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パソコン創世記
日電版IBM PCにはマイクロソフトのベーシックが必要だ!

マイクロソフトの拒絶

富田倫生
2010/3/1

「『本気でウェルカム、IBM殿』」へ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 浜田俊三にとって、IBM PCはニ重の衝撃だった。

 あのメインフレームの覇者が、オフィスコンピュータによるアメリカ進出の障害となってきたパーソナルコンピュータの市場に、ついに乗り出してきた。しかもPCは、16ビット機の開発にあたって渡辺和也が浜田に突き付けた要求をそっくりそのまま受け入れた形をとっていた。

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 浜田は小型版システム100の開発にあたっている戸坂に連絡をとり、入手したPCに関する資料をはさんで話し合う機会を持った。新聞の第一報に引き続いて、内外のパーソナルコンピュータ専門誌がPCの速報記事を掲載しはじめていた。マイクロソフトのベーシックとCP/Mとの互換性を持ったPC-DOSを柱とし、CP/M-86も提供していくとするIBMの柔軟な姿勢には、多くの記事が驚きも交えて高い評価を与えていた。PCのスポークスマンを務めるフィリップ・D・エストリッジが、増設ボードの開発者に向けて技術情報を全面的に開示したマニュアルを作成すると発表した点も、話題となっていた。

 戸坂はIBMがPCにどのような技術を盛り込んだのかに、強い興味を抱いていた。浜田はIBMの打ち出したパーソナルコンピュータらしいパーソナルコンピュータを作るという方針が、市場からどう評価され、どの程度の売れ行きを示すか、すぐにでもその答えを知りたかった。

 PCを可能な限り早く入手するとともに、市場の動向に注視する。そう確認しあってから、浜田はもう1つの道を選ぶ可能性に関して戸坂の意見を求めた。

 「もしも渡辺の提案を受け入れてIBM PCのようなマシンを作るとすれば、どこが開発作業のポイントとなり、市場はこれをどう評価するだろうか」

 市場の反応は、いかようにも読めた。だが開発上の問題点は、すでに明らかだった。ハードウエアの開発には、さして問題はなかった。ポイントは、マイクロソフトのベーシックにつきた。

 アスキーの西和彦が窓口となり、マイクロソフトはこれまで電子デバイス事業グループの渡辺の部隊と絶妙のコンビを組んで仕事を進めてきた。こと日本市場に関する限り、アスキー、マイクロソフトと渡辺たちは、一蓮托生だった。そこにまったく付き合いのなかった情報処理事業グループが乗り込んでいくとして、彼らは果たしてどんな態度で接するだろうか。

 浜田は、その1点を確かめたいと考えた。

 1981(昭和56)年9月、浜田はアスキーの西に電話を入れ、アポイントメントを取り付けた。

 西和彦は南青山に棲んでいた。

 新聞や雑誌で見たとおりの長髪。黒縁の眼鏡の奥で、細い目が微笑みながら浜田を迎えた。だが腰を下ろした西が、2、3度立て続けに咳払いすると、浜田は見知らぬ異国の街角に1人立たされたような不安をふいに覚えた。腕も首も胸も太い西を包む空気が、彼の内から染み出してくる圧力を受けてじっとりと密度を増していた。

 骨の奥まで透かし込んでくるような浜田俊三の視線に、西はもう一度絞り出すように喉を鳴らした。

 スーツに身を固め、ネクタイで自らを縛り付けているものの、彼が生まれついてのファイターであることはかみそりを合わせたような浜田の口元が雄弁に物語っていた。

 浜田によれば、日本電気の情報処理事業グループでは、パーソナルコンピュータの開発を検討しているという。このプロジェクトの方向付けに関するすり合わせで、渡辺和也は「従来の8ビット機のものと互換性を持ったマイクロソフトのベーシックを採用するべきだ」とアドバイスした。

 そう事情を説明した浜田は「従来のものと互換性を持った8086版を書いてくれれば、我々には購入する用意がある。もしも開発を依頼したとすれば、どの程度の期間で仕上げることができるだろうか」と用件を切り出した。

 情報処理事業グループがパーソナルコンピュータに乗り出してくることにも、PC-8001の延長線上に16ビット機を想定しようとすることに関しても、西に驚きはなかった。

 こと日本では、当初から大手の電気メーカーがパーソナルコンピュータを商品化していったが、多くの企業でその作業をになったのは傍系の半導体部門だった。だがIBMがこの市場に参入してきたように、本家のコンピュータ部隊が急成長を遂げる分野に橋頭堡を築こうと考えることは、ごくごく自然な成り行きだった。その際、ハードウエアからソフトウエアまで一切合財自前でそろえるという従来の常識を捨てて、パーソナルコンピュータの流儀に沿うことは、彼らにとって成功の秘訣となるに違いなかった。

 その当然の策を、浜田はとりたいという。

 IBMのプロジェクトへの参加がマイクロソフトに大きなチャンスを与えてくれたように、日本電気のコンピュータ部隊による本格的な市場参入もまた、アスキーとマイクロソフトにとってさらなる飛躍の推進力となる可能性を持っていた。

 だが西は、浜田の打診に即答することを避けた。

 「ビルにも相談して、お返事させてください」

 そう答えたあとは、IBM PCの好調な滑り出しに、話題を移した。出荷までまだ間があるにもかかわらず、PCは予想を大幅に上回る注文を集めていた。今回PC用にマイクロソフトが開発したOSは、いずれCP/Mと勢力を2分するほど成長するに違いないと付け加えるのを、西は忘れなかった。

 10月から出荷の始まったIBM PCが、目覚ましい勢いで売れ行きを伸ばしているとのレポートを睨みながら、浜田は焦れながら西の回答を待ち続けた。

 「最終的なご返事がしたい」として、来訪を求める連絡が入ったのは、もう12月間近になってからだった。

 3、4カ月、悪くすれば半年と、浜田は西の答えを予測しながらアスキーに向かった。だが浜田を待ち受けていたのは、実質的な開発の拒絶だった。

 「残念ですけれど、お申し入れの件にはすぐには対応できません」

 そう切り出した西はその根拠として、マイクロソフトの開発スタッフがすでに膨大な作業を抱えている点に加え、「もうこれ以上ベーシックの分岐に拍車をかけたくない」のだとした。

 「どうしても書いてほしいとお願いしたとして、いつまで待てば可能性がありますか」。西の言葉が消えきらぬうちに、かぶせるように浜田がたずねた。

 黙りこくったまましばらく視線を宙に遊ばせてから、西は、β版と呼ばれる完成前の試作バージョンを出せるのがちょうど1年後、来年の11月になるだろうと答えた。木で鼻をくくったような答えに、浜田は舌打ちを前歯でかみ殺した。

 黙りこくった浜田に、今度は西が代案を示した。

 マイクロソフトはPC用に開発したベーシックとまったく同じ機能を持つものを、内部の構造をより整理して書きなおしており、16ビット対応の決定版としてGWベーシックの名称で販売する準備を進めている。このGWベーシックを日本語化するという形であれば、もっと早く提供できるだろう。

 「申し上げているとおり、我々がお願いしたいのはこれまでのものと互換性を持ったベーシックです」

 あらためてそう確認してみせる以上、浜田には言うべきことはなかった。

 ゲイツとの打ち合わせを経て固めた方針を、いささかも変更する気持ちが西にないのは、彼の視線の太さが物語っていた。

 浜田のてのひらから砂がこぼれ落ちるように、浮かび上がりかけた選択肢が消えていった。

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