。随分と大胆な移動をする人だ。サンフランシスコを離れてわざわざオランダに渡った理由だが、学位を取った1950年代半ばの米国ではマッカーシズムが流行しており、それを好まなかったらしい。いまではアムステルダムに何十年も住んでいるのに加えて、大学の講義を全部オランダ語で行っているということから、オランダ語はかなり話せるようだが、文法の細部については自信がないようだ。

 タネンバウムがどうして大学の先生になったのかについては、次のように説明している。学生時代に、タネンバウムはIBMでアルバイトをしていた。当時のIBMでは真っ白なシャツしか着てはいけなかったのだが、タネンバウムはそうでないシャツを着て出社してしまった。すると、同僚が服装の規律違反について、非常に細かい部分まで注意したそうだ。タネンバウムは企業に勤めるということは、そういうことだと理解し、大学に勤めるようになったという。要するに“宮仕え”は嫌なのである。

 ところで、タネンバウムが現在勤めているアムステルダムのVrije大学とは、何と発音するのだろうか。この質問に対して、本人は「音声学的にはスペルのとおり発音する」と答えているが、まったく答えになっていない。スペルどおりに発音できないから聞いているのである。多少かたくななところのある人らしい。

 大学においてタネンバウムは、コンピュータアーキテクチャやネットワーク、OSについて教えている。コンピュータネットワークについては、1981年に『コンピュータネットワーク』という教科書の第1版をプレンティスホールから出した。最新版は1996年に出た第3版だが、その内容は当時の第1版とは大きく異なっている。非常に独特な教科書で、普通のテキストとは少し違っている。正直なところ、わたしは必ずしも好きではなかった。OSIに比べて泥臭いなと思ったのである。だが、いまの目で見直してみると、面白いところもあり、またいつか精読してみたいと思っている。

 ほかにもタネンバウムは、『構造化コンピュータ構成』『モダンオペレーティングシステムズ』『分散オペレーティングシステム』といった複数の教科書を手掛けている。それらの中で特に有名なのが、1987年に出版された『オペレーティングシステム:設計と理論およびMINIXによる実装』である。この本は、1997年に第2版が刷られた。

 タネンバウムが関係した研究プロジェクトには、アメーバ、パラメシウム、グローブなどが挙げられる。それぞれ順を追って説明すると、アメーバが「分散オペレーティングシステム」、パラメシウムは「並列プログラミング用オペレーティングシステムサポート」、そしてグローブは「分散共有オブジェクト」についての研究となっている。

 タネンバウムは、先にも述べたように1980年代初頭にコンピュータネットワークに関する系統的な教科書を書いた。1980年代に引用される教科書といえば、必ずタネンバウムの著書であった。そのことでも歴史に記憶される人だと思うが、それ以上に歴史に名を残すに違いないのは、前述の『オペレーティングシステム:設計理論およびMINIXによる実装』に掲載した、MINIX(ミニックス)という名のOSによってである。このテキストの中で、タネンバウムは丁寧にMINIXについて説明し、そのソースコードを全文掲載した。当時はAT&Tによる知的所有権の管理が厳しくなり、UNIXのソースコードを掲載できない、もしくはソースコードを解説することができないという状況に陥っていた。そういったときに、UNIX風OSの作り方を具体的に説明してくれる教科書の存在は、大変ありがたかったのである。

 さて、1991年に入ると当時フィンランドにあるヘルシンキ大学の若い学生であったリーナス・トーバルズが、MINIXを原型としたLinuxというOSを設計した。Linuxはi386が持っている機能を最大限に利用していた。例えば、i386のメモリ管理ユニットのページングやセグメンテーション機能を使うことで、メモリ管理を簡素化した。自分で細かいソースコードを書かず、元からある機能を利用したのである。また、リーナスは複雑な機構を使わず、簡素な機構を採用した。まず、プロセス間通信にUNIX伝統のメッセージパッシングを使うのをやめた。また、タスクに対するデータ構造を散在させず、すべて同一のセグメントにあるようにした。さらに、タスクスイッチングを最小限に制限している。そして、割り込みを隠さず、表に出した。このような簡略化の中で最大のものは、モノリシックシステムの採用だった。カーネル、ファイルシステム、メモリ管理をすべて同じコードのヒープにリンクさせることによって、開発の簡素化を狙ったようである。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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