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パソコン創世記


マイコンのお目ざめプログラム

富田倫生
2009/10/22

「マイコン基礎講座」へ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 『マイコン基礎講座』は、TK-80タイプのワンボードマイコンを対象として書かれており、他の機種への配慮も見られるものの、記述のほとんどは2年半あまり前に日本電気から発表されて爆発的なブームを呼んだTK-80を頭に描いて行われていた。

 タケシはこの本と出会うまで、マイコンなりパーソナルコンピュータなりの言葉には、ほとんどなんのイメージも持っていなかった。新聞や雑誌で、そうした文字を目にしたことはあったのかもしれない。

 しかし特講を体験して山岸会と出会い、新島淳良の幸福学園運動に共鳴し、ヨーコとの精神的格闘、そして豊里実顕地への参画にいたるこの時期、タケシの心にはパーソナルコンピュータは入り込んでいない。

 それまでにも、従来のコンピュータ、つまりは大型コンピュータに対してなら、多少のイメージはあった。

 高校の自主講座では数学の教師が科学技術計算用の高級言語、フォートランの基礎を解説してくれた。京都大学の大学院で数理工学を専攻し、日本IBMに入社した従兄弟からも、何度かコンピュータの話を聞かされたことがある。

 だが、タケシの心の中で、コンピュータなる言葉は明るく響いていたわけではない。確かにコンピュータの自主講座には欠かさず出席していたし、従兄弟の話を聞いても純粋に知的には面白そうに思う。しかしコンピュータという言葉は、何よりも管理、支配といった言葉と結びついているように感じた。

 国民1人ひとりに特定の番号を割り振り、その人物にまつわるあらゆる情報を統合的に管理しようとする国民総背番号制。そうした情報の管理、それにもとづいた国民の支配を実現するためには、コンピュータの存在は不可欠である。

 そしてこのコンピュータはきわめて高価で馬鹿でかく、空調のほどこされた専用の電算機室に鎮座ましましている。そうした環境を準備しうるもの、タケシの目からは天文学的な金額を支払いうるもののみが、この道具を利用することができる。

 タケシにとって、そして多くの若者にとって、コンピュータは管理、支配の代名詞的存在であった。

 1964(昭和39)年にカリフォルニア大学のバークレー校で始まり、1960年代後半の世界的な学生運動の源流となったフリースピーチ運動。この運動の中で生まれた替え歌の中には、大型コンピュータの代名詞的存在であるIBMが、まさに管理・支配のシンボルとして歌い込まれている。学生たちは「旦那、あんたの富などほしくない」のメロディーに合わせて、こう歌ったのである。

  IBMの機械がやみくもに与えてくれる

  マスエデュケーションなどほしくない

  ただ人間らしく扱ってほしいだけ

  精神の自由において

 コンピュータ、その代名詞であるIBMは、替え歌の中で繰り返し繰り返し登場する。ベートーベンの第9のコーラスに、学生たちはこんな詞をあてた。

  学問のために学生を保護し

  彼らを上品に、清潔に保つ

  これこそ大学の存在理由

  IBMの機械に栄光あれ

 賛美歌111番「おお、来れ、すべての信ずる者」は、次のように改竄された。

  おお、来れ、すべての無思慮な者

  無分別な者、いくじなし

  おまえの正直をIBMに売り渡せ

 (以上3つは、『時代はかわる』新報新書「バークレーよりのうた」 マーウィン・シルバー著、久保まち子訳より)

 管理や支配といった言葉と強く結びついている、コンピュータ。ところがどうだろう『マイコン基礎講座』の著者、小黒正樹はマイコンといえどコンピュータであるという。あまつさえ、マイコンで「何ができるのか」ではなく「何をするか」が問題であるとし、コンピュータに対して使う側が主体性を持つべきだという。

 タケシは小黒のいうニュアンスを即座には理解できないままに、読み進んでいった。

 TK-80の発表から2年4カ月後、ワンボードマイコンのブームがいささか収まりかけた時期にこの本を出版した小黒は、いささか皮肉な仕掛けを凝らしていた。

 「ある統計によると、売れたマイコンキットのうち実際にいま稼働しているのは、3割に満たない」と断ったうえで、マニュアルやカタログの問題点に触れ、マイコンの勉強法をひとくさり解説し、具体的な内容には「マイコンよ目をさませ」と題して入っている。

 キットを買ってきて2、3カ所火傷を負いながら、まずは組み立ててみる。しばらくはマニュアルに掲載されたプログラムのリストをキーから打ち込んで遊び、それからほったらかしにされたTK-80を目覚めさせようというわけだ。

 ねじ類を締めなおし、はたきで軽くほこりを払う。さらに絵を描くときに使う筆で、回路上の細かいところまでほこりを払っていく。はんだ付けをした箇所やビニール線の確認、次に電源をチェックしていく。

 動作がおかしいときの原因と対策もかなり詳細に書かれているが、続いて紹介されるこの本の最初のプログラムも面白い。「マイコンのお目ざめプログラム」では、TK-80に付いている表示装置、7セグメントのLED上にまずは両まぶたを表示する。次にこれが3度目をパチクリさせたあと、右目でウインク。続いて「OHAYOU」の文字が1文字ずつ現われる。

 OHAYOU――。

 おはよう――。

 お早う――。

 タケシはマイコンなるものに興味を持ちはじめた。この本をむさぼるように読んでいった。

 意識下で、1つの言葉が響きはじめた。はじめはかすかに。そして次第に、強く、強く、強く。

 お早う!

 自分が強く引かれつつあるものを、タケシはうまく言葉で表わせたわけではない。ただ、「これで何かできるのではないか」というもやもやとした夢のようなものが自分の中で大きく膨らんでくる昂揚感には、確実な手応えがあった。

 何をやるかは、自分で考えればよい。

 タケシはこの道具が、自らの能力、自らの知脳を拡大してくれるのではないか、という、予感を抱くようになった。

 何か課題がある。すると、それを解決するための手順を、頭の中で組み立てる。普段ならその手順に従って、ほとんど無意識のうちに1つ1つの処理を自らの頭を使って行っていく。ところがコンピュータを使えば、勝負は手順の組み立てまでで終わる。

 これまで頭でやっていた1つ1つの処理は、すべてコンピュータに任せておけばよい。それこそ人間の頭とは比べものにならないスピードで、処理は進められていく。そして、〈魔法〉が演じられる。

 人間なら、同じ処理の繰り返しには必ず飽きてくる。同じ処理手順を何千回、何万回と繰り返すといった方法は、とてもとれない。少なくとも、とりたくない。何十年もかけて円周率を追いかけた中世や近世の数学者の労には敬意を表するにしても、その人生は魅力的とは思えない。ところがコンピュータと手を結べば、こうした消耗戦も苦もなくこなしていける。

 要するに、課題達成のための手段が、大いに広まったことになる。自らの組み立てた手順に従って処理を進めるという意味では、コンピュータは使う側の能力や知識を映す、何やら脳の知的な鏡といった性格を持つようだ。そしてこの鏡は、単に脳を映すだけでなく、その姿を何倍にも拡大してくれる。

 人間は、さまざまな道具を発明して、自らの能力を拡大していった。自分の足で走る代わりに馬に乗ることを覚え、馬車で人を運ぶ術を身につけた。生身の馬に代わって〈鉄の馬〉、汽車を発明し、自動車を生み出した。

 鋤や鍬を使って手の技をより有効に用いることを覚え、その延長上に数々の道具が生まれ、その最先端には今、ロボットが立つ。

 おそらくは文字の発明や各種の計算機など、脳の働きを強化する機能を備えた道具も、これまでに人間はいくつか手にしてきたのだろう。しかし、コンピュータは、それらとは桁違いの力を人間に与えてくれそうだ。

 タケシにはそう思えてきた。

 いまだ霧の中にかすんではいるものの、タケシはコンピュータの向こうに、新しい世界に通じる入り口が見えはじめたような気がしていた。

 人間の情報処理能力を飛躍的に増大させるコンピュータ。この道具はおそらく人間それ自体をも変えずにはおかないだろう。ほんのわずかな情報処理能力しか持たないとき、人間の思考の枠組みはほんの貧弱なものとしかなりえない。さらにその枠組みに新しい情報がつぎつぎに取り込んでいかれないとすれば、枠組みは固定化した陳腐なものにならざるをえない。人は往々にして、狭小な想念に縛り付けられたまま生きざるをえない。だが、1人ひとりの人間が強力な情報処理の道具を活用できるようになれば、事情はかなり異なってくるのではないか。

 異なった意見を持った者同士のあいだで意思決定を行うさいも、それぞれが自分の意見に対して持っている思い込みの強さやそれこそ声の大きさによって決定が行われるのではなく、異なった意見を自分の枠組みに取り込み、より高い次元で意思を決定していく態度が定着していくのではないか。

 「ヤマギシズムでいう『零位に立つ』という態度と、個人が情報処理の道具を駆使していく行為とはどこかでつながってくるのではないか」

 タケシにはそう思えてきた。

 「あなたが変われば世界が変わる」

 かつて特講で受けた啓示が、タケシによみがえってきた。コンピュータ技術を駆使して人間の持っている可能性をより幅広く開花させ、また常に零位に立ちうる人。そうした新人類に生まれ変わっていくことで、新しい世界へ一歩近づけるのではないか。1人ひとりの人間の持つそれぞれの求めにコンピュータ技術を奉仕させることで、人間は次のステージの切符を手にし、そして社会も変わりうるのではないか。

 豊里を去り、一度閉ざされかけた〈明日〉への道が、タケシにはもう1度見えてきたような気がした。

 今やコンピュータ技術は、個人が手を伸ばすことのできるところに確かに存在しているのである。

 かつてこの技術が国家や独占的な資本に占有されていた時代、コンピュータが管理・支配の代名詞となっていたのも当然だろう。なぜなら、そうした機構においてもきわめて貴重だったコンピュータは、その機構の目的にもっとも適合した形でもっとも効率よく使われることが不可欠だったからである。管理・支配を大きな達成課題とする機構にコンピュータ技術が独占されている時代、コンピュータは管理・支配の強力な武器としてのみ機能せざるをえない。

 だが今や、独占の壁は崩れ去っているのである。もちろんこれ以降も、コンピュータは管理のための強力な武器としても機能していこう。しかしパーソナルコンピュータを通じてコンピュータ技術に接近していくことで「少なくとも相手の手の内は知ることができる」とタケシは考えていた。

 それに何よりも、コンピュータは管理のための武器として機能し続ける一方で、個々人もこの道具を思い通りに使うことができる。今や、自分のどんな能力にも奉仕させることができるではないか!

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