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パソコン創世記
第2部 第5章 人ひとりのコンピュータは大型の亜流にあらず
1980 もう1人の電子少年の復活

ヒューレット・パッカード

富田倫生
2010/5/19

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 スタンフォード大学で教えていたフレデリック・ターマンは、優秀な卒業生を起業家として育て、産学協同の核として大学の周辺に配しておきたいと考えた。同校で電子工学を学んだデビット・パッカードとビル・ヒューレットは、恩師の推し進めたプログラムに乗って、1939年にヒューレット・パッカード(HP)社を起こした。

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 2人の名前のどちらを先にして社名とするかは、コインを投げて決めた。

 パロアルトの貸しガレージを根城とし、500ドルの資金を元手に測定用の音声周波数発信器の開発から出発したHPに飛躍のきっかけを与えたのは、ディズニー映画だった。映像と音のマジックを目指したアニメーション映画「ファンタジア」の制作に際して、ディズニースタジオは新しいステレオ音響システムの開発を予定していた。この作業用に、ガレージからスタートしたばかりのベンチャーの製品ながら、すぐれた性能を備えたHPの音声周波数発信器が採用された。設立の年の暮れ近くになって舞い込んだディズニーからの8台の注文と「ファンタジア」の成功は、高品質の測定器メーカーを目指したHPにとって、強い追い風となった。

 HP誕生のきっかけを作ったスタンフォード大学のフレデリック・ターマンは、その後、大学の所有する用地に会社を設立するよう卒業生に働きかけるプログラムを進めた。この試みは、シリコンバレーの形成につながっていった。

 第2次世界大戦中、ターマンは軍のレーダー探知阻止プロジェクトを担当することになり、必要となるマイクロ波発信器をHPに発注した。これをきっかけに軍需用の高性能電子測定機器を大量に受注したことで、HPは飛躍的な発展を遂げた。終戦後の一時的な落ち込みはあったものの、HPはその後、エレクトロニクス台頭の波に乗って、代表的なハイテック企業として成長を遂げていった。1970年、アメリカ国内の景気は短期的ながら急激な落ち込みを経験した。この時期、同社は新規の雇用を抑え、在庫の削減に努める一方で、新しい分野に突破口を開こうと努めた。その成果が1972年に発表されたミニコンピュータHP3000と、同年に発表された科学計算用のポケット電卓HP35だった★。

 ★『パソコンビジネスの巨星たち』(ティム・スキャネル著、日暮雅通訳、ソフトバンク、1991年)所収、第17章HPの項。同書はソフトバンクが刊行していた『ザ・コンピュータ』誌の連載企画、「KEYMAN USA」をもとにしている。その後『マックワールド』誌に移った本間修氏が企画し、昼間はほとんど会社に顔を出すこともなくティム・スキャネル氏やテッド・ドロッタ氏の在米スタッフと密に連携をとり、ネコと戯れながら進めたこの連載にはじつに学ぶところが多かった。この仕事に関してはわが家も多少お手伝いさせていただいた経緯もあり、思い返すところも多い。『パソコンビジネスの巨星たち』はこの連載のうち、スキャネル氏の執筆分の中からメジャーどころを集め、書き下ろしを加えて構成されている。本間氏はのちに『マックワールド』でも「マッキントッシュ伝説」の企画をやり遂げているが、相手がどこにいようと話は本人のところに直接聞きに行くという姿勢は、やはりいい仕事を残す。

 ウォズニアックが配属されたのは、電卓を担当していた新製品開発事業部だった。

 ここまで高性能で高価格の製品のみを扱ってきたHPにとって、1台395ドルという電卓はきわめて毛色の変わった製品だった。社内にはおもちゃのような製品に手を染めることへの異論もあったが、HP35は成功を収めた。他社が低価格を武器に電卓市場に乗り出してくると、HPは機能を強化したHP80やHP45で対抗しようと試みた。ウォズニアックは、この新しい高機能電卓の開発作業を楽しんでいた。

 だがHPでの作業に満足しきるには、ウォズニアックはあまりに幸福に対して貪欲だった。

 彼の関心は、突き詰めれば新しいアイデアをひねり出してこれまでになかったなにかを美しく作り上げることのみにあった。電卓の機能拡張の作業は、確かにウォズニアックを少し幸せにしてくれた。だがこの時期、時代はウォズニアックにもっと大きな幸福の種を用意してくれていた。

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