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パソコン創世記
ビル・ゲイツ アルテアにベーシックを書く

マイクロソフトの誕生

富田倫生
2009/12/8

「ポール・アレンとアルテア」へ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 アルテアには256バイトのメモリーしかなかった。ただしこのマシンには、メモリーを増設するためのスロットと呼ばれる仕掛けがあった。コンピュータ内部の信号の通り道として使われるバスへの接続口が、あらかじめ用意されていた。

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 MITSはスロットに差し込むことで、4K(4096)バイトのメモリーを追加できる増設ボードの発売を予告していた。

 256バイトでは、機械語でほんの短いプログラムを書くしかなかった。だがあと4Kバイトあれば、ベーシックで書いたプログラムを機械語に翻訳するためのソフトウエアを載せることができるはずだった。

 通常ベーシックは、プログラムを1行ずつ機械語に翻訳していくインタープリターと呼ばれる形式をとっている。このベーシックインタープリターを8080用に書くことができれば、アルテアで機械語よりははるかに取っつきやすいベーシックを使ってプログラムが書ける。アルテアを欲しがる人なら、当然アルテア用のベーシックインタープリターも欲しがるだろう。

 そう考えた2人は、数日後、MITSのエド・ロバーツに連絡をとるために、アルバカーキーに長距離電話を入れた。

 アルテアで使えるベーシックを提供できるが関心はないかと持ちかけられたロバーツは、それが使い物になるなら契約しようと答えた。『ポピュラーエレクトロニクス』の記事が出て以来、MITSにはおびただしいマシンへの問い合わせとともに、アルテア用のベーシックに興味はないかとの電話がすでに何本か入っていた。

 8080用のベーシックをもう書き終えているとはったりをかましたアレンとゲイツは、即座に開発作業に取りかかった。アルテアの現物を持っていない2人は、トラフォデータで使った手をここでも繰り返した。

 マニュアルを手に入れ、アレンが大学のPDP-10で8080をシミュレートするプログラムを書いた。ゲイツはベーシックの仕様を決め、翻訳プログラムを書き、PDP-10の上に機能だけを再現された8080を使って動作を確かめた。

 設計の目標は、必要な機能は持たせながらベーシックを徹底的に小さく仕上げ、早く動作させることにあった。

 4Kバイトのメモリーの増設を前提としてはいるものの、ベーシックを機械語に翻訳するプログラムがスペースをフルに埋めてしまえば、肝心の仕事をさせるためのプログラムを入れる余地がなくなる。ゲイツはいったん書き上げたベーシックインタープリターを刈り込み、規模を抑え、スピードを高める作業により多くの時間をかけた。

 およそ8週間の集中した作業の末、1975年の2月下旬に、アレンは仕上がったベーシックを収めた紙テープを持ってアルバカーキーへ飛んだ。この日にいたるまで、2人はアルテアの実機では、ついに一度もベーシックの動作を確かめられなかった。MITSには、テレタイプをつないだアルテアがあった。紙テープをテレタイプに読ませて翻訳プログラムを送り込むと、アルテアからの反応が返ってきた。

 「2+2の答えを表示せよ」

 テレタイプからベーシックの文法でそう送り込んでやると、4と答えが返ってきた。

 まったくのぶっつけ本番で、ゲイツのベーシックは動作した。

 ロバーツは実用性に関してはかなり疑わしく、信頼性にも乏しい自分たちの組み立てキットで、ベーシックが事実動いたことに有頂天となった。

 これなら「市販のモデルに肩を並べる世界初のミニコンピュータキット」という『ポピュラーエレクトロニクス』の謳い文句が、本物になってしまうとはしゃぎ回るロバーツのかたわらで、アレンは興奮を抑え平静を装うのに苦労した。

 ゲイツはその後もベーシックのバグ取りと機能の拡張を進め、アレンはこの年の春、ロバーツからの申し入れを受けてMITSのソフトウエア部長となった。

 もう一方でアレンはゲイツとともにアルバカーキーにマイクロソフト社を設立し、1975年の7月にはアルテア用のベーシックの正式な供給契約をMITSと結んだ★。

 ★マイクロソフトの設立から発展にいたる経緯は『マイクロソフト -ソフトウエア帝国誕生の軌跡-』(ダニエル・イクビア/スーザン・L・ネッパー著、椋田直子訳、アスキー、1992年)に詳しい。同書ははじめ、フランス人のジャーナリストであるダニエル・イクビアによってフランス語の本として書かれ、アメリカ人のライター、スーザン・ネッパーによって英語の本に「翻案」された。ネッパーは英語版の前書きにあるように、「マイクロソフト社の驚異的成功の道筋が1冊の本にまとまれば、アメリカ人もむろん読みたいと思うだろう。それなら誰かが英語でその種の本を書けばいいのではないか。しかし、イクビアの著作を翻訳すれば、ゼロから調査を始めることなく、彼の労作の恩恵を受けることができる」と考えた。ジェームズ・ウォレスとジム・エリクソンの書いた『ビル・ゲイツ 巨大ソフトウエア帝国を築いた男』(SE編集部編訳、奥野卓司監訳、翔泳社、1992年)も同社の歩みをじつに丹念に、しかも同社よりの史観にもとづいた『マイクロソフト』よりももう少し公平な観点から跡付けている。『マイクロソフト』の刊行以降に書かれた『ビル・ゲイツ』は、先行した著作を重要な参考文献とし、その成果を汲みながら、これを乗り越えようとした仕事である。

 さらにこのあとには、ステファン・メインとポール・アンドルーによる大作、『帝王の誕生』(鈴木主税訳、三田出版会、1995年)が控えている。個々の記述に対する詳細な情報ソースの一覧と索引を付した同書は、いかにも決定版を思わせるが、これで打ち止めとなるはずはない。パーソナルコンピュータの本家であるという事情がまず一義的に大きいという点は承知しているが、ある著作が踏み石となってつぎつぎと前の仕事を乗り越えようとする作品が書かれるアメリカの状況は、端から見ていて何とも元気があってよろしい。

 
翻って日本のパーソナルコンピュータジャーナリズムは、そんなものがあるのかと胸に手を当てて聞いてみたいほど貧弱である。書くとすれば、まずは、最大のテーマと衆目が一致するはずのPC-9801の誕生についてだが、まとまった仕事は唯一『100万人の謎を解く ザ・PCの系譜』(コンピュータ・ニュース社編、奥田喜久男 監修、同社刊、1988年)所収の「市場制覇への道を切り拓いた戦士達 その決断と挑戦の歴史」(田中繁廣 著)を数えるのみではないだろうか。

 筆者がうるさいほど注でおしゃべりを繰り広げているのは、資料の在り処をせっせと示しておくことで、次に歴史をたどろうとする人の道案内ができないかと考えているのが1つの理由である。もっとも最大の理由は、単におしゃべりであるというだけではあるが。

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