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パソコン創世記
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ゲアリー・キルドール

富田倫生
2010/1/29

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 1942年にシアトルに生まれたゲアリー・キルドールは、高校を終えた1960年から2年間、祖父の設立したキルドール航海学校で父の後を継ぐべく、講師として働きはじめた。その後、非常勤で講師を続けながらワシントン大学でコンピュータ科学を学んだキルドールは、徴兵を前に海軍に志願する道を選んだ。この選択によって彼は、ベトナムに送られる代わりシリコンバレー近くの海軍大学大学院でコンピュータを教えながら研究を続ける道を確保した。海軍在籍中にまとめた論文でワシントン大学から博士号を得た直後の1972年、キルドールは兵学校の掲示板で、インテルの4004の「チップ上のコンピュータ――25ドル」という広告を見た。

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 たった25ドルの部品化されたコンピュータに、キルドールは興味を引き付けられた。

 これを使って作ってみたいシステムのアイデアも、すぐに湧いてきた。

 航海時に必要な計算を行うシステムが、4004を使えばごく安く作れると閃いた。

 インテルから送ってもらったマニュアルをもとに、キルドールは航法プログラムをはじめ、4004用にいくつかプログラムを書いてみた。近くにあったインテルのオフィスにも、キルドールは顔を出すようになった。キルドールの発想と能力に興味を持ったインテルは、彼の書いた数式処理のプログラムと交換に、4004のソフトウエア開発キットのプロトタイプを提供した。4004で動かすプログラムの開発用に、インテルは最低限の周辺回路を組み合わせ、テレタイプから入出力できるようにした簡易システムを準備していた。

 1972年4月、インテルは4004に続いて8008を発表した。インテルのコンサルタントになっていたキルドールは4004で自分自身苦労した体験を踏まえ、8008以降はソフトウエアを書きやすくするための開発環境をインテルが自ら準備しておくべきだと主張した。ソフトウエアが書きやすくなれば、マイクロコンピュータの売れ行きが伸びるという読みには、インテルも同意した。

 キルドールが具体的に提案した環境整備のテーマは2つあった。第一は、タイムシェアリングされているミニコンピュータ上で、8008の動作をシミュレートするプログラムの開発だった。こうしたソフトウエアが用意できれば、入出力用の周辺機器のそろったミニコンピュータを使って8008のプログラムを書くことができた。

 提案の第ニは、高級言語を8008用に開発しておくことだった。インテルは機械語に近いアセンブリー言語は提供していたが、より使いやすいものを用意してやれば、プログラミングをかなりやりやすくすることが期待できた。キルドールは、大型で使われてきた言語のPL/1の規模を縮小したものをあらたに書きなおし、これをPL/M(Programming Language for Microcomputer)と呼んだ。

 続いて発表された8080用にも、キルドールはインタープと名付けたシミュレーションプログラムとPL/Mを書いた。この2つを組み合わせれば8080用のプログラムはかなり書きやすくなったが、この開発環境を利用するためにはミニコンピュータが必要だった。インテルはこれまでの製品と同様、8080でも最低限の周辺回路を組み合わせた開発システムを作っていた。紙テープで記録を取るしかないテレタイプが唯一の入出力装置だったこうしたシステムの使い勝手は、ミニコンピュータにははるかに及ばなかった。

 だが8080のプログラムを書きやすくするという観点からは、手軽なシステムでもPL/Mを使えるようにすることには意味があった。

 IBMがパンチカードの代わりとして開発したフロッピーディスクがマイクロコンピュータを使ったシステムで利用できれば、ミニコンピュータに頼らずに、プログラムが簡単に書けるようになるとキルドールは考えた。

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