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パソコン創世記
組み立てキットTK-80 日電パソコンの源流を開く

NECビット・イン

富田倫生
2010/2/8

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 1976(昭和51)年9月、秋葉原駅前のラジオ会館7階に、マイクロコンピュータの普及の拠点としてNECビット・インが開設されることになったとき、渡辺は運営を依託された日本電子販売の野口重次に申し入れてTK-80の販売と修理、相談のためのコーナーを作ってもらうことにした。

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 「3坪でいいから、TK-80のスペースを与えて欲しい」と頭を下げる渡辺の口調の熱に、野口は30坪のスペース提供で応えた。東芝で長くエンジニアとして働いた経験を持つ野口は、マイクロコンピュータに直感的に惚れ込んでいた★。

 ★前出『100万人の謎を解く ザ・PCの系譜』所収、「パソコンの故郷『Bit-iNN』を語る」(インタビューアー 渡辺和也)中の野口重次のコメント。

 ビット・インには後藤富雄をはじめとするスタッフが交代で詰め、やがてこの一角はTK-80ユーザーのサロンに育っていった。対応にあたるスタッフの予定表が貼り出され、エプロン掛けの後藤たちとユーザーとのあいだに直接の人間関係が育ちはじめた。

 幸運にも自ら種を蒔く機会を与えられ、この種を育てることが企業にとっても社会にとっても、そして自分自身にとっても幸福であると心から信じられたとき、これに携わるものが目を見張るほどのエネルギーを発揮することを、大内は知っていた。

 かつて社長の座にあった小林宏治に、二階級特進で新設する集積回路設計本部長にと内示されたとき、大内は「着手したばかりの医用電子機器を続けたい」といったん逆らってみせた。振り返ればそれも、海軍時代に携わった音波探知機の技術を、超音波診断という命を守る側に生かせると心から信じることができ、日本電気にとってもメディカルエレクトロニクス分野の開拓が大きな意味を持つと確信できたからこそだった。

 確固たる組織的な枠組みを確立しなければ維持することの不可能な大企業では、前例をなぞり、上司の顔色をうかがいながら仕事をこなそうとする人間が自然とふえてくる。だがこの自然の成り行きに身をまかせていれば、企業はやがて社会の進歩のリズムに取り残されてしまう。すべての大企業が自由ではいられないこうした硬直化を阻むうえで、会社の中ではなく外に目を向けたスタッフの、内から湧き上がってくる新しい発想とエネルギーは、唯一の特効薬となると大内は考えた。

 それゆえ、渡辺たちの熱の行方を大内は見守りたかった。

 もしもマイクロコンピュータの販売という本業が、実績を上げていなかったなら、渡辺たちの逸脱は許せなかったろう。だが立ち上がりの一時期こそ苦しんだものの、マイクロコンピュータ販売部は本業でも着実に市場を切り開いていた。

 突破口となったキャッシュレジスターに続いて、ミシンや編機にマイクロコンピュータが採用され、手の込んだ模様を簡単に縫い込めるタイプがブームを呼んだ。かつてはゼロックスの独壇場だった普通紙複写機の領域に独自の技術で乗り込んでいった日本のメーカーも、マイクロコンピュータの大口顧客となってくれた。さらには、アーケードゲームと呼ばれる業務用のゲーム機という伏兵もいた。

 やがて家電業界の技術者たちが、マイクロコンピュータによる高度な機能を新機種の差別化のポイントとして打ち出そうと、競ってこの部品に飛びついた。電子レンジがさまざまな調理パターンや解凍の機能を備え、エアコンがきめの細かな温度調節を引き受けるようになった。ステレオが、ビデオが、テレビがユーザーの注文を記憶するようになり、洗濯機、冷蔵庫、掃除機をはじめ、ありとあらゆる家電製品がコンピュータコントロールによる複雑な機能を売り物にしはじめた。

 さらに一部のオフィスコンピュータやミニコンピュータ、端末といった情報機器にも、マイクロコンピュータが使われだした。

 マイクロコンピュータ販売部は、こうした市場の拡大につれて業績を伸ばしていった。本業におけるこの実績を背景に、大内は渡辺たちの熱をたぎるにまかせ、従来の組織の枠組みの中ではどこにも置きようのない、個人の趣味のためのコンピュータを少し育ててみることができた。

 渡辺の逸脱の産物が予想外の売り上げを示しはじめたとき、早めにしかるべき組織的な体制を作ってしまうという選択もあったのかもしれない。だが大内は、うらやましいほどの士気の高まりを見せる渡辺たちの勢いをかけがえのない宝と思えばこそ、どこまで育つか定かではないパーソナルコンピュータと彼らを心中させる危険は避けたかった。

 もしも失敗したら、「あれはあくまで電子デバイス事業部の道楽」ですまそうと考えた。

 これ以上進めば、もう道楽ではすませられなくなると大内が初めて危惧を覚えたのは、渡辺がまったく新しいパーソナルコンピュータの企画を持ってきたときだった。

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