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パソコン創世記
日本電気のセールスエンジニア、部品となったコンピュータと出合う

ドクター・ドブズ・ジャーナル

富田倫生
2009/11/24

「トレーニングキット「TK-80」」へ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 部品のコストを積み上げていくと10万円以下の定価に抑えるのはかなり難しかったが、教材として広く利用してほしいと願い、ここでは渡辺が腹をくくった。8万8500円と定価設定されたTK-80は、1976(昭和51)年8月に売り出された。

 月に200台程度と踏んでいたTK-80だったが、これが予想を超えるペースで、期待していなかった人たちにまで売れはじめた。あわてて月産台数を引き上げて、ようやく月に1000台を超える需要に応えられるようになった。電気製品やさまざまな分野の機械に組み込んで使ってもらうため、まずマイクロコンピュータの感覚をつかんでもらおうと作ってみたTK-80だったが、買い求めた人の中からは、このシステムを自分で所有して自由に使うことのできるコンピュータとして使う人たちが現われた。

 マイクロコンピュータを使って自分だけのコンピュータを作ろうとするマニアたちが、アメリカに存在していることを、後藤たちはすでに知っていた。新しい部署が設立された1976(昭和51)年の5月、マイクロコンピュータにかかわる新しい動きをつかもうと、渡辺和也は日本情報処理開発協会の視察団に加わり、2週間にわたってアメリカに出張してきた。

 渡辺の加わったグループは大手の電機メーカーや半導体企業を訪れる代わり、キット式のシステムを出しはじめたばかりの小さな会社や、マニアたちのクラブを選んで訪ねていった。

 サンフランシスコ郊外のメンローパークにある、ピープルズ・コンピュータ・カンパニーという団体では、『ドクター・ドブズ・ジャーナル(DDJ)』というホビイスト向けの雑誌を出しはじめていた。一行とともにジーンズに長髪の連中がたむろする彼らの事務所を訪れた渡辺は、雑誌のバックナンバーを求め、定期購読の手続きを取って日本に送ってもらうことにした★。

 ★1976年5月19日の日本のネクタイ族の訪問は、ピープルズ・コンピュータ・カンパニーのメンバーにとっても大きな驚きだった。日本情報処理開発協会、マイクロプロセッサ応用研究チームと名乗る一行は、慶応大学の高橋秀俊教授をはじめ、日立、富士通、そして日本電気のまともな〈大人〉たちばかりからなっていた。

 中でも特に彼らが驚かされたのは、まっとうな企業も数多く存在しているシリコンバレーの中で、一行が彼らとキット式のコンピュータを出しはじめたばかりのIMSAI社のみを訪ねた点だった。こうした一行の目の付けどころに彼らがどんなに驚かされ、また喜んだかは、この段階ではまだ遅れ遅れの発行となっていた『DDJ』の1976年5月号に、「JIPDEC VISIT PCC」のタイトルでまとめられている。

 送られてきた雑誌は、マイクロコンピュータのシステムにいろいろなソフトウエアを載せて自分のためのコンピュータとして使おうとする記事であふれていた。『DDJ』で、パーソナル・ホーム・コンピューティングにテーマを絞ったフェアーが開かれることを知った後藤は、出張を願い出て1977(昭和52)年4月、サンフランシスコに飛んだ。

 15日のセミナーから始まって、16、17日の2日間、サンフランシスコ・シビック・オーディトリアムで開かれた第1回ウェスト・コースト・コンピュータ・フェアー(WCCF)には、小さなベンチャー企業が中心だったが200社以上がブースを並べていた。参加者は、主催者側の予想をはるかに上回る1万3000人を数えた。自分のためのコンピュータを追い求めようとするホビイストたちの熱気で、すし詰め状態となった会場はむせ返っていた。

 TK-80を包みはじめた小さな流れは、ここアメリカではすでに急流となっていた。

 きっかけを作ったのは、電卓の組み立てキットでちょっとした成功をつかんだニューメキシコ州アルバカーキーのMITS(マイクロ・インストルメンテーション・アンド・テレメトリー・システムズ)社が、起死回生を狙って送り出した新製品だった。

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