自分戦略研究所 | 自分戦略研究室 | キャリア実現研究室 | スキル創造研究室 | コミュニティ活動支援室 | エンジニアライフ | ITトレメ | 転職サーチ | 派遣Plus |


30代で“大台”を狙うためにいま何をすべきか?
年収1000万円エンジニアになる!(後編)

中村 京介
2003/7/18

 将来どのようなキャリアを目指すかによって、エンジニアの年収はどう変化してくるのか?

 前回「年収1000万円エンジニアになる!」(前編)では、社内でマネージャとしてキャリアアップを目指すのか、またはフリーエンジニアとして専門を極めるのかによって、どれくらいの年収格差が生まれるのかをレポートした。

 後編に当たる今回は、実際に社内でプロジェクトマネージャとなり、年収1000万円を獲得するエンジニア、あるいは会社組織を離れ、フリーエンジニアとして高所得を稼ぐ人物が登場する。さらに、人材コンサルタントの声を交えながら、年収1000万円を稼ぐために必要なスキル、キャリア、マインドを探ってみた。

  技術力、英語力と
マネジメント力を備えた逸材

   「エンジニア」という肩書きだけで、年収1000万円を突破するのはそう簡単なことではない。もし「技術一本」で勝負するのであれば、ほかにはない、何か突出した技術力が求められることになる。それが難しいのであれば、エンジニアとしての技術力をベースにしつつ、「マネジメント」へとキャリアを展開していくのが近道といえる。

 現在、外資系ソフトウェア会社のマーケティング部門を統括する山崎陽一郎氏(仮名・35歳)は、まさにこのパターンで年収1000万円を獲得した1人だ。

 山崎氏は、テクノロジはもちろん、マネジメント面においても高いスキルを持ち、しかもTOEIC900点という高度な英語力も兼ね備え、人材マーケットからすればノドから手が出るほど欲しい逸材である。

 国立大学の理系学部を卒業後、まず国内の大手コンピュータメーカーに就職、コンピュータのデバイス開発にかかわるエンジニアとしてキャリアをスタートさせる。そして入社4年後、会社の費用負担で米国に短期留学し、英語力に磨きをかけ、帰国後は、かつてからの夢だった人工衛星のシステム開発を行う部門に配属される。

 しかし、その部門は、C言語を使ってプログラムを書くという純粋なエンジニアとしてのスキルだけでなく、コミュニケーション能力、マネジメント能力が強く求められる職場だった。この経験が、山崎氏を純粋なエンジニアから脱皮させる大きなきっかけとなる。

 「とにかく、理解できないことばかりでした。人工衛星の解説書なんてどこにも売っていませんからね。まずは、自分の仕事には直接関係ない情報も含め、できるだけミーティングに出席させてもらって、仕事の現場からのアプローチを心掛けました。ただ、それでも分からない技術用語がどんどん出てくる。その場合には、自分の上司のほか、一緒にプロジェクトを組んでいた、ほかのメーカーの人や外注の人にもよく聞くようにしていました。私の場合、もともと何かを人に聞くのはそれほど得意ではない。でも、失敗するより、むしろ周りとコミュニケーションを取った方がいいと思ったのです」

  技術力に加えて
“政治力”にも磨きをかける

 エンジニアは、同じ会社の社員ばかりではなく、ほかのメーカーや外注先、あるいはクライアントと共同作業をすることが多い。「宇宙」というスケールの大きいテーマを扱っていただけに、常にこのような環境に置かれていた。その中でプロジェクトを成功させるには、「自社以外の人間とのリレーションをいかに円滑に構築できるか」がポイントだったのだ。

 「外注のパートナーとうまく折り合いをつけてプロジェクトを進めていくことには、かなり気を使いました。上司が私を通じて外注さんにいろいろと注文を出すこともあったのですが、その場合、上司がいったことを“柔らかく”伝えるようにしていました。要は、スケジュールに支障のない範囲で、上司がいったことを都合良く解釈して、外注さんに伝えるわけです」

自社以外の人間とのリレーションをいかに円滑に構築できるかがポイント

 しかも、彼の場合、ベースの外部設計はクライアントである公共機関がやっていたため、時間と予算の制約の中で成果をあげることが求められていた。いくつもの会社からメンバーが集まるプロジェクトに起こりがちな問題は、進ちょくの遅れだ。これは、構成メンバー個人のスキルの問題もあれば、クライアントの決定が遅れることなどが原因の場合もある。

 いずれにせよ、例えば3カ月納期が遅れれば、当然、外注先などをキープする期間が長くなるため、その分コストがかさむことになる。その場合の金銭交渉も、いつの間にか自分の役目に――。

 「クライアントからお金を引き出すには、理論武装はもちろん、自分の残業時間を示して『業務以外にもこれだけの時間を使っているんだ』と訴えたり……。もちろん、クライアント側はそう簡単には納得してくれません。こちらの要求額の満額をもらうことが難しいときは、余分にかかるコストの半分だけでも出してくれるように交渉します。それでも駄目なときは、社内のほかのグループに、予算を分けてくれるよう折衝するのです。結構“政治力”が必要な仕事でした(笑)」

  プロジェクト管理の
秘けつはどこにあるのか?

 しかし、予算請求などシビアな折衝経験は、山崎氏のネゴシエーションスキルを確実にアップさせたようだ。

 「クライアントから一方的にいわれるだけの交渉からうまく逃げるコツを覚えました(笑)。ポイントは、9割は相手のいい分を受け止め、本当にイヤな1割を断るということです。その1割というのは、技術的に不可能なことやランニングコストなど、絶対に実現できないことです」

 もっとも、進ちょくの遅れというのは、プロジェクトを進めていくうえでのいわば「最悪の事態」。これを連発すれば、クライアントの離反につながりかねない。パートナー企業からもソッポを向かれる要因となる。そうならないためにも、日ごろの進ちょく管理が重要になる。

 山崎氏は「自分は心配性なので、あらかじめ余裕を見てスケジュールを組むようにしていた」という。しかし、それでもプロジェクトが遅れそうなときは、どのようにメンバーをマネジメントしていたのだろうか?

 「進ちょく管理というのも、結局は外注パートナーとの交渉です。まず、外注先の話を聞き、それから自分もそれ以上に苦労しているんだということを相手に伝える。例えば、自分も、なんとかクライアントに交渉して納期を1カ月遅らせるように努力するから、『お互い』に頑張ろうと……。実はそんなとき、すでにほかのメーカーの遅れによって納期が2カ月ズレるのを知っていたこともあるのですが、それはあえていわないようにしていました(笑)」

  「叱咤激励型」よりも
「支援型」に徹していた

 マネジメントの手法として、「叱咤激励型」もあり得るが、山崎氏の場合、このような手法はあえて取らなかった。

 「完全な“支援型”です。やはり、外注パートナーなどを含め、周囲の人はほとんど年上だったからです。目上の人に叱咤激励はしにくい(笑)。また、外注先にはかなりの専門性が求められるプログラムをお願いしていたので、彼らのモチベーションを引き出すことが不可欠でした。だから、こちらもあまり強気に出られないということもありました。ただ、進ちょく状況が絶望的で、かつ相手に明らかに非があれば、キツイことをいわざるを得ません。“叱咤激励”は最後の切り札。これを最初から連発すれば、かえってモチベーションを下げることになると思います」

顧客との交渉では相手のいい分の9割を認め、本当に実現不可能な1割を断っていた

  こうして多くのマネジメント経験を積んだ山崎氏は、よりグローバルなフィールドを求めて外資系企業へと転職する。現在の肩書きは、マーケティング本部のプロジェクトマネージャ。仕事の範囲は極めて幅広い。

 アメリカ本社に対する製品についての要求に始まり、日本市場への投入時期、プロモーション、定価の決定、営業やエンジニアに対する研修、さらにはセールスまで、まさに「製品の出るところから販売まで」にかかわっている。
 
 実際、外資系企業に入社してみて、まず感じた国内企業との違いが「権限の大きさ」だ。

 「マネージャである私が、アメリカ本社のバイスプレジデントやシニアディレクタークラスと定価の交渉をするわけですから。しかも、現在の会社にはルーティンワークもなければ納期もない。タイムマネジメントはすべて自分に任されています。これは国内企業にはない魅力です」

  40代前半には技術力と
経営知識を踏まえて起業家に

  確かにその分苦労も多い。「毎日が問題解決の連続」と山崎氏は笑う。しかし、それは同時にスキルアップに大いに役立っているようだ。

 「国内企業の場合、あまりにも環境がそろい過ぎているので、確かに効率はいいかもしれないが、考える力が身に付かない。現在の会社ではトラブルも多い分、問題解決能力や調整能力が自然と磨かれていると思います」

 大きな権限とともに仕事をこなす中で、職務と直接関連するマーケティングや英語などのスキルも急速にアップしているが、山崎氏はそれだけに飽き足らず、現在はアメリカの大学院へのMBA留学を目指している。

 「エンジニアとしての経験とMBAで得た知識をうまく融合して、ソフトウェア業界でマネジメントスキルを磨いていきたい。40代前半には技術力で勝負できるサービスを開発し、起業したい」

 マネジメントと技術、その両方を理解する人材として、山崎氏のバリューは今後ますます高まっていくことだろう。

山崎氏が「プロマネ」として年収1000万円を稼ぐ3つの理由
技術に精通 人工衛星のシステム開発に携わり、基本言語はマスター
英語力 米国留学の経験もあり、高度なビジネス英会話のスキルを備える。TOEICのスコアは900点
マネジメント力 対顧客、社内他部署、メンバーとの間で予算折衝、スケジュール調整の際、巧みな交渉術を駆使する

  サラリーマンに魅力を
感じなくなった

 多忙な日々に流されながらも、自分の「将来」について思い悩むエンジニアは多い。その1つの解答が「フリーエンジニア」という選択だ。

 転職支援・人材派遣大手のインテリジェンスにも、現在、フリーとして登録する派遣エンジニアが数多くいる。益山方世氏(27歳)もその1人である。

フリーエンジニアになった最初の1カ月は、まるまる「仕事がフリー」な状態で、将来に大きな不安を感じたという

 「サラリーマン時代から『ずっと技術者でありたい』という希望がすごく強かったのです。でも現実には、年齢を重ねていくと自動的に管理職になり、技術者とはいえないような営業的な仕事が大部分を占めるようになる。そのとき、『何のために技術者になったんだろう』と疑問を感じるのではないかという不安があった。じゃあ、最も長く技術者としていられる方法は何だろうかと考えたとき、フリーになることが1つの選択肢だと思ったのです」

 益山氏はサラリーマン時代、クライアントのSIベンダに派遣されていた数人のフリーエンジニアと仕事を共にする。彼らの仕事振りは優秀で、そのために多くの努力を払っていることも伝わってきた。そんな彼らの生き生きとした姿は、将来へのキャリア選択に大きな影響を与えることになる。

 会社に残って自分のやりたいことができずに思い悩むエンジニアがいる一方で、フリーに転向して本当にやりたい仕事をやっている人がいる。自分だったらどちらの選択肢を選ぶかを考えたとき、生き生きとしてエンジニアをやっているフリーの生き方を選んだという。

 「中には私の選択が理解できないという人もいますが、いまの時代、サラリーマンでいることにどんな意味があるのか。30代後半、40代、50代になってその会社にいたときの自分を想像しても何も思い浮かばない。ビジョンが見えないというのであれば、その会社にこだわる必要はないと思います」

  フリーでやっていける
自信があった

 もちろん、フリーになるに当たって不安がなかったわけではない。昨年6月に退社してから1カ月間は、まるまる「仕事がフリー」な状態だった。焦りも感じた。

 「8月1日に就業を始めてからも、2週間か3週間くらいは、『いまの自分の姿は、会社を辞める前に望んでいたものなのだろうか』と悩みました。いま思えば、こうした不安は、これまで組織に属して守られていたものがなくなり、本当に何もないところに置かれた、という環境の変化からくるものだったのです。いまは本当にフリーになって良かったと思います」

 少なからぬ不安の中で、フリーという選択を後押ししたのは、やはり「自信」にほかならない。ただ、絶対的な自信があったわけではない。今後、技術者として何をすべきかを考えたとき、常にできる限り新しいことを吸収していく必要性を感じたというのだ。

 「クライアントに『新しいことをやりたい』と相談されたとき、『それはできません』と答えたらそれで終わってしまう。逆に自分で勉強していて『私ならこんなふうにやってみます』といえれば、チャンスが生まれる。そこに、いままで新しいことを吸収してきたか、してこなかったかの差が出ると思うのです」

  「基礎技術力」が
市場価値を高めた

 益山氏は、ある中堅のSIベンダでエンジニアとしてのキャリアをスタートさせた。ここに社員として6年3カ月在籍、その間ほとんどクライアントに常駐するという勤務形態を取る。“フリーエンジニア”としてのマインドは、このときに磨かれたといってもいい。

 あるクライアントとのミーティングで、UNIX上でC言語やシェルを使って、業務に関係ないログの解析ツールや仕様書などの作成を求められたことがあった。先方の目的は、益山氏の技術スキルの測定だ。

自分のアピールポイントはどの領域であるのかを見極め、そこを深く究めてほしい

 ここで益山氏の作品は高い評価を得て、プロジェクトの本部隊へと組み込まれる。その後、これまで趣味でやってきたDOSやWindowsのプログラミング能力が認められ、WindowsのAPIを呼び出して、VBで作業する人向けに業務用のAPIを作ったり、クラスライブラリを設計する仕事に携わることになる。

 その後も、ほとんど業務の開発チームの中にいることはなく、業務開発グループが抱えている共通の問題や疑問点の解決に当たる。いわば“インフラ”に近いところでスキルを磨いてきた。そして、このような経験が、結果として益山氏の「市場価値」を高めることにつながる。

 インテリジェンスのITプロフェッショナル事業部でコンサルタントを務める中村陽祐氏は語る。

 「多くのエンジニアは、まずは画面を作ったりという表面的な開発から経験を積んでいきますが、益山氏の場合はそこで中心となる基盤、その中でも最も重要なシステムの中枢部をずっと経験してきた。こうした経験はとても希少価値があります。このことが、益山氏の基礎技術力を高め、その結果として市場価値も高まったのだと思います」

  独学で技術知識を
身に付ける

 こうした希少価値の高いスキルを持つ益山氏だが、実は、プログラミングやソフトウェアを作るための技術要素のうち、かなりの部分は独学で学んできた。

 「もちろん仕事の中で得られたものもありますが、むしろ、自分で勉強したものを職場で展開していったケースの方が多いです。逆にいうと、仕事に応用するために勉強してきた。情報源の多くは本です。本で読んだことを自分で実際に実行してみる。その繰り返しです。会社に入り、最初に情報処理技術者試験の2種を取りました。昨年3月、フリーになるに当たって何か客観的な評価基準を持つ必要性を感じ、Javaの認定資格を取りました。ただ、フリーとして生きるには、あまり資格は関係ないと思います」

 フリーになるに当たって最も重要で、かつ最低限の条件と益山氏が考えるのは、ズバリ「エンジニアの仕事が好きであること」だ。技術の世界のサイクルはものすごく速い。常に新しい知識や技術に対応していかなければならない。もし好きでなければ、これは苦痛以外の何ものでもないだろう。益山氏の場合、コンピュータやソフトウェア開発というものに昔から興味を持っていた。コンピュータは、父親の影響で5歳くらいから触り始め、プログラミングを始めたのは小学校1年生くらいからだというのだ。

  技術や業務知識などの分野で
専門を極めてからフリーを目指そう

 さらに、前出の中村氏はフリーエンジニアとして活躍するためには、「新しい技術への執着心と吸収力を持つこと」を第一の条件に挙げる。

 「この心構えがないとフリーは務まりません。益山氏は確かな技術力に加え、何よりも『エンジニアの仕事が好き』なので、まさにフリーに適しています。あとはこれに関連することですが、自分のやりたい仕事、得意分野が明確になっている人。途中でいろいろな情報に振り回されそうになっても、決してスキルの軸がブレないようにすること。自分のアピールポイントを認識し、そこを伸ばすべきです」

 また、これからフリーを目指すエンジニアについても、こうアドバイスする。

 「何かしら特化した分野を持つ必要があります。例えば業務知識でも構いません。金融業界に興味があれば金融でもいい。要するに、自分の得意なスキルは何かというのを常に意識し、自分に自信を持てるようになった段階でフリーになってほしいです。そうすれば、仕事は切れ目なくどんどん入ってくるのではないでしょうか」

人材コンサルタントが語る「高所得フリーエンジニア」の条件
●とにかくエンジニアの仕事が好きでたまらない−−このマインドがすべての出発点。収入に浮き沈みがあっても、常にこの思いを持ち続けられるか
●新しい技術を習得するために、技術に対する強烈な“執着心”と、それを実現できるほどの“吸収力”を持っているか
●開発言語や業務知識など他者に負けないだけの得意分野を持ち、その領域を深く究められるか

  十分に自己投資できるだけの
年収があればいい

 「今後も、自分は技術者であるということを突き詰めていきたい」――益山氏はこういい切る。

 「プロジェクトマネージャのような管理職にはあまり興味がありません。プロジェクトマネージャになるのに必要なヒューマンスキルなどを自分のスキルセットの1つにしたいと思っても、プロジェクトマネージャになること自体を目標とすることはありません。年収はあればあっただけうれしいですが、きちんと生活を維持したうえで、自分が技術者であることを守るための自己投資ができる金額であれば、それ以上はあまり興味がありません(笑)。とにかく、いまは30歳までガンガン好きなことをやっていくつもりです。そして、30歳になったら、一度立ち止まって考えます」

 これから5年後、10年後もそのままフリーで通用する自分なのか、あるいは通用しない自分になっているのか。あくまで一生エンジニアであり続けるという意志は固まっている。最近は、「.NET」への関心が高く、自宅でもJavaを起動せず、「C#」を触ることが多いという。

 「マイクロソフトのOS自体が.NETにシフトしていこうとしていますし、Windowsが90%も稼働している状況からすると、今後は.NETを使わざるを得ないと思っています。そのとき、.NETを使ったアプリケーションはどんなものになるだろうかということに非常に興味があります。また、その展開に自分もかかわりたい、とも思っています」

  “給与デフレ”に負けないだけの
キャリアを築こう!

 社内でスキルアップに励み、年収1000万円を獲得したエンジニア出身のプロジェクトマネージャ。そして、組織を離れ、フリーエンジニアとして高所得を獲得する益山氏。立場は違っても、現在の年収はいままでのキャリアが築き上げたものである。

 長引く不況の影響により、ITエンジニアの給与が“デフレ化”する中、30代で年収1000万円を稼ぐために、どのようなスキル、キャリア、マインドが求められるのか。結局のところ、その答えは自分自身で給与デフレに負けないだけの競争力を持つキャリアを築くことにあるのではないだろうか。

関連記事
  年収1000万円エンジニアになる!(前編)
  エンジニア「5つのキャリアビジョン」(前編)
  エンジニア「5つのキャリアビジョン」(後編)
  技術者は“起業家マインド”で生き残る
  エンジニアは技術だけでは幸せになれない
  豆蔵の萩本氏が語る理想のエンジニア像
  実録:私がフリーエンジニアになるまで
自分戦略研究所、フォーラム化のお知らせ

@IT自分戦略研究所は2014年2月、@ITのフォーラムになりました。

現在ご覧いただいている記事は、既掲載記事をアーカイブ化したものです。新着記事は、 新しくなったトップページよりご覧ください。

これからも、@IT自分戦略研究所をよろしくお願いいたします。