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パソコン創世記


逸脱分子の「うた」

富田倫生
2009/9/25

「響く歌声」へ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など


  この時代の揺れに、タケシの入学した高校も共振しはじめていた。

 受験を控えた3年生が比較的大人しく見えたのに対し、2年生にはかなり、タケシの抱いていた高校生像から逸脱し、時代の揺れに共振しはじめた連中が多かった。

 そうした連中が、タケシにはひどく新鮮に見えた。

 彼らの一部は「なれあいうたの会」と称する集まりを開いていた。学校に公認されたクラブでもなく、またもともと公認されようなどとかけらも思っていないこの集まりのメンバーは、利用できそうなスペースがあるとそこに群れはじめ、追い出されるまではしごくあっけらかんとそこに居座った。

 彼らは自分たちの歌をフォークソングとは呼ばず、単に「うた」と称していた。たまり場には常に、ギターが放り投げてあったが、タケシの目にはギターなる代物は単なる楽器ではなく、それ以上の存在に映っていた。

 「うた」を作り「うた」を歌うための道具は、詩をつづるペンであり、自己と向き合うための鏡であり、社会に目を向ける望遠鏡でもあったのである。

 タケシは入学そうそうから、この集まりの輪に加わった。

 逸脱分子を集めた形の「うたの会」は、議論の会であり、表現の会であり、彼らなりの政治の会でもあった。

 1969(昭和44)年10月10日、ベ平連、全国全共闘会議、反戦青年委員会など新左翼系の400団体は、安保粉砕、佐藤訪米阻止などをテーマに、全国53か所で統一行動を行った。

 そのデモ隊列の中に、高校1年生のタケシもいた。

 会場に指定された平和公園内、原爆資料館前の噴水近くには校内の活動家やうたの会のメンバーに加え、これまでには話したこともない、同じ高校に通う学生たちの姿が見えた。

 デモの後尾について歩きはじめたタケシは、シュプレヒコールの文句を単純に繰り返すことはできなかった。「この文句は言えるか言えないか」と1つ1つ首をひねり、納得のいった言葉だけ大きな声で繰り返した。

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 その年の12月、これは学校公認の新聞編集委員会からガリ版刷りのミニコミ紙が発行されはじめた。本丸の学校新聞はそれとして、「自分の考えを人に知ってもらうための私たちの広場だ」と位置づけられたこのミニコミ紙は『しかし』と名付けられていた。当時人気の高かったマンガの主人公の決まり文句「しかし、これでいいのか諸君」をもじって付けたこの紙名に、学生たちは目の前の現実に異議を唱える志を込めていたのだろう。

 そしてこのミニコミ紙上で、活動家やうたの会のメンバー、さらにはその他の学生たちが発言を始める。

 集会への参加呼びかけや公認のクラブでもないのに我が物顔に活動を続けるうたの会への非難、そして自作の詩などにまじって、自らの言葉や行動、日常の1つ1つを検討しようとする発言が現われる。

 そう、ちょうどタケシがシュプレヒコールの文句を1つ1つ内省していったように。

 タケシとともに10月10日のデモの隊列に加わったうたの会のメンバーは、その日の体験を取り込んで『しかし』の創刊号にこう記している。

■□■

 「先日僕はあるデモに参加してみて、と言っても僕たちはうしろの方を歩いていただけであるが(それでも当人は非常に意義のあることだと信じている)それでも機動隊の規制をうけた。畜生メと感じたわけであるが、いっしょにフォークゲリラのギターを持った連中も歩いていたから、まあ当然歌い出したわけである。はじめのうちはかなり白々しくて、うたう気にもなれなかったが、規制をうけるとコンニャロメってわけで『友よ』や『栄ちゃんの』などをうたいだした。また、機動隊がびっしり並んでいる前で『機動隊ブルース』をうたったら、何ていうか『ザマァミロー!』って言うか『これでもくらえ』みたいな感じで非常にソウ快であった。しかし?!……?!

 たしかに歌は現実の闘いの中でうたわれることによって連帯感を生み出し、また闘いにある力を与えることは事実である。そしてその結果、一時、マスコミにもてはやされた〈新宿〉の様な目的に使われるようになることも事実である。もっとも新宿などの場合、もっと他にも問題があるわけであるが。つまり〈うた〉を闘争の武器として使うことによって、そのうた自体の根源的思想とか、また、うたとしての働きをまったく無視、あるいはゆがめた形でしか表現されないということである。このことは政治行動の手段としては、うたの持つ連帯促進の働きや、そのアピールするものを推し出すことによって目的を達するかもしれないが、うたの側から言った場合それは非常に危険なことなのである。うたは街頭における政治行動としてうたわれる時にもその直接的な行動を越えて、歌い、あるいはそれを聞き共に歌いはじめる人々の心をとらえ、魂を呼びさまし、ひとりの民衆としての自分を認識することへとゆり動かして行く。そういう働きをしてこそ本来の使命を持ち得るのであろう。

 つまり〈うた〉は、単に問題提起であると言い切らないで、もっと深い、ヒューマンな感動を持って人々の心をゆり動かしてこそ、意義あるのではなかろうか。そのためにも我々自身のうたを持ちたいものだ。(T・N)」

■□■

 運動の道具として機能する歌の有効性、デモの隊列の中で自らも声を合わせて歌うことの「ソウ快」さを味わいながら、この一文の筆者はそうした自分をもう一度対象化しようと試みている。

 「うた」が道具として機能させられるとき、それの持つ可能性のいかに大きな部分が失われがちになるかをかぎとっている。事実、フォークゲリラ運動は、大阪を中心として数年前から活躍していた高石ともや、中川五郎、岡林信康といったヒーローたちの手になるうたを歌う運動としては華々しく展開したが、運動の中では新しいうたをまったくといっていいほど生み出していない。

 唯一の例外はときの総理大臣、佐藤栄作を揶揄する「栄ちゃんのバラード」であろうが、これは運動の中で歌われたものの中で、間違いなくもっとも底の浅い代物であった。また、先ほどの引用文の「うた」を「自己」に置き換えてみても、かなり示唆的である。

 政治であり、闘争であり、変革であるという。しかしそのための道具として自己が機能させられるとき、いかに矮小な形でしか存在しえなくなることか。

 この高校生は、自ら強く引かれる「うた」を見つめることで、そうした危うさを無意識に感じとっているように見える。

 彼の締めくくりの言葉、「そのためにも我々自身のうたを持ちたいものだ」を少しだけ広げ「我々自身の変革を実現したいものだ」としても、言葉の裏にある精神の改竄には当たるまい。

 そしてタケシはこののち、「我々自身の変革」なる課題と格闘し続けることになる。

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