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パソコン創世記
英語版アストラで米国小型機市場を目指せ

パソコンが仕事の道具に生まれ変わる

富田倫生
2010/1/22

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 ITOSの目指した方向は、コンピュータのパワーをより幅広い人たちに活用してもらおうと考えれば、当然の帰結だった。

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 だがこうした日本電気の試みの前には、大きな障害が2つ待ち構えていた。

 新しい機能を大幅に盛り込んだITOSは、従来のシステム100用の基本ソフトに比べ10倍ほどの規模に膨れ上がっていた。その大規模なソフトウエアに、プログラム上の欠陥であるバグや、処理速度の足を引っ張る問題点が数多く残されていた。3月中旬、早くも1000台を超える出荷達成にオフィスコンピュータの部隊が成功の手応えを感じはじめたころから、導入先からのクレームが聞こえはじめた。

 「作業中に、突然システムが動かなくなった」

 「たくさんの端末を同時に使うと、極端に処理が遅くなってしまう」

 こうした苦情が、枯れ草の野に火を放ったように、いっせいに全国から殺到した。

 従来使ってきたソフトウエアが新しいハードウエアでは利用できなかったことから、これまでのものに戻して急場をしのげなかったことは、事態の深刻さにいっそうの拍車をかけた。

 情報処理企画室長の石井善昭が先頭に立って、日本電気は火を噴いた非常事態への緊急対応体制を敷いた。日本電気にとって、事はいち小型コンピュータ部門のトラブルにとどまらなかった。システム100は、困難続きの同社のコンピュータ事業の歴史の中で、初めて輝きだした希望の星だった。

 だがアメリカ市場に待ち構えていたのは、本質的にはITOSの巻き起こした混乱よりもさらに強固で丈高い壁だった。

 自分のためのコンピュータを作り、まず動かしてみることそのものを目的としたパーソナルコンピュータは、小規模ビジネス用の市場をアストラで切り開こうと狙っていた浜田たちの視野の外にあった。

 ところがそのパーソナルコンピュータが、アメリカでは仕事の道具として使われようとしていた。実務に役に立つ道具として受け入れられはじめたパーソナルコンピュータの勢いは、じつに目覚ましかった。アストラの前に立ちふさがる壁は、日一日と高さを増していった。

 もしもこのパーソナルコンピュータが、日本でも仕事の道具として使われることになればどうなるのか。

 最悪のシナリオを描けば、パーソナルコンピュータはアストラのアメリカ進出の出鼻をくじくだけでなく、日本でシステム100の足下をも脅かす恐れがあった。

 ITOSが火をつけたオフィスコンピュータ事業の危機を乗り切るために石井善昭が陣頭指揮を取る一方で、情報処理企画室計画部長、浜田俊三は、アストラでアメリカ市場に橋頭堡を築こうと奮闘していた。

 情報処理企画室は、日本電気のコンピュータ事業全体の戦略作りをになっていたが、最下位のオフィスコンピュータ部門だけは、小型システム装置事業部が製品計画から営業支援までを取り仕切っていた。

 だがNECISによるアメリカ市場への切り込みに携わったことから、浜田は引き続いてアストラにかかわることになった。NECISの製品計画、現地の販売チャネルの構築、日本からの営業支援を担当していた浜田は、繰り返しアメリカを訪れ、アストラの前にパーソナルコンピュータが立ちふさがろうとしている事実を肌で感じとっていた。

 パーソナルコンピュータは、仕事の道具に生まれ変わりつつあった。

 きっかけを作ったのは、ビジネススクールの学生だったダニエル・ブリックリンがアップルIIを使って書いた、ビジカルクと名付けられたプログラムだった。

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