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パソコン創世記
英語版アストラで米国小型機市場を目指せ

マイケル・シュレイヤー

富田倫生
2010/2/3

「ワープロの需要」へ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 ニューヨークでコマーシャル写真のカメラマンをしていたマイケル・シュレイヤーは、広告業界の猛烈主義と欺瞞に嫌気がさして、1970年代の半ばにこの世界から足を洗った。

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 カリフォルニアに移り住んだ彼は、マイクロコンピュータを使ったシステムに興味を持ち、ホビイストのグループに加わるようになった。この集まりでシュレイヤーは、プログラムを書く際に入力や訂正作業に使えるユーティリティーを集めたものをもらった。プログラムは自分で書くのが当然の当時のホビイストにとって、このソフトウエアは便利な小道具だったが、シュレイヤーは自分ならもっとましなものが書けると考えた。

 実際にシュレイヤーが書いてみたユーティリティーはホビイストの人気を集め、彼はソフトウエアの会社を起こしてそのプログラムを売った。ところが異なった機械を持ったたくさんのホビイストからの注文が寄せられたため、彼はそれぞれの機械に合わせてプログラムを手直しするとともに、マニュアルもいちいち書き直す羽目になった。

 タイプライターを使ってマニュアルを打ちなおす作業に飽き飽きしたシュレイヤーは、文書が作成できて手直しがきき、プリンターから打ち出せるようにするためのプログラムを書こうと考えた。

 1976年の12月、シュレイヤーはアルテア用にワードプロセッサーのプログラムを書き上げ、これをエレクトリックペンシルと名付けた。厄介な仕事を手短にすませるために書いたエレクトリックペンシルだったが、このソフトウエアがシュレイヤーにもっとたくさんの仕事を運んできた。ホビイストの集会でシュレイヤーが自分の書いたワードプロセッサーを誇らしげに紹介すると、エレクトリックペンシルは大評判を呼んだ。彼のもとには、再び異なった機種のユーザーからの注文が寄せられた。おまけに今度は、つながっているプリンターに合わせる必要もあったために、シュレイヤーは手直しに追いまくられた。事業家としてのし上がっていくことに興味を持てなかったシュレイヤーは、作業を代わりにやってくれるプログラマーを見つけてきて、自分はこの大騒ぎからさっぱりと身を引いた。

 エレクトリックペンシルの成功を睨みつつ、ディーラーからワードプロセッサーこそが求められていると繰り返し聞かされたルービンスタインは、バーナビーに指示してワードマスターの機能を強化させ、3つ目のこの製品をワードスターと名付けた。

 CP/M上で使うことを前提として書かれたワードスターに関しては、マイクロプロはシュレイヤーの悩まされた機種ごとの手直し作業に追われることはなかった。

 コンピュータの基本的な動作を一括して管理するOSに対応したプログラムは、OS側が用意している作業のメニューを利用して動くように設計することができた。

 シュレイヤーが手直しの作業に忙殺されたように、それぞれのハードウエアはそれぞれの特徴を持っていた。ところが異なった機械であってもCP/MならCP/Mを載せると、アプリケーションの対応すべきルールはそろってしまうことになった。OSのメニューにないことを独自に工夫してやらせるようなことをしなければ、CP/M用のソフトはCP/Mを載せたどのマシンでも使えるように書くことができた。

 1979年の半ばに売り出されたワードスターは、ビジカルクとともにパーソナルコンピュータに仕事の道具としての新しい顔を与え、この分野のソフトウエアがビジネスとして成立することを実証してあまたのライバルの誕生を促す呼び水となった★。

★ パーソナルコンピュータのソフトウエア産業が勃興してくる過程は、『パソコン革命の英雄たち』(ポール・フライバーガー/マイケル・スワイン著、大田一雄訳、マグロウヒルブック、1985年)に詳しい。また業界のひと癖もふた癖もありそうな人物を65人網羅して列伝風に並べた『コンピュータウォリアーズ』(ロバート・レヴェリング/マイケル・カッツ/ミルトン・モスコウィッツ著、根岸修子/鶴岡雄ニ訳、アスキー、1986年)も、当時の時代の空気と人の肌合いを生き生きと伝えている。

 筆者にとって同書はまた、鶴岡雄ニによる訳者後書きの一節でも強く印象に残っている。

 「60年代の社会改革運動とパーソナルコンピュータ革命とを関連させる仮説というのは、一部の人たちのあいだでは語られていたことであり、私事にわたるが、訳者自身もかつて雑誌編集者であったときに連載記事として企画したが、サンプル不足で果たせなかった。そんなこともあって、こうして実例を眼前にして、やはりそうだったかと我が意を得た思いがした」

 似通った発想から『パソコン創世記』(旺文社、1985年)を書きはしたものの、果てのない闇に向かってボールを投げ込んだような手応えのなさにすっかり腐っていた筆者は、この一節を読んでそれこそ〈我が意を得た思いがした〉。

 浜田俊三がアストラでアメリカ市場に食い込もうと動きはじめた1979年は、ビジカルクとワードスターが登場し、パーソナルコンピュータが仕事の道具として急速に認知されることになるまさにその年だった。

 乗り込もうとしたその先には、新種の強敵が育ちつつあった。

 マイクロコンピュータを利用した小規模なシステムが目覚ましく伸びることだけは、疑いようがなかった。ただその新しい動きの主役がオフィスコンピュータなのか、それともパーソナルコンピュータであるのかは、いまだ明らかになってはいなかった。

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