第5回 コーチングを日常の仕事に生かす
小田美奈子(執筆)、竹林一(監修・執筆協力)
2005/5/14
ここ数年、新聞、雑誌でも多く取り上げられ、注目を集めている「コーチング」。本連載では、ITエンジニアが身に付けておくと役立つコーチングの考え方、活用事例を紹介するとともに、職場や生活ですぐに実践できるコーチング・スキルについても解説します。 |
本連載ではこれまで4回にわたって、コーチングの概念や基本スキルなどを紹介してきました。「第1回 コーチングが注目される理由と定義を知る」ではコーチングが注目されている背景や基本的な考え方、「第2回 プロジェクトリーダーのコーチング実践記」ではビジネスにおける活用として、プロジェクトリーダーがコーチングを実践した事例、「第3回 コーチングの基本スキルを会得しよう」では、コーチングの基本スキル「聴く(傾聴)、質問、認める」の3つの紹介、そして「第 4回 コーチング・フローで会話をスムーズに」では、コーチングの実践編として、「コーチング・フロー」と呼ばれるコーチングを取り入れた会話の流れを紹介しました。
最終回となる今回は、ソフトウェア開発会社勤務のTさん(男性43歳)がコーチングを学び、活用している体験談をお伝えします。皆さんがコーチングを実践されるヒントになると幸いです。
■ 「その場しのぎの対応」だった過去
筆者 | TさんはIT業界でのご経験が長いとうかがいましたが、これまでのお仕事について教えていただけますか? |
Tさん | この業界にはまず開発から入りました。1年間アメリカでプログラムを開発、帰国後はプロジェクト間の調整、カスタマーサポートやユーザー企業常駐のヘルプデスクを経験しました。結婚後は妻の郷里である沖縄に移住して、コールセンターでのシステム管理などを経験しました。 現在はソフトウェア開発会社で、県内人材の発掘と就業をサポートする仕事をしています。それも県外に展開して、本人そして客先、コンシューマ(エンドユーザー)が皆楽しくハッピーであることを目標にしています。そしてそれが、次の県内人材の採用に結びつく、これを信念にして活動しています。 |
筆者 | 色々な経験をされているんですね。Tさんがコーチングを知ったきっかけは、どのようなことでしたか? |
Tさん | 前職(システム運営管理)では考える時間がたっぷりとあり、情報も持っていたのに、現場の改善に自ら取り組みませんでした。問題になってから渋々の対応、それも自分の都合やメンバーの顔色を伺いながら進めるような状況でした。これではメンバーはついてきません。当然職場の雰囲気も惨憺(さんたん)たるものでした。 つまり、「目標がない。その場しのぎの対応」だったのです。これでは信頼されません。当時は「どうしたら皆とうまくやっていけるのか」などとまったく見当外れなことで悩んでいました。 そんな時、新聞で「人の能力を引き出す仕事に喜び」という記事を見つけ、初めてコーチングを知りました。記事にはコーチングを1年間かけて学ぶワークショップが紹介されており、「自立する女性」を目指して模索していた妻に合っていると思って妻に説明会への参加を勧めました。説明会から戻った妻から「私よりも今のあなたに合っていると思う」と言われて実は自分もそう思っていたことに気付き、夫婦でワークショップに参加しました。 |
■信念を持って動く
筆者 | 実際にコーチングを学んでみて、ご自身に変化はありましたか? |
Tさん | 大きな変化としては、自分の信念を持つようになったことです。信念があるため迷いなく動けるようになりました。また、迷った時はなぜ迷うのかを考えて、判断することができるようになりました。 |
筆者 | 自分の信念、ですね。具体的に教えていただけますか? |
Tさん | それは「何事にも目標があり、それを外さない」ことです。これを常に心がけ、また人にも伝えることで相手も自ら動いてくれるようになりました。 例えば、ユーザーサポートの仕事も、ただ「やれ」と命令するのではなく、「ユーザーサポートは、不調なPCを直すことではなく、ユーザーがいつまでに何を生産したいのかを助けること」と話せば、サポート要員はお客さんに声をかけ、自らできることを考えられます。 |
筆者 | その信念は、コーチングを学ぶ過程で作られていったのでしょうか? |
Tさん | ワークショップでは、コーチングのスキルを学ぶだけではなく、まず自分自身のあり方、仕事に対する姿勢が問われました。先ほどお話ししたとおり、以前は「目標がない、その場しのぎの対応」をしていましたが、まずは自分が変わらなければ、と気づいたのです。 そして、コーチングもマインドがないまま、スキルだけを使っても、相手には伝わらないことを学びました。 |
筆者 | コーチングはマインドとスキルの両輪が大事、ということですね。私もまさに同じように感じています。 |
■コミュニケーション・スキルの大切さを知る
筆者 | ほかにコーチングを学ばれて、役に立った点はありましたか? |
Tさん | IT業界ではテクニカル・スキル(技術能力)も重要ですが、私はそれと同じくらい「コミュニケーション・スキル」が重要だということに気付きました。 |
筆者 | それは興味深いですね。具体的に教えていただけますか? |
Tさん | せっかく優れた技術を持っていながら、客先で必ず問題を起こしてしまう人、客先と話がかみ合わないままに作業を進めたために手戻りが発生し、利益どころか損失を出してしまう人、などコミュニケーションに関することが原因で問題が発生する事例をこの業界で数多く見てきました。 また、いくら技術力に秀でた人がいても、必ず1人以上の人間とチームで仕事をします。社内の開発部門や営業部門も含めてのチームや、お客様も含めての体制など、1つのプロジェクトでも、いろいろな視点でのチームワークがあります。 恥ずかしながら、これまでは「なかなか動かない部下や上司を動かす」「難しいお客様を説得する」など、相手を「動かす」ことが全体に良かれと考え、お互いにかなり傷付きながら仕事をしてきたと思います。 コーチングを学んだことで、真のコミュニケーションとは単純に相手を説得し動かすことではなく、その人の立場に寄り添って感覚を共有することで、相互に理解し合い、アイデアを出し合って、共通の問題解決を図ることだと学びました。 例えば、相手の立場に立つことで、「相手が動かないのは、何かに納得していないのでは?」「目の前の話題について文句を言っているけれど、本当は何か違うことを話したいのでは?」など、色々と見えてくるものがあります。そういう時は、相手にそのことを伝え、相手の話をよく聴くことにしています。そこから、解決の糸口が見つかることが多いです。 |
筆者 | 相手を「動かす」ことから、相手の話をよく聴いて一緒に問題を解決する……とても大きな変化ですね。 |
■個別対応のコーチング
筆者 | 学んだコーチングを、今のお仕事の中でどのように活用されていますか? |
Tさん | 人材採用、研修、実務、客先、すべての場所が仕事のステージですが、あらたまって「コーチングをやります」ではなく、仕事を進めるためのツールとしてコーチングを活用し、場面や相手によって使い分けています。 具体的には、合同面談会や学内での会社説明会などの人材採用の場面では、「一緒に夢を叶えたい。言われたことをやるだけではなく、客先に寄り添い評価をいただき、信頼につなげて、県内に仕事を持ち帰ろう!」と語ります。そして「あなたが達成したいことは何ですか?」「2年後、5年後の自分のイメージは?」と興味を持って問いかけ、自ら目標を設定するように投げかけています。 新人研修では、彼らからの質問にすべて回答するのではなく、調べればわかることは本人にやってもらうようにしています。どこが分からないか分からなくて消化不良を起こしている人には、説明するなど、ティーチングとコーチングを織り交ぜるよう、スタッフにも説明しながら進めています。 また、社会的なマナーの基本を身に付けた方がいい場合は、「あなたを嫌いなわけではなく、今後仕事をしている上で必要なこと」と断ったうえで、その場で指導します。 社員に対しても、表情がすぐれない人には、自分から声をかけるようにしています。障害や問題を私が解決するのではなく、本人が何を目標において、どう決断するのかのサポートをしています。その時は、その人自身の人生を本気で考えて取り組みますので、相手も受け止めてくれます。 |
筆者 | 相手の方を尊重されながら、あらゆる場面でコーチングを実践されているんですね。 |
■社員がリーダーシップを発揮
筆者 | コーチングを実践したことで、どんな成果がありましたか? |
Tさん | 採用を始めて1年で、私が県内で採用し県外に送り出す社員はもうすぐ20名になります。研修では技術だけではなく、県外で孤独にならないよう、「作業場所は離れていてもチームワークで支えあって!」と声を掛け、支援をしています。 |
筆者 | Tさんの取り組みで、社員の方が力を発揮しているんですね。Tさんがこれからやってみたいことをお聞かせいただけますか? |
Tさん | 今後は、就業したメンバーの年間目標設定や評価などを、半年または3カ月ごとに顔を合わせて行い、ビジョン形成やキャリアパスにつなげる(その人自身がなりたい自分に近づくためのサポートをする)ことをしたいと思っています。 また、県内で求人活動をしていく中で人脈ネットワークも広がりました。私は、会社、客先やパートナー企業が何を自分に期待しているのか、自分の使命を見失わないよう、改善点は素直に反省し、経験を次に活かして今後も楽しみながら展開していきます。 |
筆者 | 楽しみながらの展開、いいですね。今後も益々のご活躍をお祈りします。いろいろとお話いただき、ありがとうございました。 |
Tさんのコーチング実践記、いかがだったでしょうか? 以前は、相手を「動かす」ことを考えていたTさんですが、コーチングを学んだことで相手の立場に立って話を聴くようになり、一緒に問題を解決しようという姿勢に変わりました。そして、コーチングを実践したことで、関わった社員が本来持っている力を発揮するなどの成果も生まれました。
また、Tさんは場面や相手によって対応を変えていますが、この「テーラーメード=個別対応」は、コーチングを活用する際のベースとなるものです。
人は一人一人違い、誰にでもうまくいく方法はありません。相手の力を引き出すためには、その方法は一人一人に合わせる方が効果的です。
■コーチングで可能性をひらく
これまで5回にわたって、コーチングの基本的な考え方やスキルについてお伝えしてきました。コーチングは相手の可能性を信じ、相手が本来持っている力を発揮させることをサポートするシステムですが、決して特別なものではありません。 この連載では、主にビジネスでの活用についてご紹介しましたが、ビジネスの場面以外でも「家庭」「教育」「医療」など、あらゆる場面で活用されています。
筆者はコーチングの「答えはその人の中にある」「その人の能力や可能性を最大限に発揮することをサポートする」という考え方に魅力を感じて、コーチングの仕事に関わるようになり、現在は20〜30代の会社員の方のキャリアについて相談を受ける機会が多くあります。
その中で、その人自身が本来持っている力を発揮したり、これまで本人が気づいていなかった可能性を発見する瞬間に立ち会うことがあります。先述のTさんも社員と関わることで、社員が本来持っていたリーダーシップを発揮するようになりました。
コーチングは人の可能性をひらくものといわれています。コーチングの考え方のベースに「人間の無限の可能性を信じる」というものがあります。今回の連載で一番お伝えしたかったのは、その人の可能性を信じ、その人が本来持っている力を最大限に発揮することができるというコーチングの考え方です。
この連載によって、皆さんがコーチングに関心を持って頂けたら、これほど嬉しいことはありません。そして、職場、家庭などで実践するきっかけになると幸いです。これまでお読みいただき、ありがとうございました。
なお、本連載では、コーチングのエッセンスのみをお伝えしていますので、よりコーチングについて深く知りたいという方は、「スキル創造研究室Book Review コーチングを学びたい人におくる5冊」の記事を参考にしてください。今回の参考書籍の一部も紹介されています。
参考書籍 |
『コーチングマネジメント』(伊藤守著、ディスカバー) 『コーチングの技術〜上司と部下の人間学』(菅原裕子著、講談社現代新書) Intelligence Unlimited(Webサイト) |
執筆:小田 美奈子 |
1968年生まれ。消費財メーカーで商品開発・マーケティング業務に携わるうち、コーチングの考え方に出合う。2000年11月より、コーチ養成機関であるコーチトゥエンティワン、CTI ジャパンにてコーチングを学ぶ。現在は「本当にやりたい仕事につき、自分らしく幸せに生きる」をテーマに、20〜30代の会社員を対象に、転職・就職・独立に関するキャリアコーチングやワークショップを実施している。財団法人生涯学習開発財団認定コーチ/日本コーチ協会東京チャプター監査監事。 |
監修・執筆協力:竹林一 |
オムロン ソーシアルシステムズ・ソリューション&サービス・ビジネスカンパニー セキュリティソリューション事業推進室 エンジニアリング部長。1981年立石電気(現オムロン)入社。事業企画室にて非接触ICカードシステム、ATM後方支援システムなどの新規事業化に従事。その後、駅務システム開発部にて国内・海外の駅務システムSE、スルッとKANSAI、関東パスネットなど大規模システムを開発プロジェクトリーダーとして推進。新規事業開発部長、グーパス推進部長を経て、2004年から現職。共著として『ここまできた!モバイルマーケティング進化論』(日経BP企画)がある。 |
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