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パソコン創世記
第2部 第5章 人ひとりのコンピュータは大型の亜流にあらず
1980 もう1人の電子少年の復活

マイクロコンピュータから延びる道筋

富田倫生
2010/5/24

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 スティーブ・ウォズニアックにとって、1975年はジグソーパズルのすべてのコマが手元にそろった決定的な1年となった。

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 ホームブルー・コンピュータ・クラブでウォズニアックはマイクロコンピュータに目を開き、その後、社内のルートを通じて6800を手に入れることができた。

 2週間に一度開かれるクラブの会合は、作ること自体を喜びとする仲間たちとの絶好の交歓の場だった。クラブへの参加者が膨れ上がってくると、ミーティングの会場はより広いスペースを求めて転々としたが、やがてスタンフォード大学の線型加速器センターに落ちついた。メンバーが自作したシステムを持ち込んで披露に及ぶと、すぐれた作品は率直な賞賛の栄誉に浴し、そうでない作品は無視された。

 作り上げたものに対し、率直で敏感な反応を得られる場が確保できたことは、ウォズニアックにとってとりわけ大きな意味を持っていた。無邪気で明るい印象を与えるウォズニアックだったが、押し出しの強くない彼は、自分の作り上げたものの価値を大声でアピールするようなことは苦手だった。だがクラブでは、作品を机の上にセットして電源を入れておけば、やがてすぐに人だかりができた。仲間たちの瞳の輝きは、ウォズニアックにとって何物にも代えがたい勲章だった。会社の上司たちからはけっして得ることのできない率直なフィードバックは、ウォズニアックの意欲をいっそう駆り立てた(『実録! 天才発明家』)。

 アタリのためにブロック崩しのゲームを開発し、コンピュータコンバーサーで端末を作った体験は、ウォズニアックが次のマシンのイメージを育てるうえで貴重な肥料となった。

 ウォズニアックはコンピュータがテキストを画面に表示してよこし、それを見ながらユーザーがテキストを送り返して話を進めていくといった形式の、のちにロールプレイングゲームとして確立されるようなものを作りたいと考えるようになった。

 視覚的な要素にも凝りながらこうしたゲームを作るうえでは、グラフィックスに強い、個人でも持てる規模のコンピュータは最良の受け皿になると思えた。HPでの回路設計の際にも、ウォズニアックはかねてから自由に計算に使えるコンピュータがあればと考えていた。ホームブルー・コンピュータ・クラブでは、8080で使うベーシックが大評判になっていた。ウォズニアック自身はそれまでベーシックを使った経験はなかったが、人気を集めているこの言語で自由にプログラミングできるようにしておけば、たくさんの人が計算の用途にもマシンを重宝するはずだった。

 〈タイプライター型のキーボードを持ち、テレビに接続できてベーシックの使えるコンピュータを、マイクロコンピュータを使って仲間たちが持てるように安く作ろう〉

 次のターゲットをそうイメージし、6800を使うことを前提に設計に着手したウォズニアックの耳には、端末の製品化を求めるカムラットの催促はとどまりようもなかった。

 この年の夏、サンフランシスコで開かれたウェスコン(WESCON★)に出かけた日は、ウォズニアックにとってきわめて重要な1日となった。

 ★Western Electronics Show and CONventionの略。アメリカ電気電子通信学会(IEEE)と西部電子工業会が共催する技術会議。展示会もあわせて開催される。

 ショーの会場では、モステクノロジーという新しい半導体メーカーが、6502と名付けたマイクロコンピュータを25ドルという格安の値段で売っていた。

 同社のふれこみでは、この新しい製品の機能は6800と同等であり、より小型化してシンプルに構成したものが6502であるという。6800が175ドル程度で販売されていた当時、同じくコンピュータらしい構造を持ちながらたった25ドルで手に入る6502の登場は、ウォズニアックに絶好の追い風の一吹きを思わせた。

 さっそく6502を1個買い求めたウォズニアックは、その足でこの日予定されていたクラブのミーティング会場へと向かった。会場には、スフィア社という小さなハードウェアベンダのスタッフが同社のミニコンピュータを運び込んでおり、カラーテレビが接続されていた。マシンがテレビにカラーのグラフィックスを描き出すと、会場に集まった全員が静まりかえり、息を呑んで画面に釘付けとなった。画面上に描かれたものは単なる色つきの円でしかなかったが、初めてカラーグラフィックスを体験したクラブのメンバーにとっては、たとえようもないほど美しい魔法にほかならなかった。ウォズニアックもまた、この目で自分が見たものがどうにも信じられなかった。6502を抱えてカラーグラフィックスに酔ったウォズニアックの感動は、すぐに彼の内に確信を生み出していった。

 〈マイクロコンピュータは安くなる。このマイクロコンピュータを使えば、魔法のような美しいカラー画像を生み出すマシンすら、きっと個人が持てるほど安く作れるに違いない〉

 6502を手に入れたウォズニアックは、まずベーシックを機械語に変換する翻訳プログラムの開発から着手した。

 この時期、マイクロコンピュータに取りついていたハッカーたちは、ベーシックの開発に関する情報を『ドクター・ドブズ・ジャーナル(DDJ)』などを通じて共有しあっていた。こうした記事を参考に、まず経験のなかったこの言語の文法を学んでから、ウォズニアックは機能を限定した小規模なインタープリターを書きはじめた。HPの同僚がミニコンピュータ上で6502の動作をシミュレートするプログラムを書き、これを使って書き上げたものをチェックした。

 6502のベーシックを片付けると、続いてウォズニアックはマシンの開発に着手した。カラーのグラフィックスに鮮烈な印象を受けたウォズニアックだったが、まずは6800をベースに設計していたものを6502に置き換えて、ともかく作り上げることに目標を置いた。この作業においても、ウォズニアックは自らの美学を徹底させた。常識の裏をかいたアクロバット的な手口をひねり出してチップの数を減らすことこそが、ウォズニアックにとっての作る喜びだった。部品の数を徹底して抑え、小さな基板を可能な限りシンプルに構成することにウォズニアックは全力を挙げた。会社の仕事そっちのけで数週間かけて組み上げられたマシンは、アルテアが数枚の基板で実現していた以上の機能を、1枚の基板で生み出していた。

 1975年の秋、ウォズニアックは試作したマシンの基板と、接続するキーボードやテレビを抱えてクラブに顔を出すようになった。

 カセットテープレコーダーを持っていなかったウォズニアックは当初、マシンをセットするごとに3Kバイトほどのベーシックインタープリターをキーボードから入力せざるをえなかった。ようやくマシンが動く状態になると、メンバーから質問が飛び交い、改良のためのアドバイスが寄せられた。2週間ごとのクラブの集会のたびに、ウォズニアックはあらたな改良を加えたマシンをたずさえてクラブに現われた。興味を持ってくれる仲間には設計図を無料で配り、6502用に書いたベーシックも渡した。ウォズニアックにとっては、ホームブルー・コンピュータ・クラブの熱気の中で自らのマシンを前進させることがすべてだった。代償を求めるとすれば、仲間たちの賞賛があればそれで充分だった。

 ホームブルー・コンピュータ・クラブを支配していたのは、共棲の論理だった。

 アルテア用にベーシックを書いたビル・ゲイツは、MITSに売り込んで販売数に応じた印税の支払い契約を結び、自らの労働の成果に金銭的な代償を得る道をすぐさまつけた。だがクラブの大半のメンバーは、ゲイツとはいささか異なった行動原理でマイクロコンピュータに取り組んでいた。

 ゲイツにはゲイツの道があったが、さまざまなクラブに集いはじめたホビイストたちにも、彼ら自身の道があった。マイクロコンピュータから延びる道筋は、1つではなかった。ゲイツがゲイツの道を歩きはじめたころ、多くのホビイストたちもまた彼らの道を歩み出していた。

 彼らはともに手を取り合い、隊伍を組んで進もうと考えた。

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