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パソコン創世記
日本電気、電子計算機本流の系譜

「電子計算機の気持ちが分かる」

富田倫生
2009/12/22

「日本電気のコンピュータへの取り組み」へ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 構造がきわめて単純で丈夫なパラメトロンを用いれば、生まれたばかりのトランジスターはもちろん、これまでの真空管に比べても計算機の回路を大幅に安く作れるだろうと期待が集まった。その一方でトランジスターに比べるとスピードが上がらないという欠点もあったが、一時期パラメトロンは真空管に代わる次世代の素子の有力な候補と目された。

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 寿命の短い真空管を使ったのでは、金もかかるし保守も厄介になる。かといってトランジスターは、値段が高いうえにまともに動くものがなかなか手に入らない。だがパラメトロンなら、すぐにでも電子計算機作りに取り組める。

 本業の通信の技術を進めるために、ぜひとも電子計算機を使いたいと考えていた日本電気の渡部和は、パラメトロンを使えばのどから手の出るほど欲しい計算の強力な道具が作れると踏んだ。

 1953(昭和28)年に入社し、伝送機器工業部で通信機用のフィルターの設計に取り組んでいた渡部は、本業を進めるためにこそ、ひとまず計算機の開発という迂回路をとろうと考えた。

 通信に利用する電波の周波数を高め、より多くの情報を送れるようにするには、さまざまな周波数の中から利用したい特定の波だけをより分けるフィルターの性能を高めていくことが必要だった。だが高度なフィルターの設計には、膨大な計算がつきまとう。配属された部署に置いてあった電動計算機を使っても、精度の高いフィルターの設計には数カ月を要した。

 1955(昭和30)年5月、名古屋大学で開かれた電気通信学会で発表を行った渡部は、学会の副会長として出席していた玉川製造所長の小林宏治(のちの社長、会長)から、学内に設けられた臨時のバス停のそばで「一緒に帰ろう」と声をかけられた。

 駅前の喫茶店に誘われた渡部は、「フィルターが進歩しなければ、日本電気の生命線である通信の技術が進まない」と電子計算機の開発の必要性を小林に訴えた。

 必要なだけではない。条件も整っている。

 トランジスターは時期尚早であるにしても、パラメトロンがある。

 自らも手回しの計算機でフィルターの設計に難渋した経験を持つ小林は、新しい計算の道具が必要であることは重々承知していた。

 1952(昭和27)年から東芝が東京大学と共同で着手した真空管方式のTACの開発計画には、それゆえ期待も関心も持っていた。「動かざるコンピュータ」とあだ名されるほどTACの調整作業は難航し、ひと事ながらあらためて電子計算機の難しさも痛感させられた。だが開発がいかに困難であるにしても、通信を含め、科学技術を今後大きく発展させるには計算の強力な道具が必要であるという事情には変わりはなかった。

 渡部の言うとおり、構造が簡単で動作が安定しており、値段も安いパラメトロンなら、成功の確率は高いと期待できた。

 小林はミルクセーキをストローでかき回しながら、「計算の手順は頭の中にある。その意味では頭の中に計算機はできている。2000万円もらえれば、すぐにでも完成させてみせる」との渡部の訴えに、内心でうなずきかけていた。

 会社の図書室にあった、開発者のモーリス・ウィルクス自身が書いたEDSACの本を読んでいる最中、渡部は奇妙な親近感を電子計算機に抱くようになった。自分自身が行っている計算の作業と、電子計算機の動作原理は、本質的には同じだった。電子計算機をどう構成すればいいか、どんな回路が必要でどうプログラムを組めばいいか、渡部は積み木でももてあそんでいるように素直に理解できた。

 渡部は「電子計算機の気持ちが分かる」と思いはじめていた★。

 ★電気通信学会における渡部の直訴のエピソードは、『自主技術で撃て』(中川靖造著、ダイヤモンド社、1992年)に記録されている。日本電気の歴史を総ざらいする中から、電子大国日本の素顔をかいま見たいという壮大な目標を立てた中川は、現役、OB合わせて百数十名の同社関係者を取材し、データ原稿を3000枚以上起こし、『自主技術で撃て』と姉妹編の『技術の壁を突き破れ』(同前)にその成果をまとめている。通信、半導体と並んで、この連作には同社のコンピュータの開発史が豊富なエピソードを盛り込んで詳述されており、パーソナルコンピュータの誕生から発展にいたる経緯にも触れられている。

  直訴の顛末は、渡部と小林へのインタビューをもとに『日本のコンピュータ開発群像』(臼井健治著、日刊工業新聞社、1986年)にも詳述されている。

  日本電気のコンピュータ開発の歴史をさらった記録には、前出の『日本のコンピュータの歴史』所収の宮城嘉男による第3部、第4章の「日本電気」、『bit別冊 国産コンピュータはこう作られた』(相磯秀夫/飯塚肇/大島一純/坂村健編、共立出版、1985年)所収の発田弘による第II編「日本電気」、『情報処理』(情報処理学会編、オーム社)1976年9月号「日本電気における計算機開発の歴史」(金田弘)などがある。

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