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パソコン創世記
第2部 第2章 奔馬パソコンを誰に委ねるのか
1981 IBM PCの栄光と矛盾

3人の育て親

富田倫生
2010/2/4

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 「パーソナルコンピュータも16ビットになると、かなりビジネスに使われるようになると思われます。我々情報処理事業グループとしても、今後はこの分野を考えていきたいと思っているのですがいかがでしょうか」

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 情報処理担当役員の石井善昭がそう問いかけた相手が、大内淳義であることは出席者の誰にも明らかだった。

 〈3つか〉

 大内は石井の言葉をとらえた瞬間、内心でそうつぶやいた。

 〈そしてもっと難しくなる〉

 口には出さぬままそう続けてから、大内は机に落としていた視線を上げて石井を見返した。

 「情処では、はっきりと事務用と分かるものを考えていったらどうだろう」

 大内のこの発言で、会議の大勢は決した。

 今後、日本電気グループは、3つの柱を据えてパーソナルコンピュータの事業に取り組んでいく。1つは子会社の新日本電気がになう、家庭用の8ビットの低価格機種。2つ目は、コンピュータの専門部隊である情報処理事業グループがあらたに取り組む、16ビットの事務用機。そして3つ目に、これまでこの分野を切り開いてきた電子デバイス事業グループが、両者の中間的な機種を従来の製品の延長上にになっていく。

 会長の小林宏治にも、社長に就任して間もない関本忠弘にも、会議を呼びかけた副社長の大内がそれでよいというのならあえて付け加えることはなかった。

 パーソナルコンピュータは、大内の領分だった。

 その大内が一歩退いて身内の電子デバイスを押さえ、新日本電気と情報処理を受け入れるというのなら、それでよかったのだ。

 1981(昭和56)年初頭、今後のパーソナルコンピュータ事業を日本電気グループ全体でどう進めていくか、それぞれの事業担当者とトップを集め、大枠の調整を図るために開かれた会議は3つの柱を据える方針を確認して終わった。

 〈同士討ちまがいのひどい混乱だけは、ひとまずこれで避けられるだろう〉

 会議室から自室に向かいながら、大内はそう考えた。だが電子デバイスと新日本電気の2つのグループのあいだで起こった摩擦が、ここであらたに情報処理が加わったことで、さらに込み入った形で生じる恐れはぬぐいきれなかった。

 とすれば、いつかはパーソナルコンピュータを誰がになうべきか、その問いに正面切って答えざるをえないのかもしれない。

 大内は、会議の席で押し黙ったまま唇を噛んでいた、渡辺和也の表情を思い浮かべた。

 半導体部門の1セクションが卵からかえしたパーソナルコンピュータには、今、3人が育ての親に名乗りを上げていた。

 マイクロコンピュータの販売という本業をこなしながら、孤立無援でここまで育ててきた渡辺の胸に湧き上がっている思いに、大内は想像の手を伸ばした。

 〈最後まで育て上げたいだろう〉

 副社長室の椅子に深く腰を下ろし、大内は渡辺の思いを両手で包むようにしてなぞってみた。

 〈だが組織の壁を越えてどうしてもパーソナルコンピュータを育て続けたいと望むなら、ビジネス用途以外に市場を切り開くという困難な条件を乗り越えて、三者の競争に勝ち残ってもらわざるをえない〉

 細い息を長く吐きながら、大内はそう考えた。

 パーソナルコンピュータが事務処理の道具たりうるのなら、組織の枠組みに照らせば当然、これをになうべきはコンピュータの専門部隊である情報処理事業グループなのだ。

 何が悪かったのでもない。

 ただパーソナルコンピュータは、予想を超えて育ちすぎた。

 TK-80から疾走しはじめた渡辺たちが、本格的にパーソナルコンピュータを事業化すると意気込んでPC-8001のプランを持ってきたとき、ゴーサインを出すか否か迷いに迷ったことを、大内は思い出した。

 あの日の逡巡には、今となって振り返れば、こうなることへの無意識の予感があったのかもしれない。

 まったく新しい事業を自らの手で作り上げ、社内ベンチャーを敢行してのし上がっていこうとする渡辺和也の熱。自分のコンピュータを、思いのままに作りたいという後藤富雄たちの夢。そして内から湧き上がる彼らのエネルギーは、硬直しがちな大組織を活性化させる鍵となると読んだ大内淳義の理。

 マイクロコンピュータに取りつかれたマニアたちの息吹を追い風として、PC-8001を軌道に乗せようと奮闘してきたこれまで、大内の理と渡辺の熱と後藤の夢の歯車は、隙間なくぴったりと噛み合ってきた。

 その幸せな一瞬が、今、過ぎ去ろうとしていた。

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