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パソコン創世記
世界標準機、IBM PCの誕生

「IBMを踏み台にして大きくなれ」

富田倫生
2010/2/24

「SCP-DOS」へ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 1980年9月28日、ビル・ゲイツとポール・アレン、そして日本市場へのベーシックの売り込みを大成功させてマイクロソフトの副社長の肩書きを得ていたアスキーの西和彦は、IBMのマシンを中心に絡まり合った問題を解くために、えんえんと論議を続けた。

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 もっとも大胆で挑戦的な選択は、SCP-DOSを買い取ってマイクロソフト自身がこれをIBMのマシン用に仕上げ、ここにフォートランとコボルとパスカルを載せる道だった。だがこの道を選べば短期間でのベーシックの移植に加えて、その他の言語の移植、さらにSCP-DOSの仕上げまで抱え込むことになった。しかも相手は契約、契約で物事を進め、納期にもきわめて厳しいはずのIBMだった。

 結論を導いたのは、西だった。

 「このチャンスを絶対に逃すべきじゃない。IBMを踏み台にして大きくなるんだ。なんとしてもやるんだ」

 堂々めぐりの論議を断ち切るように西が吼えた。

 ゲイツとアレンには、SCP-DOSをもとにするとはいえ短期間でまともなOSが作れるだろうかとの懸念が最後まであった。

 だが「零戦だって3度作りなおしている。取りあえずそれで作っておいて、何度でも作りなおせばいいじゃないか」との西の駄目押しで、ゲイツとアレンも腹を括った。

 シアトル・コンピュータ・プロダクツに連絡がとられ、売り先は伏せたままマイクロソフトはCP/MまがいのOSの販売権を買い取った。申し入れのあった4つの言語に加えて、我々はOSを提供する準備があるとの回答がマイクロソフトからIBMの開発チームに寄せられた。

 1980年10月、全社経営委員会は開発プロジェクトの実行可能性の再点検を行った。

 検討の結果、委員会は進行状況に合格点を与え、プロジェクトには独立事業単位(IBU)と呼ばれる組織的な位置づけが与えられた。

 巨大化した組織が往々にして官僚的な手続きを煩雑化させ、迅速な処理の足を引っ張ることを自覚していたIBMは、社員の自発的な試みを後押しする受け皿となることを目指して、独立事業単位という制度を用意していた。この制度の適用を受けた開発チームは、大きな自由裁量権と人的、資金的な裏付けを得て開発に邁進した。

 1980年11月6日、マイクロソフトはIBMのパーソナルコンピュータに言語とOSを提供する契約を取り交わした。

 翌1981年8月12日、開発チームはついにIBM PCの発表にこぎ着けた。

 マイクロコンピュータは、8088。メモリーは基本構成で16Kバイトを備え、最大256Kバイトまで拡張できた。ベーシックは従来の流儀に従って、ROMに収められていた。本体内には拡張ボードを差し込むための増設スロットが5つ用意されており、オプションにまわされた容量160Kバイトの5インチドライブを2台組み込むスペースが空いていた。キーボードはビジネス用を意識して、大きめのタッチのよい本格的なものが用意されており、従来のマシンで一般的だったカセットテープレコーダーもつながるようになっていた。

 PCのハードウエアには見る者を驚かせるような要素はなかったが、ディスプレイへの表示を受け持つ回路の構成には、ユニークな点があった。

 ビデオ表示回路は本体に組み込むのではなく、増設ボード扱いとされていた。このビデオボードには、白黒の画面に文字だけを表示するMDA(Monochrome Display Adapter)と、カラーで文字と図形を表示できるCGA(Color Graphics Adapter)の2種類が用意されていた★。だがこのビデオボードに関しても、性能的には驚く要素はなかった。

 ★白黒のMDAは720×350ドットの解像度を備えていたが、カラーのCGAは2色で640×200、4色では320×200ドットしか表示できなかった。一方、1977年に発表されたアップルII は、6色で280×192ドットを表示する高解像度モードを持っており、PCの表示機能はむしろ貧弱な印象を与えた。

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