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パソコン創世記


「陽」の世界への啓示

富田倫生
2009/10/6

「 ヌエのような男」へ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 ヨーコの特講体験から7カ月後、1974(昭和49)年1月、タケシは特講の会場となる春日山に向かっていた。

 京都から奈良線で木津まで南に下り、関西本線を上って新堂駅で下車。駅の南、田んぼのあいだを通る道を抜けしばらく上った小高い丘の上に山岸会の本部がある。

  山岸会はここ春日山に約5万坪、17ヘクタールほどの土地を持っており、ここでもヤマギシズム社会のヒナ型を作っての一体生活が行われている。

 働く者にとって特講に要する8日間の休みをとることは、それほど容易ではない。それゆえ、正月に行われる特講は特に参加者が多くなる。

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 カマボコ型の兵舎のような形をした、木造トタンぶきの本部棟のうち、特講の会場として使われるスペースは、40〜50畳ほどもあろうか。タケシの参加したこの回は、全国から60人ほどが集まり、ストーブをたきながら特講は開始された。

 特講で行われることは、徹底した話し合いである。

 まずテーマが与えられ、そのテーマに沿って参加者が意見を出し合っていく。この作業の目的は、互いに意見をぶつけ合うことにあるのではない。自分の意見に、無意識の前提や思い込みが反映していることにまず気付くよう、話し合いは導かれる。

  そして、自らを「放」し、あらゆる前提をいったん棚上げして調べる、研鑽という行為自体を学ぶことが目指される。

 えんえんと続く話し合いが始まった。

 3日、4日と根を詰めた話し合いが続く中で、タケシはしだいに頭の中がからっぽになるような奇妙な感覚を味わっていた。自分の精神が少しずつ溶け出してゆき、特講に参加している人全体の集合的な意識の中に混ざり込んでしまう。心はしだいに色を失ってゆき、無感動になってくる。厳しい突き詰め合いの中でもまったく腹も立たないが、かといって今の状態が楽しかったり面白かったりするわけでは毛頭ない。

 精神的なエアポケットに落ち込んだように、心は支えを失い宙に浮いている。そしてほんの少しだけ力を加えてやれば自分の精神が全体のたましいの一部になりつつあることを、楽しいと思うこともできれば、不快と感じることもできそうな気がしていた。

  タケシはそれだけを感じながら、宙に浮いていた。

 そして、どれだけその浮遊感に身を任せていたことだろう。内心の声がかすかにささやいた。

 「倒れよう。『陽』の世界へ」

 7日間の特講と1日の補習を終えたあと、タケシは絶えることのなかった〈明日〉を喰う虫からの信号が途絶えているのに気付いた。

 精神にこびりついていたたくさんの殻がポロリとはげ落ち、外気に触れたみずみずしい表面が律動を始める。自分を駆り立てていた坂道が傾斜を失い、踏み出す足の1歩1歩が落ちつきと安定にみちている。

 タケシはこれまでに体験したことのない解放感を味わっていた。と同時に、これまで自分のはまり込んでいた穴の姿を、思い浮かべることができるような気がした。

 大学への進学を拒否し、退路を断ったところで、ヨーコとの、そしてヒカルとの共和国づくりを夢みた。しかし、生きることの意味のすべてが、家庭にあるわけではない。

 手応えのある「今」をつかみとるために、自分を変えるのか、くさびを打ち込み社会を変えようと努めるのか。確かに何かを変えていかなければいけないに違いない。けれど何を変えるのか。変えるといって、どう変えるのか。

 その答えがさっぱり見つからず、焦りだけが心にやすりをかけていたのである。

 「あなたが変われば世界が変わる」

 特講の中で与えられたこの言葉は、タケシの心に啓示として響いた。

 けっして腹の立たない人、常に零位に立ち研鑽しうる人――。そうした新しい人類に、自ら生まれ変わっていく。新人類は同時に、人間の持っている可能性をより幅広く開花させうるはずである。

 「特講を契機として、確かに自分の中に変わりえた部分がある。こうした変化をたくさんの人の中に連鎖反応的に起こしていけば、世の中は変わるんじゃないか」

 タケシには、そう実感できた。

 調和のとれた争わない新人類たちによる社会、山岸のモットーである「われ、ひとと共に繁栄せん」という精神を体現した社会にいたる道が、見えるような気がしていた。

 特講から帰ったあと、タケシは自らが自分に対しても寛容となりうるのを感じとっていた。

 「すべては、ここから始めればよい」

 タケシには、そう思えた。過去の選択を悔いることも、今ここに立っていることを焦ることもない。今ここにいる自分が、ただ始めればよいのだと。

 1974(昭和49)年、タケシが特講を体験したこの年の7月にタエコが生まれた。このころ、九州日本電気では、後藤富雄が草むしりと評価用キットの日々を過ごしていた。

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