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特集:OSSにかかわるエンジニアたち

第5回 宮原徹氏、語る。「オープンソースカンファレンスがなくても、コミュニティが情報発信する世界が理想」


金武明日香(@IT自分戦略研究所)
2010/10/1


オープンソースカンファレンスの発起人、宮原徹氏インタビュー。OSCが目指すのは「情報発信の場」と「つながり」を作ること。「参加者の自主性に任せる」というOSCの運営ポリシーは、多くのコミュニティ運営者にとって役立つことだろう。

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  2010年9月10日〜11日の2日間、「オープンソースカンファレンス2010 Tokyo/Fall」が開催された。オープンソースカンファレンス(以下、OSC)は今回、記念すべき50回目の開催を迎えている。

宮原徹氏

 「OSCは、『フレームワーク』なんですよ。わたしたちは『場所』と『情報発信の方法』だけを提供する。あとは、皆さんが思い思いに自由にやってくれればいい」

 OSCの発起人であり、数多のコミュニティ活動を見てきた宮原徹氏は、OSCを「フレームワーク」と表現する。1つのコミュニティに直接参加するのではなく、複数のコミュニティが集う場所を提供する立場を選んだ宮原氏に、OSCの運営ポリシー、そしてコミュニティの情報発信活動のこれからについて、話を聞いた。


OSCという巨大カンファレンスを運営するコツ=「手間をかけない」

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 OSCは年々、参加者が増加傾向にある。「オープンソースカンファレンス2010 Tokyo/Fall」には、2日間合わせて約1400人が来場した。

 これほど大規模なイベントを定期的に開催するコツは「極力、手間をかけない」ことにある。OSCでは毎回、数十のセミナーセッションがあるが、一般的なイベントのように、各部屋に担当者を置かない。運営側で用意するのは会場のみで、機材などはすべて登壇者側で用意してもらう。タイムキーピングや設営などは、すべて登壇者側で行ってもらい、登壇者はセッションの時間になったら勝手に始めて、時間が来たら終える。白熱して話が長引く場合は、廊下などで続きをやってもらうことにしているという。

 一見「それだけで大丈夫なのだろうか」と思えるが、この方法はそれなりにうまく機能しているようだ。初めての参加者には、OSC運営側がセッションのやり方などのノウハウを伝えてサポートする。機材などを忘れた人は、失敗を次回に生かしており、結果としてそれほど混乱が起きることなく、カンファレンスを開催できるという。

OSCの運営ノウハウはただ1つ、「場所と時間の決定」に尽きる

 「基本的に各人の自主性に任せる」というOSCの運営ポリシーは、2つの信念のもとに成立している。

 1つは、「OSSコミュニティにとって重要な『情報発信の場』を提供する」こと。もう1つは、「参加者が自ら勉強会やセミナーを開催できるようなノウハウを身に付けてもらう」ことだ。

 OSCは、自分たちでカンファレンスを開催する機会やノウハウを持たないコミュニティに、情報発信の場所を提供することを目的としている。PHPやRubyなど、大規模なカンファレンスを行えるコミュニティは、ごく少数だ。大概のコミュニティは、それほどの規模と体力を持たない。しかし、コミュニティにとって「情報発信」は非常に重要であると、宮原氏は強調する。

 OSCの運営ノウハウはただ1つ、「場所と時間を決める」ことに尽きる。機材の用意や人員の配置など、できるだけ手間を省こうとする宮原氏が、最後まで「OSCの仕事」として残すのが「開催日時」と「場所」の提供だ。逆に、この2つさえあればカンファレンスやイベントは成立すると、宮原氏は語る。

 「各コミュニティは、自分たちがやりたいことは明確に決まっています。ただ、一番難しいのは場所と時間を決めることだったりするのです。だから、空間をまず決めて『やる』と決めてしまう。そこから先のことは、自由にやってくださいとお願いしています」

 だが、「情報発信できる場所」だけあっても、それだけでは十全ではない。情報発信するには、的確に情報を伝えるための「ノウハウ」が必要だ。宮原氏は、OSCに参加するコミュニティにセミナー開催や運営のノウハウなどを伝授している。「OSCを情報発信のための練習機会」として活用してほしいと、宮原氏はいう。

自ら発表しながら「全国行脚」をしていた日々

 コミュニティに「情報発信できる場所」と「ノウハウ」というフレームワークを提供する――この方針は、2004年にOSCが始まったときから一貫している。

 OSCの起源は1990年代までさかのぼる。1994年に日本オラクルへ入社した宮原氏は、マーケティング部での仕事を中心に、Webサーバ構築やLinux版Oracleの公開などの仕事に携わった。イベントや展示などのノウハウは、マーケティング部時代に培ったものだ。

 また、宮原氏はコミュニティの立ち上げなどにもかかわりが深い。日本Sambaユーザー会(1999年)や日本PHPユーザ会(2000年)の立ち上げに携わり、オラクルで社内外の人が集まる交流会 Project BLUE(Business Linux User Enkai)にも参加していた。

 日本におけるコミュニティ文化に早い時期から触れ、その活動を援助しようと考えた宮原氏は、2001年のびぎねっと起業と同時に、プロジェクタと発表資料を背負ってOSSを広めるための「全国行脚」を始める。

発想を「縦」から「横」に。発表するのではなく発表の場を作る

 全国各地で情報発信の必要性やノウハウを説き続けた宮原氏だが、活動を始めて2年ほどたったころ、1人でやることに限界を感じたという。

 「1人でやるというのは大変だし、それだけだと自己満足になってしまうと気付いたんです。わたしはもっと多くの人にセミナーに来てもらいたかった。でも、1人で行脚をしているだけでは、せいぜい集客は数十人程度。このままでは目的を達成できないと思いました」

 全国を回り、各コミュニティが「情報発信とつながりの場」を切実に求めていることを知った宮原氏は、発想を「縦」から「横」に切り替えた。自分が発表して伝えるのではなく、皆が発表できる「場」を作る方に回ったのである。

 「もともと、自分はあまり1つのコミュニティにどっぷり漬かるタイプではない」と宮原氏はいう。だから宮原氏は、企画役・調整役として立ち回ることにした。当時、日本UNIXユーザ会(jus)の法林浩之氏が主宰していた「オープンソースまつり」の活動がなくなったことを受けて、宮原氏はOSCを企画。こうして、OSCは2004年9月に第1回を開催した。

コミュニティの活動は、もっとビジネスと接続していい

 自らがコミュニティを運営するのではなく、コミュニティが集まる「場」を作る。このことは、日本のコミュニティにどのような変化をもたらしたのだろうか。

 「やはり、コミュニティ同士、コミュニティとユーザー、コミュニティとビジネスをつなぐ機会を作ったことが一番大きいのでは」と、宮原氏は振り返る。

 ここで宮原氏が「コミュニティとビジネス」というのには理由がある。

 「わたしは、もっとコミュニティの人たちが自分たちの活動をビジネスにつなげることを考えてほしいのです。趣味を突き詰めたら、それで食べていけるのではないでしょうか」

 しかし、日本の現状では、コミュニティ活動をビジネスとして成功させている例はそれほど存在しない。だが、だからこそ宮原氏は、OSCという場所から「ロールモデル」のようなものが生まれてほしいと語る。

 「わたしたちは、出会いと情報発信の『機会』と『場』を提供し続けます。参加者には、そこから新しいビジネスや出会いにつなげてほしい」

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