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パソコン創世記
パソコン革命の寵児 西和彦の誕生

西和彦、ビル・ゲイツに会う

富田倫生
2010/3/11

「アスキー出版設立」へ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 1978(昭和53)年初頭、西は日本時間の深夜にアメリカに電話をかけた。時差を考慮するところには気が回ったが、電話番号は調べがついていなかった。国際電話のオペレーターに「マイクロソフト社につないでくれ」と頼むと、どこのマイクロソフトだとたずねられた。アルテアの開発元であるMITSがニューメキシコ州のアルバカーキーにあることを思い出して、この街で探してもらうと該当する会社があった。

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 「マイクロソフトのベーシックを買いたい」

 電話口に出たビル・ゲイツに、西は切り出した。

 日本のパーソナルコンピュータに載せるために、ベーシックを買いたい。あなたの開発したベーシックは、素晴らしい製品である。ただしマイクロソフトのものそのままでは、日本のメーカーやユーザーの要求はみたしきれない。任せてくれれば我々が日本向けに機能を拡張して、この国の市場をマイクロソフトのベーシック一色に染めてみせる。

 黙ったままの相手に電話を切らせないようにと、思い付いた話、頭に浮かんだ単語を勢いで並べて話し続けるうちに、「我々の会社を見てもらったほうがいい。航空券を送るので日本に来ないか」との言葉が口をついて出た。

 「今僕にはとてもそんな暇はない。用事があるというならそちらこそ来るべきだろう」

 ソード電算機システム、アイ電子計測、リコー、松下通信工業といったまともな企業から、もっと確かそうなベーシック購入の打診をすでに受けていたゲイツは、そっけなくそう答えた。それでも西は、6月にカリフォルニア州アナハイムで開催される全米コンピュータ会議(NCC★)で会う約束を取り付けてから、ようやく受話器を置いた。

 ★著作を積み上げていくことの効果は、西とゲイツが初めて出会った際の描写の変遷にもよく表われている。原著が1990年に刊行された『マイクロソフト』では、「NCCで会った」とだけされていたものが、1992年の『ビル・ゲイツ』では、テキサス州ダラスで開かれたNCCと場所が特定されている。さらに1993年の『帝王の誕生』では、カリフォルニア州アナハイムで開かれたNCCで会ったことになっている。

  このように記述が移り変わっていった経緯は、以下のように推測できる。注意深く読めば2人の出会いの年が1978年であることは、『マイクロソフト』にも記述されている。ただしここでは、誤読の可能性を残すたがの緩い表現となっている。『ビル・ゲイツ』は読みそこないと他の何らかの誤った根拠から、これを1977年と取り違え、この年に開かれたNCCの会場を別個に調べて、ダラスとした。ただし正解は、『帝王の誕生』の著者が当事者に直接インタビューして確かめたとおり、1978年のアナハイムである。

  ノンフィクションに抑えがたく紛れ込んでくるこうしたノイズを少しでも減らそうとすれば、それぞれの書き手が誠実に努力するのは当然として、すでに書かれたものを批判的にとらえながら著作を積み上げていくしかない。そうしたプラスの循環を生み出すことができなければ、「西は1976年にシアトルのマイクロソフトを訪ね、ゲイツとはじめてあった」などという、たったこれだけの文章の中にいくつ誤りが紛れ込んでいるかをクイズにしたくなるようなことを書いた本が、ぽつんと存在している状態を甘んじて受け入れざるをえなくなる。

  なお西からの連絡が入る前に日本企業からのベーシック購入の打診があったことも、『帝王の誕生』の著者によるビル・ゲイツへのインタビューによって確認されている。

 当初は30分という話になっていたビル・ゲイツとの話し合いは、えんえん3時間★に及んだ。突然わけの分からない英語で「ベーシックを買いたい。ついては日本に来ないか」と電話でまくしたてた東洋人が、同世代のシャープな人間であることを、ゲイツはすぐに理解した。そして何よりも、マイクロコンピュータが実現した個人のためのコンピュータは、1人ひとりの認識の限界を押し広げる道具として発展するというビジョンと確信を、西とは共有することができた。日本市場がどれほどの可能性を持っているのか見当はつかなかったが、自分とよく似通った先見性とエネルギーを感じさせる西が、マイクロソフトのベーシックを売り込むというのなら、乗って悪い話とは思わなかった。2日後、西はアルバカーキーのマイクロソフトを訪れ、アスキー出版が日本におけるベーシック売り込みの窓口になるという基本的な合意をまとめた。

 ★マイクロソフトをテーマとした前出の3つの作品はいずれも、会見時間に関して「8時間説」をとっているが、西氏の記憶によれば、3時間ほどであったという。

 すり合わせの作業を経て、1978(昭和53)年10月、両社は正式に提携関係を結び、マイクロソフトの極東代理店としてアスキーマイクロソフトを設立した。アスキー側の取り分は、各企業からマイクロソフトに対して支払われるライセンス料の30パーセントと定めた。

 雑誌出版社としてスタートしたアスキーは、このときを境にパーソナルコンピュータの基本ソフトの供給者という、もう1つの顔を備えた。

 同月、日本電気は従来のキット式の製品に加えて、組み立て済みの新機種コンポBS/80の発表を行った。このマシンには、従来どおり日本電気製のベーシックが搭載されていた。だが、日本電気の開発チームが、個人のためのコンピュータを志向していることは明らかだった。

 チームのリーダーである渡辺和也には、「コンピュトーカー」というコンピュータによる音声合成システムの開発を行っているカリフォルニア州サンタモニカのベンチャー企業で、ほんの数カ月前に偶然会っていた。西は渡辺の名刺を引っ張り出して電話で約束を取り付け、日本電気を訪ねた。

 「マイクロソフトのベーシックは、アメリカではパーソナルコンピュータの標準になりつつある。日本電気が本気でパーソナルコンピュータを成功させたいのなら、絶対にここのベーシックを採用するべきだ」

 西は渡辺に食らいつくように力説し、ともかく一度マイクロソフトのビル・ゲイツに会ってみてほしいと強く勧めた。ショーの視察のために予定したアメリカ出張のスケジュールを変更して、渡辺はマイクロソフトに足を伸ばすことにした。

 アルバカーキーの空港に降り立つと、自ら緑のポルシェ911を駆って迎えにきたビル・ゲイツが待っていた。

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