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パソコン創世記
第2部 第5章 人ひとりのコンピュータは大型の亜流にあらず
1980 もう1人の電子少年の復活

タイニーベーシックを自作するホビイストたち

富田倫生
2010/5/27

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 『PCC』で子供たちにコンピュータを教えるクラスを担当していたフレッド・ムーアは、『ポピュラーエレクトロニクス』の記事に触発されて、アルテアの組み立てや使い方に関する情報交換のサロンを作ろうとアルブレヒトに提案した。だが、彼は積極的にこのアイディアに乗ろうとはしなかった。

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 ムーアは『PCC』のメンバーで8008を使ってコンピュータの自作を経験していたゴードン・フレンチを誘い、ハードウェアを中心としたサロンを別に作ろうと考えた。2人は付近の大学やハイテック企業、『PCC』のたまり場などにビラを貼り、1975年3月5日、メンローパークにあるフレンチの家のガレージに集まった。

 ホームブルー・コンピュータ・クラブの初めての会合には、30名ほどが集まった。一方『PCC』に掲載した記事には、読者から何の反応も返ってこなかった。

 仲間たちからの情報提供に支えられて『PCC』を刊行してきたアルブレヒトは、いったんはこの企画をあきらめ、連載を中止する旨を誌上で明らかにした。そのとたん、『PCC』には連載の継続を求める手紙がつぎつぎと届きはじめた。アルブレヒトは迷わず企画の続行を宣言し、アリソンを中心にタイニーベーシックの自作を目指す連載記事が『PCC』の誌面を飾っていった。

 記事を掲載する一方で、『PCC』は読者と同じ立場に立ってタイニーベーシックの開発に取り組むスタッフとアルテア1台を確保して、作業にあたらせていた。その人物は1975年12月、「こんなしち面倒くさいことにはもうかかわっていられない」とのメモを残して消えたが、専従スタッフの引退宣言と同時に、狙いすましたように強力な援軍が読者の中から現われた。

 ノース・テキサス・コンピュータ・クラブのメンバーでアルテアを2人で買って持っているというディック・ホイップルとジョン・アーノルドは、それまでにも掲載されたプログラムの問題点を指摘する手紙を『PCC』に送ってきており、記事に励まされてタイニーベーシックの開発を進めていると書き添えていた。そして12月12日付けの手紙で、彼らは資料を添えてひとまず開発作業を完了したことを報告してきた。アリソンの設定よりも若干機能を拡張した自分たちの言語を、彼らは拡張版タイニーベーシックと名付けていた。

 アルブレヒトとアリソンが祝福の手紙を送ると、彼らは8進数で表記した2Kバイトほどのプログラムのリストを送ってきた。『PCC』はすぐに、手作りプロジェクトの初めての成果となるこの機械語のリストを掲載した。この間もプログラムのチェックを進めていたテキサスの2人組は、すぐに最初のものにあったいくつかのバグを訂正した新しいバージョンを、プログラムの各部の働きに関する解説を付けて送ってきた。だがバグ訂正の報告を寄せてきたのは、作者たちだけではなかった。『PCC』には同様のバグ修正に関する手紙が、何通も寄せられてきていた。報告を寄せてきた読者たちは、2Kバイトのプログラムをアルテアのトグルスイッチを上下させてご苦労にも入力し、いざ拡張版タイニーベーシックを動かしてみてバグを見つけ、そこからプログラムの構造を自力で解析しなおすことができたからこそ、最後のバグの修正にまでたどり着くことができた。

 アリソンとアルブレヒトは何通も寄せられたバグ修正の手紙を前にして、タイニーベーシックの手作りプロジェクトにかなりの数の読者がついてきてくれたことを実感させられた。これだけの反応が返ってきている以上、少なくとも10やそこらのタイニーベーシックが、そのときすでに読者のアルテアで動きはじめていることは明らかだった。

 プロジェクトの成果に励まされたアルブレヒトは、タイニーベーシックにテーマを絞ったニューズレターを、『PCC』の臨時増刊として出そうと考えた。「1冊当たり1ドルでつごう3号をコピー版で出す」旨を『PCC』に掲載すると、すぐに300部の申し込みが集まった。

 『ドクター・ドブズ・ジャーナル』というおかしな名前をでっち上げたのは、『PCC』のデザイン関係の作業を一手に引き受けていたグラフィックデザイナーのリック・バカリンスキーだった。コンピュータに関してはまったく知識のなかった彼は、アルブレヒトに新しい雑誌のデザインと命名を頼まれ、周りの連中にコンピュータ用語を聞き回って候補を探した。バカリンスキーの選んだ誌名は、『バイト』だった。

 残念なことに、すでにこの名前を冠した有名なコンピュータ雑誌が存在していることを教えられたバカリンスキーは、同じ音の「噛む」(bite)という単語から歯列矯正という言葉を、なぜかは明らかではないが思い浮かべた。

 アルテアに「ぐっと効いてすっかりよくなる感じ」を出したいと、ドクターという言葉が浮かび、「すっきりと小さくベーシックを仕上げる」という狙いから、彼は美容体操を連想した。バカリンスキーは最初、アリソンの名前をドンと間違えていた。このドンとアルブレヒトのボブを1つにして、生まれたのがドブだった。

 かくして臨時増刊は、『ドクター・ドブのコンピュータ美容体操と歯列矯正ジャーナル』と名付けられることになった。

 増刊には加えて、「オーバーバイトなしで軽やかに走らせよう(Running Light Without Overbite)」という副題が付けられた。メモリーをオーバーすることなく、軽やかにプログラムを走らせようというこの副題にも、バカリンスキーはもじりを仕込んでいた。創刊号にはこれもなぜか、入れ歯をむき出しにしたカーク・ダグラスの頭を裸のランナーの首の上に載せたコラージュが掲載されている。この絵の謎解きは「噛みすぎなしで軽やかにランニングしよう」が正解である。


 『DDJ』の創刊号には、これまで『PCC』に掲載してきたタイニーベーシックの自作に関する記事が再録され、テキサスの2人組による拡張版の、バグ修正済みソースコードリストが載せられた。

 1976年1月号とは謳いながら実際の刊行は2月末にずれ込んだが、『DDJ』は、アルテアを組み立てはしたもののそこから先に進めないでいた多くのユーザーにとって絶好のガイドブックとなった。

 アルテアのうがった穴に生まれた湖は、内から湧き上がるソフトウェアへの飢えの圧力をはらみ、水面をかろうじて平らかに保ちながら膨れ上がっていた。緊張をはらんだ水面に落ちた『DDJ』は、一角ごとをかんなで磨き上げたような、あざやかな切れ味を持った波紋を広げていった。

 アルブレヒトは創刊号の巻頭を、「秘密にしないで!」と題する短い呼びかけで飾っていた。

 「自分の取りかかっている素晴らしくて新しいソフトウェアやシステムを、どうか我々に教えてください。もしもあなたが望むなら、我々が他のみんなに知らせましょう。おそらく他の誰かも、同じものに取り組んでいるかもしれません。協力すれば、2倍早く仕上がります。もしかすると誰かがもう、片を付けているかもしれません。同じ手間を2度かける必要はないでしょう」

 すでに自分なりのタイニーベーシックを仕上げたホイップルとアーノルドのコンビは、ソースコードを掲載する一方で、5ドル送ってくれればカセットテープに記憶させたプログラムを郵送する旨を創刊号の記事に書き足していた。「ホビイストへの公開状」を書いて開発者の権利保護を訴えたビル・ゲイツを当てこすり、2人組は「どこかのソフト屋さんとは違って、我々は皆さんがタイニーベーシック拡張版をいじくり回してもっと小さくしてくれることを大いに歓迎いたします」と書き添えた。

 2人組のもとには彼らの仕事への賛辞とともにテープの発送を求める依頼が殺到し、『PCC』にも読者からの手紙や購読申し込みが続々と送られてきた。そんな中には、誌名の「コンピュータ歯列矯正」の文字につられた歯科医からの手紙も紛れ込んでいた。誤解に気付いたあとも歯科医は『DDJ』を読み続け、やがて彼もまたパーソナルコンピュータの虜となった。

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