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パソコン創世記
第2部 第5章 人ひとりのコンピュータは大型の亜流にあらず
1980 もう1人の電子少年の復活

1977年、アップルII デビュー

富田倫生
2010/6/4

前回「ウォズニアック、カラーグラフィックスに挑む」へ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 カラー版6502マシンをアップルII として製品化しようと動きはじめたアップルは、1977年4月に開催されることになった第1回ウェスト・コースト・コンピュータ・フェアー(WCCF)を新製品のお披露目の場としようと考えた。

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 ホームブルー・コンピュータ・クラブのメンバーであり『DDJ』の編集長でもあるジム・ウォーレンは、エレクトロニクス版のウッドストックを西海岸で開きたいと考えた。ウォーレンたちは、当初例会を開いているスタンフォード大学でフェアーを催すことを考えたが大学から断られ、思い切ってサンフランシスコの大きな催し物会場を借りることにした。

 ウォズニアックの作ったカラー版6502マシンははじめ、葉巻箱に収められていた。コンピュータのアーキテクチャーを可能な限りすっきりと構成することは、ウォズニアックにとって重要なテーマだったが、彼は見かけにはこだわらなかった。

 一方ジョブズは、アップルII をキーボードと一体化したプラスチックのケースに収めたいと考えた。プロセッサテクノロジーのソルはキーボード一体型の金属製のケースに収まっていた。むき出しの基板にすぎないアップルI や、スイッチとランプの並んだ箱形のアルテアやIMSAIにはかけらもなかった道具としての洗練された美しさを、ソルは備えていた。ジョブズは金属ケースからさらに一歩進め、HPの電卓が使っているようなプラスチックの筺体にマシンを収めようと考えた。百貨店を歩いてあらためて見なおしてみると、家電製品や音響機器など、日常的に使われる道具はいずれもプラスチックのケースに収まっていた。製造コストはかさむが、ジョブズは美しいプラスチックの筺体を用意することで、誰もが触ってみたくなるようなエレガントな道具にアップルII を仕立ててみたかった。

 当時の電源装置は高い熱を発したため、マシンには冷却用のファンの立てるうるさい音が付き物だった。ウォズニアックにとって電源はパーツ屋から仕入れてくる単なる部品にすぎず、こうしたアナログ技術は彼のテクニックのメニューには含まれていなかった。だがエレガントな道具を目指すジョブズは、アップルII を静かなマシンにしたいとこだわった。ジョブズはアナログに強いアタリのロッド・ホールトに、ファンを使わなくてよい電源の開発を依頼した。

 ウォズニアックの美意識はアップルII のアーキテクチャーに貫かれていたが、ジョブズの美意識もまた、アップルII の道具としての仕上がりに大きく貢献していた。

 フェアーに向けて、ジョブズはケースのデザインや製造、プリント基板の手配や組み立て、6色に塗り分けられたリンゴのマークの仕上げやパンフレット、名刺の手配などありとあらゆる仕事に追いまくられた。一方ウォズニアックは、ROMに焼いてマシンに組み込むベーシックの仕上げに追われていた。ウォズニアックのベーシックには整数しか取り扱えないという大きな制約があったが、動作は速かった。

 1977年4月16日、入り口正面の最高の場所にブース★を確保したアップルは、アイボリーのプラスチックケースに収まったアップルII をデビューさせた。

 ★『コンピュータウォリアーズ』に記載されたジム・ウォーレンの回想によれば、第1回のWCCFを手がけたブースの装飾家、ジム・エーガンはキャッシュにこだわって惜しいところで大儲けをし損なったということである。

 「さて、ひげ面で、長髪を頭のうしろで束ね、リーヴァイスのジーンズをはいたヒッピー風の若者ふたりがカウンターにやってきた。で、こちらにはショーを手がけて20年という白髪のご老体がいるというわけだ。いいかい? ここには、世界中のありとあらゆるはったり屋やいんちきアーチストたちがしばしばやってきたね。このふたりの若者はこう言ったよ。『ねえ、おじさん、うちの品物をうんと派手に見せるのに、こういうクローム製のうんと上等なディスプレーを使いたいんだ』『いいよ、貸してやるよ』とエーガンが答えると若者たちが言った。『うーん、ところが僕たちはちょっとばかり金づまりなんだ。金のかわりにうちの会社の株で払うってのはどうだろうね? アップルコンピュータっていう会社なんだけど』。そこでエーガンはテーブルを叩いて言った。『アップルコンピュータだと? 絶対だめだよ。ここじゃ現金でしかやらないんだ。ディスプレーが欲しいんならキャッシュで払ってくれ』」

 そう言われてジョブズとウォズニアックはやむをえず、自分たちでディスプレイを作ってしまい、ジム・エーガンはブース装飾の仕事を続けることになったという。

 悪ガキどもをどやしつけたエーガン氏は、今もご健在だろうか。

 ウォズニアックはカラー表示可能なアップルII の回路を、6502を含めて62個のチップだけで構成していた。6Kバイトの整数ベーシック★は、2KバイトのモニターとともにROM化されて回路に組み込まれており、電源を入れると同時に使いはじめることができた。最小構成では4KバイトのRAMは、最大で48Kバイトまで拡張できた。

 ★のちにアップルは、マイクロソフトの8Kベーシックの拡張版をアップルソフトベーシックの名称で増設ボードやディスクの形で供給し、アップルII プラスからは本体のROMベーシックもこれに置き換えた。

 主催者の予想をはるかに超える大盛況となった会場では、PETの試作機を展示したコモドールや、ソルでゲームを走らせたプロセッサテクノロジー、バイオリズムのデモを行ったIMSAIなどのブースがとりわけ密度の濃い人の波を作っていた。一方、巨大なテレビディスプレイを持ち込んだアップルの、万華鏡を思わせるグラフィックスのデモの前にも、大きな人の渦ができた。

 電子機器の無骨さを感じさせず、愛らしいリンゴのマークまで付けたスマートなアップルII は、会場の喧噪の中では意識されることはなかったものの、まったく音を立てない静かなマシンだった。

 アップルII の価格は、1298ドルに定められた。アップルI は累計で200台ほど売れたが、フェアーから2、3週間のうちに、アップルにはおよそ300台のアップルII の注文が舞い込んだ。

 アップルI のマニュアルを書いた縁で同社の社員となっていたジェフ・ラスキンは、わかりやすい表現に留意し、グラフィックスを多用した素晴らしいマニュアルをアップルII のために準備した。

 第1回WCCFで、アップルII は見事に離陸した。

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