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IT業界の開拓者たち

第58回 世界を駆け回る伝道女

脇英世
2009/5/8

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 しかし、1953年にプリンストン大学の高等研究所の教授になった以後は順調で、45年もの間、同大学高等研究所の教授を務めた。1957年には、米国に帰化している。以後、フリーマン・ダイソンは、数理物理学の長老として君臨することになる。

 フリーマン・ダイソンには子どもが6人いる。本人が語るところによると、長男と三女に相当手間がかかったようだ。また、ジョン・ブロックマンの『33人のサイバーエリート』によれば、長男のジョージ・ダイソンはブリティッシュ・コロンビアのアメリカトガサワラの樹上に小屋を作って、長年地上95フィートで暮らしているという。一方、三女のミア・ダイソンはメイン州で看護婦をしている。世界的な数理物理学者と数理論理学者の息子や娘であるからといって、単純に数理学者になるものでもないようだ。親として大変な苦悩もあったのだろう。

 そして、次女であるエスター・ダイソンは手間がかからない子どもだったので、手抜きになったようだ。フリーマン・ダイソンは、かえってそれが良かったのではないかと述べている。

 エスター・ダイソンは、公立のプリンストン高校に入学した。そこには大変熱心なロシア語の先生がいたため、ロシア語を習得できた。祖母にあたるフリーマン・ダイソンの母親も、第一次世界大戦中、ロシア語を勉強していた。

 高校卒業後はハーバード大学に進むが、授業にはあまり出席せず、ハーバード・クリムゾンという学生新聞の編集部に毎日通っていた。父親によれば、ハーバード大学は本来、大学院を主に考えている大学なので、学部生はお客さま的な扱いをしているところがあり、何をしようとあまり干渉しないそうだ。なお、大学時代に毎日1時間は必ず泳ぐ習慣を身に付けたエスター・ダイソンだが、これはいまでも続いている。

 1972年、エスター・ダイソンは経済学の学士としてハーバード大学を卒業した。職歴としては、1974年から1977年にかけて『フォーブス』誌のレポーター、1977年から1980年の間はニュー・コート・セキュリティーズ社のセキュリティアナリスト、1980年から1982年まではオッペンハイマー&Co.でセキュリティアナリストを務めている。そして1982年から現在に至るまで、編集者ということになっている。

 1998年11月号の「リリース1.0」を読んでみて、エスター・ダイソンを取り上げてみようと考えた。この号は「オープン・ソース革命」を扱い、ティム・オライリーが執筆し、エスター・ダイソンが導入部分を書いている。非常に優れたレポートであり、大変感心した。オライリー社が出した『オープンソース・ソフトウェア』という単行本より優れていると感じたものである。ただし、「リリース1.0」における編集の実作業は、ケビン・ウエルバッハという編集者がやっているらしい。

 彼女自身の著作は、1997年に出た『リリース2.0』とこれを1998年にペーパーバック化した『リリース2.1』だけである。評価は分かれ、面白かったという人と優等生的だという人が半々である。個人的には父親の方が文章力は上だと思う。エスター・ダイソンには、素直に自分をさらけださないところがある。なお、「リリース1.0」はニュースレターで、『リリース2.x』は単行本である。それ以外の著作は存在しないようだ。

 ユニークな生活習慣を持っているようで、エスター・ダイソンの自宅には電話がなく、車の運転もせず、かなりの時間を旅行に費やしている。カンバス地あるいはプラスチック製の大きなバッグ1つで世界を飛びまわり、宿泊先のホテルのプールで毎日泳ぐという。やはり、少し変わっている。

 ふと不思議に思うこともある。エスター・ダイソンはインターネットや電子メールの問題を主に論じているのだが、生活の大半を過ごすロシアや東欧圏のホテルの部屋にインターネットの端末は簡単に接続できるものなのだろうか。また、自宅に電話線を引かないでインターネットに自宅からアクセスできるものなのだろうか。同じ疑問を持つ人物もいるらしく、インタビューでそういった疑問をぶつけているものもあった。それに対して、「インターネットはメールにだけ使い、ネットサーフィンには使っていない。また、1日に処理するメールは50通から100通である」と答えている。

 エスター・ダイソンは人付き合いに長けており、他人のゴシップに通じるのがうまいといわれている。祖父に似たのではないかというのが父親の見解だ。ちなみに、フリーマン・ダイソン自身は、あまり人付き合いのうまい方ではなかった。また、積極的に人の上に立とうと考えたこともなかった。さらに、人と親しくなろうとか、人のうわさ話を知ろうともしなかったようだ。その娘のエスター・ダイソンは、多少謎に包まれた女性といった感がある。

補足

 執筆当時、ロシアや東欧圏には行ったことがなかったので、「ホテルの部屋にインターネットの端末は簡単に接続できるものなのだろうか」と書いたが、現地へ行って確かめると、一流のホテルではどこでも簡単に接続できた。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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