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パソコン創世記
第2部 第4章 PC-9801に誰が魂を吹き込むか
1982 悪夢の迷宮、互換ベーシックの開発

三菱電機のマルチ16

富田倫生
2010/4/14

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 これまでこの(パーソナルコンピュータの)分野に手を染めないできた三菱電機は、常にトップシェア争いを続けてきたオフィスコンピュータでのソフトウエアの蓄積を背景にして、16ビットに先回りしてパーソナルコンピュータの未来を押さえようと狙っていた。

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 さらに三菱電機は、マイクロソフトが開発を進めている新世代の表計算ソフト、マルチプランをこのマシン用に提供することを明らかにしていた。

 言語の会社としてスタートを切り、IBMのPCプロジェクトをきっかけにOSの分野に手を広げたマイクロソフトは、もう一方でアプリケーションへの進出のチャンスをうかがっていた。

 ビル・ゲイツが初めてのアプリケーションとしてターゲットに据えた分野は、当然のことながら表計算だった。

 1980年に表計算の開発プロジェクトをスタートさせた時点で、ゲイツはこのプログラムをさまざまな機種に移植可能なものとすることを目標の1つとしてかかげた。ビジカルクは表計算の可能性をまざまざと見せつけたが、アップルII の専用OSに対応したアセンブラーで書かれていたために、CP/Mでは当初、動かなかった。8ビットの標準となったCP/M上では、代わってスーパーカルクがヒットした。ゲイツはマイクロソフトの表計算ソフトを、あらゆるOSを搭載したあらゆる機種に移植しやすいように、パスカルで書こうと考えた★。

 ★ベーシックに代表されるインタープリターでは、プログラムは実行されるたびに翻訳ソフトによってソースコードから機械語に翻訳される。一方、コンパイラーでは、あらかじめ機械語に翻訳済みのオブジェクトコードが実行される。こうした2つの流れのあいだに立とうとしたパスカルは、Pコードと呼ばれる中間的なコードをはさむことで、双方のメリットを、やや薄めた形ながら、ともに備える性格を持っていた。

 パスカルで書かれたプログラムは、いったんコンパイラーによってPコードに翻訳される。このPコードをさらに個々のハードウエアの命令にインタープリター形式で翻訳する比較的小規模なプログラムを用意することで、パスカルを用いれば移植の作業量をかなり軽減することが期待できた。

 プロトタイプの開発を経て、1981年にマルチプランと名付けた表計算の製品バージョンに着手するにあたっては、ゲイツは移植性に加えて、ユーザーから見た使いやすさというもう1つの課題を追求しようと考えた。

 この年の2月、ゼロックスのパロアルト研究所でアルト用にブラヴォーを書いたチャールズ・シモニーが、マイクロソフトに引き抜かれて開発の責任者となった。

 シモニーは、マルチプランにアルト流のメニューを持ち込もうと考えた。パロアルト時代、アラン・ケイの方向付けに深く親しんでいたシモニーは、マルチプランの画面の下に2行をとって「印刷」や「計算」といった項目を並べたメニューを用意した。

 三菱電機が16ビット機を参考出品した段階では、マルチプランはまだいずれのマシン向けのバージョンも発売されてはいなかった。結局のところマイクロソフトは、初めてのマルチプランを1982年8月にアップルII 版から発売することになった。だが、マイクロソフトが開発を進めている新世代の表計算ソフトをいち早く載せるとの宣言は、三菱電機のマシンに対する期待を大いに高めた。参考出品された段階で、出荷開始予定は1982年の春、予価は基本構成で約80万円とアナウンスされた。

 この年の暮れ、三菱電機はこのマシンをマルチ16と名付け、翌年1月から営業活動を開始して4月からの出荷に備えることを明らかにした。コンポーネント形式をとらず、すべての要素を一体化させたマルチ16の最低価格は、白黒ディスプレイ、メモリー128KB、5インチのフロッピーディスクの構成で73万円とされた。

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