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パソコン創世記


ヌエのような男

富田倫生
2009/10/5

「失われたユートピアを求めて」へ1 2次のページ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 「私、ヤマギシカイのトッコーに行ってくるわ」

 電話工事の仕事を始めてから最初の春を迎えた1973(昭和48)年の4月、ヨーコが突然言った。

「ヤマギシカイ」も「トッコー」もタケシには初めての言葉だった。

 高校時代、ヨーコが唯一まともに向き合うことのできた教師が、新島による幸福学園設立の呼びかけに応じ、その年の1月、特講を体験していた。彼は妻にも特講を体験してみることを勧め、教師の妻はヨーコにも声をかけた。

 山岸会の設立は、日本が独立した翌年、1953(昭和28)年の3月にさかのぼる。そして、設立当時の会の顔は、独特の養鶏技術であった。

 この養鶏技術が広く知られるようになった経緯は、印象的なエピソードとして伝えられている。

 きっかけは、会設立の3年前、1950(昭和25)年9月3日に関西を襲ったジェーン台風であった。当時はアメリカでの習慣に従い、台風には女性の名前が付けられていたが、そのやさし気な名に反して、この台風は336人の生命を奪い、約4万戸を全半壊させた。

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 当時、京都府の農業改良普及員を務めていた和田儀一は、担当地域の台風による被害調査にさっそくおもむいた。穂を出す間際だった水稲は、ほとんどが倒れてしまっている。すっかり沈みきった気持ちを鼓舞し調査を続けていた和田の目が、ある一画をとらえ、そこで動かなくなった。

 あたり一面の稲がことごとく倒れているにもかかわらず、その一区画では見事に立ちそろっている。和田は、自らの目を疑った。

 付近の農家でたずねると、その田は山岸巳代蔵なる人物のものであるという。

 和田は、山岸を訪ねた。

 山岸によれば、一面の稲のほとんどが倒れたにもかかわらず自らの田の稲が倒伏をまぬかれたのは、農業に不可分の位置要素として養鶏を組み込んだ経営法による成果だという。和田は山岸独自の農業経営法、そしてその大きな柱となる養鶏法に興味を抱き、これを普及させようと心進まぬ山岸を口説いて講演に引き出しにかかった。

 こうして、山岸養鶏はしだいに広く知られるようになった。山岸のもとには、養鶏法を学ぼうとする人が訪れるようになった。しかしそうした人たちに養鶏を技術として伝えることに、山岸は乗り気ではなかったという。

 周囲の者が山岸を説得し、山岸式養鶏普及会の結成の準備を進めているあいだにも、自らの実践してきた養鶏が技術として取り扱われることに、山岸は危惧を覚えていた。

 会結成の当日、山岸巳代蔵は1つの提案を行った。

 「養鶏普及会は実に結構なことであるが、養鶏普及だけの会であり運動であれば、実に危険で、むしろそれなら初めからそんな会を作らない方がよかったと気づくときが必ず来ると思う。皆さんも感じられているように、これは実は、鶏であって鶏ではない。本当は、鶏も含めた根本的な不可欠の大事なものがあると私は考えるのだが」(『Z革命集団・山岸会』ルック社)

 と語り、養鶏の裏にある精神、山岸の言葉によれば「根本的な不可欠の大事なもの」をきわめ、広めていく場としてのもう1つの会、山岸会の設立を呼びかけたのである。

 1953(昭和28)年3月16日、山岸会と山岸式養鶏普及会は20数名の発起人を集めて設立された。

 山岸式養鶏の普及を中心に動きだしたヤマギシは、徐々に活動の中心をシフトさせていく。鶏を飼う技術の改良ではなく、鶏と向き合う、農業と向き合う、いや最終的には生きること全体と向き合う精神の革命へと脱皮していく。

 会設立の翌年からは会報の発行も進められ、1954(昭和29)年12月30日に発行された山岸会、山岸式養鶏会会報には、ヤマギシズムにのっとった社会を実現していくための「世界革命実践の書」が発表された。これはのちに開かれることになる特講のテキストとしても用いられ、ヤマギシズムでいう最後の革命の意を込めたZ革命が、会の真の目的であることが意識されはじめた。

 イズム、つまりは主義――。

 この言葉から人は、どのようなニュアンスを感じとるだろうか。主義と名の付くからにはそこに、自他を峻別する独自の思想的な枠組みが存在し、その主義につくとは、少なくとも考えを組み立てていく基本のところでは、確立された枠組みをそのまま受け入れる、といった印象を持つのではなかろうか。

 「ヤマギシズム」という言葉には確かに「イズム」とはつくものの、その実体においては「主義」という言葉のイメージさせる範疇には収まりそうもない。主義とはすなわち、確立されたもの、揺るぎがたく、裏返していえば硬直化せざるをえないのに対し、ヤマギシズムでは固定化を恐れる。

 山岸巳代蔵の書き残した言葉にしても、いかにも空白が多く、二重にも三重にも、いやいかようにも読み込みが可能である。規範を示してそれに従うことを求めるというよりは、考え方あるいは生き方の基本的な方向付けだけを示し、あとはそれぞれが進んでいくことを求める類のものである。それゆえ、ヤマギシズムを社会化していくZ革命なるものも、固定化したイメージとしてはとらえにくい。

 ヤマギシには独特の用語と、独特の言葉の言い換えがある。たとえば、話すを「放」すとするのも、言い換えの1つである。いや、これを「言葉の言い換え」と表現するのは、不適当かもしれぬ。はなすという言葉に漢字を当てかえることを通じ、はなすという行為自体の検証が行われていることにこそ、注意を払うべきなのだろう。

 独特の用語、独特の言いまわしは、一見ヌエ的に見えるヤマギシを解いていく鍵になる。

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