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パソコン創世記
第2部 第5章 人ひとりのコンピュータは大型の亜流にあらず
1980 もう1人の電子少年の復活

「拝啓 JA1BUD西村昭義様」

富田倫生
2010/6/9

前回「SF小説、ラッセル、テレビカメラ」へ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 テレビカメラの製作には、連載の終了と休みを待って、高校1年の夏から取り組んだ。秋葉原を歩き回ると、記事で使っていたのと同じではなかったが、似たようなビジコン管が1000円ほどで買えた。回路を組み、取りあえずコイルを巻いて作ったカメラに、家庭用のテレビに接続するためのVHF発信器を組み込んで、絵を出そうと試みた。だが画面上には、まったくもって絵が浮かばない。夏休みが終わっても、テレビカメラの仕上がりのめどは立たなかった。

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 新学期が始まってからも、松本の意識はテレビカメラに集中したままだった。記事に紹介されていた参考文献を調べてテレビを成り立たせている仕組みを勉強しなおし、電磁気学の理論に立ち戻って、コイルの巻き数を割り出しては何度も巻きなおしてみた。だがどうしてもまともな絵になってくれない。いつまでも突破口を見いだせず試行錯誤を繰り返しているうちに、片道1時間かかる学校に出て作業を中断する代わり、1日中テレビカメラと格闘を続けてしまうことが、2日、3日と続くようになった。両親に叱られては学校に顔を出し、仲間たちとむだ話に興じた。だが泥沼の中でテレビカメラへの執着が強まるにつれて、反比例するように授業には興味が持てなくなった。

 それでも試験には顔を出し、翌年の春には2年に進級できた。テレビカメラはこの時期になってもなお仕上げることができなかったが、自分の頭だけを頼りに突破口を開こうともがき続ける行為には手応えがあった。いったんはあきらめかけたが、作業を放り出していると心の中に風穴があいたような寂しさを覚え、かえっていらいらが増した。連載記事に自宅の住所を掲載し、質問を受け付けるとしていた西村昭義に手紙を書いてみた。西村からのアドバイスに従って一から回路を見直し、2年生の7月からはもう一度作業に没頭する日々が続いた。

 8月に入ると、ぐにゃぐにゃに歪みながらも何とか画像が浮かび上がるようになってきた。最後の3日間は、徹夜で調整を続けた。コイルをはずしては巻きを調整し、もう一度取り付けては画像をチェックする作業がえんえんと続いた。秋葉原で調達したビジコン管が、記事で使っていたものとは異なっていたこともあって、最後の調整作業にもさんざん手こずった。

 だがフィナーレはついに、そして突然やってきた。


 自室の蛍光灯の下で、コイルの調整と取り付けを夜通し繰り返していると、手作りのカメラのすくい取った世界が、ふっと浮かび上がって画面上にとどまった。松本は部屋の畳に座り込んだまま、呆然とテレビを眺めていた。

 東から空が白みかけ、鳥の声が遠く近く重なり合って朝の空気を震わせはじめた。

 松本は腰を上げてカメラを手にとり、窓の外にレンズを向けてみた。

 画面の左側に、画像の一部が薄く対称に映っているのに気が付いた。だが手作りのカメラは、確かに早朝の町の、息をひそめたような姿を写し取っていた。

 そのとき不意に、1羽の小鳥がカメラの前の景色を切り裂いて飛んだ。

 ラッセルの言う、建設的な事業の成功から得られる人生最大の満足は、この瞬間、松本の胸の内にあった。

 体中をみたした疲れを泥のような眠りの中で吐き出した松本は、この喜びにいたるきっかけを与えてくれた西村昭義にあてて報告の手紙を書こうと思い立った。

「拝啓 JA1BUD西村昭義様

 69年4、5、6月号の『CQ ham radio』にのっていた貴局の設計されたTVカメラを、やっと作り上げました。

 今の感激は、小学校3年生の時並三ラジオを作り上げたときの感激に次ぐものです。そのようなわけで雑誌の記事を見て作ったものが無事に出来たので、ちょっと興奮しているところです」

 手紙を受け取った西村は、記事に触発されて試みはしたものの、失敗する者が続出する結果となったテレビカメラ作りを、高校生が成し遂げたことを大いに喜んだ。たくさんの熱心な問い合わせはあったが、コイル部が最後まで障壁となって、記事のカメラは完成にこぎ着けられる人がほとんどいなかった。この反省を踏まえ、西村は『CQ ham radio』の1970(昭和45)年8月号から、静止画しか扱えない代わりに作りやすい別方式のカメラの製作記事を連載しはじめたばかりだった。

 西村は編集部に松本からの手紙を紹介し、これが半ページにまとめられて同誌10月号の誌面を飾った。

 活字となった名前は、松本の心をもう一度強く弾ませた。

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