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パソコン創世記
世界標準機、IBM PCの誕生

SCP-DOS

富田倫生
2010/2/23

「IBM、パソコン市場に参入する」へ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 OSを採用するのか。載せるとすればやはりCP/Mなのかは、この段階では空白のまま残された。

 ロウはここまでのレールを敷き終えたのち、エントリーシステムズに籍を置いていたフィリップ・D・エストリッジにプロジェクトの統括を任せた。小型システムの開発に携わり、自宅ではアップルII をいじっていたエストリッジにとって、パーソナルコンピュータはまさに自分の仕事だった。

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 計画が正式にスタートした直後から、マシンのハードウエアの詳細な検討が始まった。16ビット構成とするという方針は固まっていたが、開発チームには新世代の高機能マシンを作るといった気負いはなかった。基本はあくまで、出来合いのものを使って可能な限り早く、IBMのロゴマークの入ったパーソナルコンピュータを作ることだった。この基本路線に沿って選ばれたマイクロコンピュータは、8ビットと16ビットの中間的な性格を持つ8088だった。

 ビル・ゲイツが採用を促した8086は、チップ内部の処理も周辺の回路とのやり取りもともに16ビットで行った。一方、8086の半年後に発表された8088では、外部とのデータのやり取りが8ビットに抑えられていた。この機能の切り下げによって、8088の処理速度は8086に比べて遅くなった。その代わり8088を使えば、すでに数多く開発され、供給の安定している8ビット対応の部品を利用することができた。

 9月に入って、ベーシック以外のフォートランやコボル、パスカルといった言語も供給できるかとの打診が、開発チームからマイクロソフトに寄せられた。

 アルテアへの移植以来、マイクロソフトはベーシックをさまざまな機種に載せてきた。その一方でマイクロソフトは、1977年7月にはフォートランを、1978年6月にはコボルの発売を開始し、言語製品のラインナップを広げていた。

 ベーシックに関しては、当時のパーソナルコンピュータの大半がROMに収めた形で備え、電源を入れると自動的にベーシックが立ち上がるように仕立てていた。一方、その他の言語の供給を始めるにあたって、マイクロソフトはCP/Mの存在を前提とする道を選んだ。マイクロソフトのフォートランとコボル、パスカルは、CP/Mに対応して書かれていた。ユーザーはまず自分のマシン用のCP/Mを用意して読み込ませ、そのうえでマイクロソフトの言語を使うという手順を踏んだ。

 デジタルリサーチのOSとマイクロソフトの言語は、互いに依存しながらお互いの存在価値を高め合う、強力なコンビを組んでいた。

 IBMにベーシック以外の言語も求められたマイクロソフトには、デジタルリサーチをこのプロジェクトに引きずり込んでともに全力疾走するか、言語とOSで棲み分けるという従来の協調関係を清算して、別の新しいOSに言語を対応させるかの2つの選択があった。だが、まったく新しいOSに対応させるとなれば、開発に大きな労力が必要となることが予想された。加えてこの道を選ぶには、新しいOSの供給者が必要だった。ROMに収めて組み込む方針が定められていたベーシック以外の言語を提供するためには、マイクロソフトは道を選ばざるをえなかった。

 だが、さまざまな要素が複雑に絡み合った問いに、一発でけりを付ける絶妙な解が、ワシントン湖の対岸に転がっていた。

 シアトル・コンピュータ・プロダクツというハードウエアメーカーのために8086を使ったマシンを開発したエンジニアのティム・パターソンは、16ビットに対応したCP/M-86の開発が遅れ遅れとなっていることにしびれをきらしていた。

 デジタルリサーチからの発売をこれ以上待っていられないと考えたパターソンは、1980年4月、自分で8086用のOSを書きはじめた。業界標準がCP/Mであることを承知していたパターソンは、CP/M-86が完成するまでの取りあえずのつなぎと割り切ってCP/Mをそのまま16ビットに対応させ、名前も自虐的にQDOS(Quick and Dirty Operating System)と付けた。シアトル・コンピュータ・プロダクツは自社の名前を冠して、これをSCP-DOSと呼び替えた。

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