自分戦略研究所 | 自分戦略研究室 | キャリア実現研究室 | スキル創造研究室 | コミュニティ活動支援室 | エンジニアライフ | ITトレメ | 転職サーチ | 派遣Plus |

パソコン創世記
英語版アストラで米国小型機市場を目指せ

キルドールのCP/M

富田倫生
2010/2/1

「ゲアリー・キルドール」へ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 インテルから数マイル離れたところに生まれたシュガートアソシエーツという小さな会社では、当時、フロッピーディスクのドライブの開発を始めていた。話をしてみると、マーケティングマネージャーのデーブ・スコットは、長時間テストしてベアリングが完全に磨耗した試作装置をスペアーのベアリングを付けて提供してくれた。ハードウエアを設計した経験などまるでなかったキルドールは、筺体も接続ケーブルも電源もコントローラーもないドライブを前にして、途方に暮れた。インテルが用意していた、8080を組み込んだ開発システムのインテレクト-8につなごうと試みたが、うまくやりおおせなかった。たとえうまくつなげたとしても、フロッピーディスクにどう情報を書き込むかを決めるコントロール用のソフトウエアもなかったことから、まずこちらから片付けることにした。

エンジニアライフ
コラムニスト募集中!
あなたも@ITでコラムを書いてみないか

自分のスキル・キャリアの棚卸し、勉強会のレポート、 プロとしてのアドバイス……書くことは無限にある!

コードもコラムも書けるエンジニアになりたい挑戦者からの応募、絶賛受付中

 インテルから依頼された仕事の合間を縫って、キルドールはドライブのコントロールソフトウエアを書いた。DECのタイム・シェアリング・システム用のTOPS-10というOSを参考にして書いたこのソフトウエアを、彼はCP/M(Control Program for Microcomputer)と名付けた。

 ミニコンピュータ上のインタープを使ってCP/Mを書き上げて間もない1974年の秋、知り合いのジョン・トロードがこの話に興味を持って、ハードウエアを仕上げる作業を手伝ってくれた。配線むき出しの接続回路でドライブをインテレクト-8につなぎ、まずテレタイプからCP/Mを読み込ませると、フロッピーディスクの初期化をすませたCP/Mは、準備完了の指示待ちサインをテレタイプに送り返してきた。

 当時、急成長を遂げつつあったインテルは、体制作りに手こずり、すべてのソフトウエア開発プロジェクトが遅れ遅れとなっていた。そんな中でキルドールが新しく提案してきたCP/Mに、インテルは興味を示さなかった。一方、トロードは、制御回路をきれいに作りなおし、8080を使った本体と組み合わせてフロッピーディスクドライブ付きの本格的なシステムを作り、デジタルシステムズ社(のちにデジタルマイクロシステムズ社に改称)という彼の会社から売り出そうと考えた。

 1975年、キルドールはこのデジタルシステムズにCP/Mをライセンスするとともに、インテリジェント端末に使おうと考えたオムロン・オブ・アメリカ社、ネットワーク用のモニタープログラムとして使おうとしたローレンスリバモア研究所と供給契約を結んだ。当初はあまり注目を集めることはなかったが、キルドールは仕事の合間を縫って手直しに努めるとともに、CP/Mを使ってプログラムを書くときに必要になるエディターやアセンブラー、デバッガーなどを書きためていった。

 IMSAIのコンサルタントをしていたグレン・ユーイングから1976年に連絡を受けた段階では、CP/Mはすでに異なった4つのシステムで使われるようになっていた。ユーイングの用件は、IMSAIが「OSはすぐに間に合わせる」としてすでに売りはじめていたドライブ用に、CP/Mを使わせてほしいという依頼だった。悪い話ではなかったが、異なった機種で使えるように4回も手直しを繰り返してきたキルドールは、移植作業に飽き飽きしていた。そこで、個々のハードウエアの特徴に対応しなければならない部分だけをCP/Mの中から抜き出してひとまとめにし、BIOS(Basic I/O System)と名付けたこの部分だけいじれば移植が終わるようにしたいと考えた。BIOSの切り離しは自分でやったが、IMSAIのマシンへの対応は彼らに任せた。

 交渉にあたったIMSAIのルービンスタインは、「2万5000ドルで何本でもCP/Mを使ってよい」とする条件をキルドールが呑んだことに驚かされた。なぜそんなに安売りするのかとたずねると、キルドールは「そうすればもっとたくさんの人がCP/Mを使うようになるから」と答えた。

「ゲアリー・キルドール」へ

» @IT自分戦略研究所 トップページへ

パソコン創世記 バックナンバー

自分戦略研究所、フォーラム化のお知らせ

@IT自分戦略研究所は2014年2月、@ITのフォーラムになりました。

現在ご覧いただいている記事は、既掲載記事をアーカイブ化したものです。新着記事は、 新しくなったトップページよりご覧ください。

これからも、@IT自分戦略研究所をよろしくお願いいたします。