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パソコン創世記
第2部 第5章 人ひとりのコンピュータは大型の亜流にあらず
1980 もう1人の電子少年の復活

ウォズニアック、カラーグラフィックスに挑む

富田倫生
2010/6/3

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 ジョブズがアップルI の製品化に向けて奮闘を続けているあいだも、ウォズニアックの関心はいかにして自分の6502マシンを前進させるかという1点にとどまり続けていた。

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 スフィア社のミニコンピュータが、ホームブルー・コンピュータ・クラブの会合で演じて見せたカラーグラフィックスの魔法は、何人かのメンバーの心をとらえたまま放さなかった。

 スタンフォード大学の電気工学部で教えていたハリー・ガーランドとロジャー・メレンの2人もまた、この会合でカラーグラフィックスに魅せられていた。アルテアに強い興味を抱き、このマシンの機能を拡張する周辺機器を開発しようと考えていた2人は、まずテレビにカラー画像を表示する装置に取り組んだ。ダズラーと名付けられたこの装置は1975年の終わりにはもう、クラブで発表されるにいたった。2人はクロメンコ社を起こし、ダズラーを売り出した。

 一方ウォズニアックも、自分の6502マシンにカラーグラフィックスの機能を持たせることを、次の目標に据えていた。

 白黒のマシンを拡張してカラーの表示機能を与えようとすれば、素直に行けば回路は当然、より複雑になった。このカラー化を、ウォズニアックは最小限のハードウェアで達成したいと考えた。最小限のコンポーネントで最大の効果を上げることにテクノロジーの美を見いだすウォズニアックにとって、カラー化は格好の腕のふるいどころだった。

 画面の情報をどうメモリーに記憶させるかに関してアクロバット的な仕掛けを採用することで、ウォズニアックは通常なら実現できない色数のカラーを、少ないメモリーで表現する手法を編み出した★。

 ★高解像度モードではアップルII は280ドット×192ラインで6色を表現した。280ドットの走査線1本の情報は、先頭の1ビットで色指定を行い、7ビットでドット情報を指定する40バイト長のデータによって形成される。この構成では7ドット×40で280ドット分の記憶は可能になるが、本来なら色指定には1ビットしか割り振っていないので、2色しか表現できない。ところがウォズニアックは偶数番地と奇数番地で色指定モードを切り替えるという仕掛けによって、4色の指定を40バイト×192ラインの7680バイトのメモリーで実現している。この4色にモノクロの白と黒を加えて、6色のカラーが表現された。メモリー4Kバイトの基本仕様では、アップルII は40×48ドットで16色を表示したが、メモリーを12Kバイトまで拡張すれば280×192ドットで6色まで表示できた。高解像度でのカラー表示は、当時アップルII の独壇場だった。

 さらにウォズニアックは、改良版の6502マシンに、スロットをたくさん用意したいと考えた。ウォズニアックの慣れ親しんでいるミニコンピュータでは、増設ボードによる拡張が常識であり、アルテアもスロットによる拡張性を売り物にしていた。ウォズニアックは新しい6502マシンには、思い切って8つのスロットを用意しておこうと考えた。

 テレビゲームの受け皿として効果を発揮するように、ウォズニアックは操作用のつまみのついたパドルのインターフェイスを新しいマシンに持たせ、効果音が生かせるようにスピーカーも組み込もうと決めた。

 カセットテープレコーダーのインターフェイスも、新しいマシンには不可欠の要素と思われた。加えて今回は、自ら開発したベーシックをROMに焼いてマシンに組み込み、電源を入れると同時にベーシックを使えるようにしておこうと考えた。

 1976年の後半、初めての6502マシンをアップルI に仕立てて大きなビジネスに育てようとジョブズが奮闘していた時期、ウォズニアックはHPでの仕事の合間を縫って、カラー化した6502マシンの開発を進めていた。

 アップルI の生産は第1期の50台に終わらず、続いてジョブズは第2期の100台に乗り出した。アップルのビジネスには、弾みがついていた。だがウォズニアックの興味は、相変わらず物作りに集中していた。HPという職場には満足していたし、ホームブルー・コンピュータ・クラブの仲間たちのフィードバックは、6502マシンを進化させるうえで、創造性に降り注ぐ恵みの雨の役割を演じてくれていた。

 こうした環境下で、ウォズニアックはカラー版の6502マシンを前進させていった。コンピュータの動作のタイミングをとる信号を、すべて1つの回路から作り出してしまう手を思いつき、最小限のメモリーで6色を出せると気付いたときには、これこそ生涯最高の傑作になるに違いないと確信して、抑えきれない興奮と喜びを味わった。だがそのカラー版6502マシンを誰に売ってもらうかという点に関しては、ウォズニアックは突き詰めて考えてはいなかった。共同経営者になっているという点では、アップルも端末のコンピュータコンバーサーも変わりはなかった。

 ウォズニアックは、キーボードと一体化したデザインで新しいイメージを打ち出していたソル・ターミナル・コンピュータのプロセッサテクノロジー社に、新しいマシンを売ろうかと考えた。のちにPETを出すことになるコモドール社から、現金と同社の株と地位を条件にアップルの新しいマシンを買い取りたいという条件が示された際は、ジョブズもウォズニアックも一時この話に傾いた。

 そのウォズニアックをアップルにつなぎ止めたのは、ジョブズの成功へのあくなき執念とパーソナルコンピュータへの確信、そして傲慢(ごうまん)さと裏腹の誰にもひるむことのない強烈な自負心だった。

 ウォズニアックには技術があったが、ジョブズにあったのはアップルだけだった。

 ジョブズはあくまで、アップルをのし上がらせる道を選ぼうと踏ん張った。


 事業拡張のためにベンチャー資本を獲得しようと考えたジョブズは、投資を申し入れた相手から「マーケティングの専門家のいない素人2人の会社に金は出せない」とはねつけられた。「ならば、適任者を紹介してほしい」と求めると、ベンチャー資本家はマイク・マークラーの名をあげた。

 シリコンバレーの半導体企業のルーツとなったフェアチャイルド社を経て、インテルのマーケティング部門で働いていたマイク・マークラーは、同社の株式公開時に大金をつかんだ。30代で早くも引退したマークラーは、クパチーノで悠々自適の生活を送っていた。

 マークラーはアップルに投資し、経営に参加することを了承したが、その条件としてウォズニアックがHPをやめ、フルタイムでこの会社のために働くことを求めた。

 会社の未来にも、カラー版6502マシンの事業としての成功にも確信が持てなかったウォズニアックは、ジョブズの脅しやすかし、泣き落としにも、マークラーの説得にも、最後までHPをやめることをためらい続けた。

 1977年1月3日、アップルコンピュータ社を正式に設立しようとする当日になってもなお、マークラーの家に集まったメンバーに、ウォズニアックは降りると言い出した。

 「すっきりしたデザインのコンピュータを作りたいだけで、会社の経営なんてがらじゃない」

 当惑するジョブズとマークラーを前に、ウォズニアックはそう繰り返した。

 ジョブズは高校時代からのウォズニアックの親しい友人であるアラン・バウムに、彼を説得してくれるよう頼み込んだ。カラー版6502マシンに関して意見を交換しあい、一部は共同してアイディアを練ってくれたバウムから、翌日「会社を始めても経営者になる必要はない。エンジニアとして仕事を続けることはできる」と説得されたウォズニアックは、ようやくアップルの設立に同意した。だが会社が本格的に走りはじめた当初、ウォズニアックはアップルが失敗したときHPに復職できるかを心配し続けていた。

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