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パソコン創世記


響く歌声

富田倫生
2009/9/24

「タケシ、君の彼岸としてのパソコンよ」へ1 2次のページ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 瀬戸内海に抱かれた広島、中でも広島湾に面した広島市の気候はおだやかである。

  粉雪の舞うことはあっても、積もるのはせいぜい年に一、二度。台風に直撃されることもきわめてまれで、人々の気候に対する不満はもっぱら凪の不快に集中する。

 春の足音も早い。

 3月末には開きはじめた桜は、4月に入り入学式の相次ぐ時期にはすっかり満開となる。市内を縦に貫く元安川沿いの桜並木は、平和公園に春めいた華やぎを与え、小高い丘といった印象の比治山に人々は酒肴をたずさえて桜を求める。

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 1969(昭和44)年4月、タケシは桜の時期に希望する高校の門をくぐった。

 卒業生のほぼ全員が進学するこの高校の入試は、かなり難易度が高いとされていた。数学には絶対の自信を持っていたが、英語にはかなり不安があった。それだけに、この高校への合格、そして進学はタケシに昂揚感をもたらせた。

 高校生活は、確かに新鮮だった。

 しかしその新鮮さは、入学前にタケシの予想したものとはかなり異なっていた。伝統的な校技としてのサッカー、毎年20人前後は卒業生を東京大学に送り込む学力レベルの高さ。タケシを驚かせたものは、事前に予想できたそうした要素ではなかった。

 高校は揺れはじめていた。

 学生たち、少なくとも学生たちの一部は、タケシの頭の中にあった高校生像からはかなり逸脱しているように見えた。

 新入生歓迎会は野次の応酬となり、上級生たちは新入生そっちのけで、タケシの目にはえらく高級に映った論議をたたかわせはじめた。

 1969(昭和44)年――。

 タケシが受験勉強に最後の追い込みをかけていた1月18日、加藤東大学長代行の要請を受けて機動隊は安田講堂に立てこもっていた学生を排除。合計631人の逮捕者を出した安田講堂攻防戦の実況中継に、多くの人がテレビの前に釘付けとなった。

 そして2月18日には、日本大学が機動隊を導入して、文理学部を最後に、全学の封鎖を解除。

 この2つの〈落城〉を経験したあとも、全共闘運動は即座には沈静化しなかった。紛争の炎は地方の大学へ、そして高校生へと飛び火し、学生たちの揺れは総体として見ればますます大きなものとなっていった。

 そして、歌声が響きはじめた。

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