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パソコン創世記
第2部 第4章 PC-9801に誰が魂を吹き込むか
1982 悪夢の迷宮、互換ベーシックの開発

勝負はアプリケーションが決する

富田倫生
2010/4/23

「卓上型オフィスコンピュータ『システム20/15』」へ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 応用ソフト準備ワーキンググループのチーフに任ずるとの正式な指示を、早水は3月26日に受け取った。浜田と相談して選んだメンバーは6名。3月31日に開いた最初の打ち合わせに出席したのは、そのうちの3名だった。

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 浜田は量産モデルのプロトタイプが完成した7月後半から、サードパーティーに発表前のマシンを貸与して、事前にアプリケーションの開発を進めさせようと考えていた。IBM PCが、マシンの発表と同時に利用可能なアプリケーションを示したように、新16ビット機の発表時点でかなりの数の対応プログラムを確保することを、浜田は目標として示した。

 「このグループの作業はプロトタイプの完成後に正念場を迎える」と釘をさした浜田は、まず手始めに新16ビット機と市場を奪い合うことになるだろう各社のマシンに、どのような経路でアプリケーションが供給されているかを分析するよう求めた。

 日本電気のACOS、ミニコンピュータ、オフィスコンピュータ、そして従来の8ビットPCシリーズや沖電気のif800、シャープのMZ-80、PC-3100、PC-3200、さらにハードウエアの分野では日本で唯一のベンチャー企業として気を吐いていたソードのマシンに、どのようなアプリケーションがどう流されているかが、あらためて詳細に比較対照された。

 4月には、本筋のアプリケーションの開発促進に関しても、具体的な目標が立てられた。10月半ばに予定されているデータショウの直前にアナウンスすると決まったスケジュールを睨んで、発表時点で60種類の対応ソフトがあると打ち上げ、データショウではN-10を並べた日本電気のブースでアプリケーションの宣伝を行うプランが練られた。さらにマシンの出荷が本格化した11月の末段階では、もう100種類の対応アプリケーションをそろえ、つごう160本を押し立てて新16ビット機をアピールする作戦を早水は練った。

 8月末まで、ほぼ週1回のペースで進められてきたアプリケーションの供給経路に関する検討の結果は、オフィスコンピュータの流儀からの決別だった。

 三菱電機はマルチ16に自社のオフィスコンピュータのアプリケーションを移植する方針をとり、N-10プロジェクトでも当初はITOSの移植を予定していた。だが、パーソナルコンピュータではサードパーティーによるアプリケーションの供給が圧倒的に中心となっているという事実と、自ら供給の前面に出ることは外部の開発者の参入意欲をそぐとの読みから、日本電気はソフトハウスによる開発の支援に集中するという結論を早水はまとめ上げた。

 8ビット時代からの日本電気の直系販売店約250社に加えて、この時期、パーソナルコンピュータを取り扱う家電量販店は、全国でおよそ4000店に及んでいた。N-10のマーケティング戦略を練るにあたって、浜田は新規の販売ルートを開拓する必要を感じなかった。

 既存の販売ルートを利用してN-10マシンを流すことは、充分可能である。

 ただし、販売の中心となる家電量販店では、他社機との併売を覚悟せざるをえない。店頭での競争に勝ち抜いていくために、浜田はN-10を簡単に売れる、手離れのよい製品に仕上げたいと考えた。

 「その鍵は、パッケージソフトが握っている」

 そう確認するとき、浜田は意識下で、アメリカでの体験を反芻していた。

 アストラのハードウエアが完成し、日本から送った製品が到着した段階になってもなお、NECインフォメーションシステムズ(NECIS)は、マシンの発売になかなか踏み切ろうとしなかった。日本本社サイドからアメリカ市場の開拓に携わっていた浜田にとって、彼らの逡巡はいぶかしかった。

 説明を求めると、現地のスタッフは「アプリケーションを待たざるをえない」と強く主張した。

 対話性を重視したITOSは、本来アメリカ市場開拓にあたってのコンサルテーションにもとづいて開発された。だが実際に製品の発売を前にした段階で、NECISはITOSのみを頼りにした勝負に成算を見いだせないでいた。買ってきてすぐに使い出せるパッケージソフトの完成を待つという彼らの決意を前にして、浜田はある種のカルチャーギャップにさらされた。

 「ここアメリカでは、たとえマシンを作り上げたとしてもアプリケーションなしでは売り出してみることすらできないのか」

 浜田はこの一件を通して、出来合いのパッケージを幅広くそろえておくことの重要性を、あらためて肝に銘じさせられた。

 マシンを導入したユーザーの注文を聞きながら、ディーラーがアプリケーションを書いていく日本の流儀は、アメリカでは通用しなかった。オフィスコンピュータ程度の小規模なマシンを売り込むにあたっては、価格を大幅に抑えた豊富なパッケージソフトをそろえることが、ここでは不可欠の条件となっていた。必要なソフトウエアはユーザー自身が用意するというITOSの目指した理想は、美しくはあっても現実からは遠かった。

 同様に、ユーザー自身がベーシックでプログラムを書いているあいだは、パーソナルコンピュータは限られたマニアのマシンにとどまっていた。パーソナルコンピュータが浜田たちの脅威となったのは、さまざまな分野のパッケージソフトが誕生しはじめてからだった。

 「N-10に関して、日本電気はサードパーティーによる開発の支援に集中するべきだ」とする早水のレポートは、浜田のこの体験に沿っていた。

 日本電気の系列ソフトハウスがN-10用にアプリケーションを書くことを、浜田は禁じる腹を固めた。

 「我々自身が書けば、資金力においても人的な資源においても規模の小さな大半のソフトハウスは、はなから勝負に乗り出してこないだろう。結果的には、各ジャンルに日本電気製のアプリケーションが1本だけ存在する、といった事態に陥りかねない」

 そうなってはとても勝ち目はないと、浜田は考えた。

 インテルのマイクロコンピュータにマイクロソフト、デジタルリサーチの基本ソフトと、パーソナルコンピュータを支える技術の選択肢には、ほとんど幅がなかった。最善の努力はつくすにしても、冷静に判断すれば、マシンの性能自体によって決定的な差がつくとは思えなかった。とすれば、勝負はアプリケーションが決することになる。より正確には、アプリケーションの幅と量が決める。

 人気となった何本かのアプリケーションに関しては、IBMがPCの発表に先だって働きかけたように、移植費を保証して自社のマシン版を開発してもらう手がある。最終的に勝負を決めるのは、たいした本数は出ないものを含め、いかに幅の広いアプリケーションを各ジャンルに数多く積み上げられるか、サードパーティーに書いてもらえるかにつきる。

 そのために考えられる手を、組織的に、繰り返し、徹底して打ち続けることこそN-10の成否の鍵を握ると浜田は考えた。

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