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パソコン創世記
原爆による自滅から人類を救う道具の夢

「連想索引」という新しい仕組み

富田倫生
2009/11/9

「電子式数値積分計算機=『ENIAC』」へ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 目指すべき機械化された個人用のファイル・図書管理システムを、仮にメメックス(memexと名付けたブッシュは、この装置の具体的な仕様を思い描いた。

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 メメックスは一見すれば、傾いたディスプレイとキーボード、ボタンやレバーの付いた机である。机の中には情報処理機械と、マイクロフィルムを使った大容量の記憶装置が仕込まれている。記憶装置の容量の想定は、1日に5000ページ分の情報を入力したとしても満杯になるまでに数百年はかかろうという規模である。ユーザーは心置きなく文字や手書きのメモ、写真などを自分で入力できるが、たいていの場合はマイクロフィルム化して売られている書籍や雑誌、新聞、写真や絵画などを装置に差し込んで参照する。当然ビジネス文書なども、マイクロフィルムで交換できる。

 メメックスの機能の中で特に重要であるとブッシュが考えたのが、参照の機能である。一般的な索引の機能を組み込むことはもちろんだが、加えて彼は「連想索引★」という新しい仕組みを装置に持たせようと考えた。ユーザーは互いに関連すると思った項目に、任意に「経路」をつけることができる。いったん経路がつけられると、ディスプレイに片方の項目が呼び出されている際は、いつでもボタンのひと押しでもう一方の項目を呼び出すことができる。

 ★この「連想索引」の機能は、まさにマッキントッシュのハイパーカードが提供するリンクの機能に他ならない。後生の者は、ハイパーカードの実物にたまげてから、時間軸をさかのぼってこの技術にいたるリンクをたどり、テッド・ネルソンのハイパーテキストのアイディアがあったことを知る。さらに念を入れてリンクを手繰れば「思考のおもむくままに」にたどり着き、そもそもヴァニーヴァー・ブッシュがこんなことを言いはじめたことを発見してまたまた驚くという仕掛けになっている。

 こうした連想索引を駆使すれば、法律家は自分の考え方と友人たちの経験、下された判決を関連づけて膨大な判例の海の中から求める情報を速やかに取り出すことができる。弁理士は作成済みの経路をたどって、特許資料の山の中から必要なものを即座に選び出せる。医師が的確な判断をただちに下し、科学者が文献の山から求める論文を選び出すにも連想索引は威力を発揮する。歴史家が膨大な年代記の中から重要事項の連想索引を作り上げれば、ある文明の全体像を素早く概観するようなこともできるようになるだろう。

 そして「人類がそのおぼろげな過去をもっと明確に振り返ることができるようになり、その現在の問題を完全かつ客観的に分析できるようになれば、人間の精神は向上する」(「思考のおもむくままに」前出『ワークステーション原典』)のではないか。

 人類が争いによる自滅を免れるとすれば、メメックスのような道具が何らかの用を果たすのではないかと、原爆の投下を目前に控えた時点でブッシュ★は考えた。

 ★1890年にマサチューセッツの牧師の子として生まれたヴァニーヴァー・ブッシュは、タフト大学に籍を置いていた1912年に、地形の断面図を描き出す装置を開発して特許を取っている。測量の簡素化を狙って開発され、プロファイルトレーサーと名付けられたこの装置の外見は、手押し式の2輪車である。この装置を押していくことで、記録紙に地形の断面図を描き出すことができた。

 卒業後ブッシュは、ゼネラルエレクトリック、海軍を経てタフト大学で教鞭をとり、1919年にMITに移った。のちに同大学の副学長を務めるブッシュは、ここでプロダクトインテグラフと名付けた積分の自動計算機を開発している。積分すべき曲線を紙に手書きし、これを装置にかけてポインターで線をなぞっていくと、複雑な計算を要する処理結果が得られた。さらにブッシュは、電力網における一時的な電力の減衰や停電に関する問題を解明しようとする中で、複雑な方程式を解く必要に迫られ、1930年頃、微分解析機(ディファレンシャルアナライザー)と名付けた汎用自動計算機の開発を行った。この微分解析機は、1940年代におけるコンピュータの開発につながっていく記念碑的成果の1つだった。

  こうした経歴を確認したのち、メメックスの構想を見直すと、あらためてブッシュの「本気」が伝わってくる。ブッシュがメカニズムを用いてメメックスを実現しようとしている点は、現時点で振り返って一見すれば構想の非現実性を印象づけるかもしれない。だが彼は工学研究者として現役だったコンピュータの誕生以前、メカニズムを駆使してさまざまな解析機械、計算機械を事実作ってきていたのである。1974年、インテルが8080を発表した年にブッシュは没している。

  なお、ブッシュの開発したさまざまな機械の姿は、『A COMPUTER PERSPECTIVE 計算機創造の軌跡』(The office of Charles and Ray Eames著、山本敦子訳、アスキー、1994年)で見ることができる。

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