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パソコン創世記
第2部 第4章 PC-9801に誰が魂を吹き込むか
1982 悪夢の迷宮、互換ベーシックの開発

N-10プロジェクト

富田倫生
2010/4/21

「ソフトがハードの従属物ではなくなった日」へ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 古山はITOSの手直しにめどを付けたあと、オフィスコンピュータ担当の第5開発部に移っていた。従来携わってきたACOS2に比べれば、古山が相手にするマシンの規模は、少なくともハードウエアに関する限りずいぶん小さくなった。だが大企業や大組織のユーザーが巨大なシステムを組んでいるACOSでは、互換性の維持を最優先しながら、忍び足で機能を拡張していかざるをえなかったものが、目の前の顧客を奪い合う激しい競争が常のオフィスコンピュータでは、むしろ積極的に新しいアイディア、新しい技術を取り込むことが不可欠だった。

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 古山はオフィスコンピュータ担当となってから、頭の中にはびこっていた挑戦に対する抑制細胞がきれいさっぱり吹き飛ばされるような感覚を楽しんでいた。

 巨大な建造物を築くような仕事ではない。指先で1つ1つ確かめながら、小さいけれど複雑な彫り物を、手早く一気に刻み上げるような仕事だった。

 〈そんな仕事こそ自分にふさわしいのかな〉

 心の中で吹き変わりはじめた風に、古山は胸の内でそう名前を付けてみた。

 「じゃあともかく、開発スケジュールを引いてみましょうか」

 こうもらした古山の言葉が終わりきらないうちに、唇を薄く絞って視線を起こした浜田は、プロジェクトが初めて動き出したことを意識した。

 16ビット機用基本ソフトの開発スケジュールを「明日中にもまとめてほしい」と古山に求めながら、浜田は最優先の緊急プロジェクトとして進めることになるこの開発計画に動員するスタッフを、脳裏に数えはじめていた。

本家情報処理の
N-10プロジェクト始動

 1982(昭和57)年2月、基本ソフトウエアの開発スケジュールをたずさえて現われた古山良二の表情は、少しこわばっているように見えた。

 ITOSの手直しプロジェクトでも、古山は時計の針と競走するような緊張を強いられた。

 だがあらためて開発線表を引いてみると、新16ビット機の基本ソフトウエア開発には不確定な要素が数多く残されているうえに、与えられた時間は常識外れに短かった。PC-8801とPC-8001に使われているベーシックの全貌が明らかでないことに加え、ハードウエアも同時並行で開発せざるをえないために、ベーシックを実際のマシンに載せてテストする期間がほとんどとれそうもないことが、古山の不安をかき立てた。

 「実マシンの上で基本ソフトを評価できる期間は、極少といわざるをえません。もともと開発に与えられた時間がきわめて短いこともあわせて考えれば、必要な基本ソフトをすべて、同時並行で仕上げていくことは絶対に不可能です。まず間に合わせなければ話にならない互換ベーシックとBIOSだけを、とにかく仕上げる。それ以外のものは、追っかけ、可能な限り早く仕上げるという考え方で臨むしかないでしょう」

 浜田にスケジュールを示す前、古山は伏し目がちにそう前置きした。

 線表によれば、焦点となるベーシックの開発にはまず、仕様の検討から着手する。明日にでも仕様検討に取りかかって、これを3月半ばまでに終え、基本設計を1カ月かけて4月半ばに完了する。そこから詳細設計が5月半ばまで。実際に翻訳プログラムを書いていくコーディングと、プログラム上のミスをつぶしていくデバッグの作業が8月の半ばまで。そしてこのタイミングに量産機のプロトタイプを間に合わせ、実マシンでの評価に9月をあて、10月からの出荷を実現する。

 浜田が注文を出していたOSに関しては、ベーシックを片付けてマシンを発表してから用意できしだい順次リリースしていく。

 IBM PCの大成功を見せつけられた端末装置事業部は、前年の7月にパーソナルターミナルとして発表していたN5200を、パーソナルコンピュータと位置づけなおそうと考えた。1982(昭和57)年5月、あらたな性格付けのもとに発表することになったN5200の新機種には、CP/M-86とMS-DOSの採用が計画された。小型システム事業部のアストラに続いて、端末装置事業部はこの新しいN5200をアメリカ市場に問おうと考えた。国内版の発表に合わせて、アドバンスト・パーソナル・コンピュータ(APC)と名付けてアナウンスするこのマシンの売りとして、端末グループはIBMの大型用端末3278の機能を備えている点と、CP/M-86とMS-DOSの採用を強調しようとしていた。この移植作業を担当していた古山にとって、新しい16ビット機用にOSを載せる作業自体には不安はなかった。

 ともかく互換ベーシックさえ片付けてしまえば、あとは浜田が指定する優先順位に従って、まずCP/M-86から着手してMS-DOSを片付け、最後に日本電気オリジナルのITOSに取りかかればよい。

 古山の分析によれば、開発に要する作業量はベーシックだけで3月から9月にかけて計65人月。その他にBIOS、通信関係、検査、ベーシックを収めるROMやカセットテープの製作要員、さらに追いかけの作業となるOSの移植スタッフなどが必要となり、社内の担当者と、日本電気では協力会社と呼んでいる外注のスタッフあわせて、つごう25名程度を専従として張り付ける必要があるだろうという。

 だがいったん覚悟を決めた浜田には、もう迷いはなかった。

 これまで開発を進めてきたBPCは、卓上型オフィスコンピュータと性格付けを変更し、システム20/15と名付けて予定どおり4月に発表することとした。

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