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パソコン創世記
第2部 第5章 人ひとりのコンピュータは大型の亜流にあらず
1980 もう1人の電子少年の復活

エレクトロニクスの天才

富田倫生
2010/6/10

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 前橋高校に籍を置いて過ごした15歳からの数年は、松本吉彦にとって、万華鏡の空に向かって1つ1つ窓を開いていくようなかけがえのない時期だった。

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 友と呼べる仲間たちと出会い、底の見えない深い淵のような他者と触れ合う喜びと恐れを知った。読むことの快楽を経験し、書くことの喜びも覚えた。そしてエレクトロニクスの世界において、松本吉彦はとりわけ充実した日々を送っていた。

 だが両親にとってみれば学校を休みがちの息子は心配の種であり、教師にとって授業に関心を持たない生徒は問題児だった。

 前橋高校の若い数学教師、桜井直紀にとっても、松本吉彦はじつに歯がゆい存在だった。彼は明らかに桜井の授業に関心を持っていなかった。欠席の多さや授業態度、試験の答案用紙から判断すれば、松本が教科書を家に持ち帰って開いているとはとても思えなかった。ただし、松本がきわめて鋭敏な数学的センスを持っていることは、答案用紙の解答やほんの二言三言の会話からも明らかだった。その松本が学校に背を向けていることが、桜井には気にかかった。顧問を務めている数学部にでも顔を出してくれればと思ったが、アマチュア無線の免許を持ち、生徒たちのあいだではエレクトロニクスの天才と評判の松本は、高校の無線部にも所属していなかった。

 カリキュラムで命題論理学の基礎を取り扱う時期になって、桜井はこのテーマならエレクトロニクスに対する松本の興味と数学の授業への関心を結びつけてくれるのではないかと考えた。

 コンピュータの論理回路は、命題論理学の演算をエレクトロニクスの素子によって実行させたものである。ならばコンピュータをきっかけとすれば、松本は学校の命題論理学の授業に興味を持つのではないか。

 1967(昭和42)年に筑波大学の前身にあたる東京教育大学理学部の応用数理学科を卒業した桜井にとって、前橋高校は初めての赴任先だった。応用数理に籍を置きながら、桜井自身は純粋論理の分野を専攻したが、学科の性質上、コンピュータに関する教育は体験してきていた。大学時代、教科書として使われたモンゴメリー・フィスター・Jr. の『ディジタル計算機の論理設計』(尾崎弘訳、朝倉書店、1960年)が、系統立って理解しやすく書かれていたことを、桜井は記憶していた。

 書棚からこの本を引っ張り出してきた桜井は、翌日、授業の終わったあとで「読んでみないか」と松本に手渡し、「コンピュータに関連する内容を、今度授業でもやるから、そっちもちゃんと聞いとけよ」と釘をさした。


 松本はそれまでも、コンピュータの啓蒙書を何冊か読んでいた。だがこれまで体験してきた本は、松本のイメージを混乱させるものばかりだった。コンピュータの能力や可能性を大仰な形容詞を羅列して描写されても、松本はそもそもどうした理屈でこの機械が動くかが気にかかった。おおもとの仕組みへの理解を欠いた状態で、人工知能の成果やコンピュータ社会の夢や危険性を外側からなで回されても、関心は焦点化していかなかった。

 一方、桜井が読めと勧めてくれた『ディジタル計算機の論理設計』は、碁盤の目のような整然とした論理の世界を松本の前に開いてくれた。純粋に数学的な角度から計算機がどう論理を処理していくかを解説したこの本で、松本はこれまではまったくわけの分からない存在だったコンピュータが、当たり前の理屈に支えられていることを初めて実感できた。

 ではこうした基礎的な枠組みを出発点として、具体的にどう論理を組み上げ、さらにそれをどう回路に移し替えていくのか。『ディジタル計算機の論理設計』をこなしたあと、松本はコンピュータを本当に理解するためのステップを思い浮かべられるようになっていた。自分が手を染める世界のある部分をブラックボックスとして残すことは、松本にはどうにも我慢ができなかった。取り組むのなら、一から理解したかった。だがそのためには、エレクトロニクスという1つの範疇にはくくられても、これまで慣れ親しんできた通信機のアナログの世界とは対照的なパルス技術を駆使するデジタルの世界に飛び込んでいかざるをえなかった。

 1972(昭和47)年3月、前橋高校を卒業したころ、松本にはコンピュータに触れるチャンスは皆無だった。インテルの4004がいまだほとんど注目を浴びず、もっとも小型のマシンがDECのミニコンピュータでしかなかった当時、松本にはまだ、デジタルの世界に飛び込んでコンピュータ作りに挑むチャンスは訪れなかった。

 両親や教師に尻を叩かれてかろうじて卒業にこぎ着けた松本にとって、同級生がかかずらわっている大学受験は他人事だった。受かるはずもないと思い、大学は1校も受けずにいた。ただし、どこに腰を落ちつけるあてもない自分自身の事情と、両親の叱責と期待に折り合いをつけて、浪人として予備校に通うことになった。

 現実には、松本は浪人時代を秋葉原に入りびたって過ごした。表通りに大型電気店の立ち並ぶこのエレクトロニクスの街では、マニアにとってのおいしいネタは、電子部品やジャンクのあふれかえった裏通りにまず届いた。予備校に通うと称して、祭りの夜店のようないかがわしさと勢いにあふれた裏道の店を覗き回っていた当時、秋葉原にはIC電卓のジャンクが出回るようになっていた。

 1960年代のはじめに真空管を使って初めて作られた電子卓上計算機は、1964(昭和39)年にシャープのコンペットで初めてトランジスター化され、小型化、低価格化に向かって進みはじめた。1967年ごろからは、集積回路を用いたIC電卓が作られるようになり、すぐにより集積度を高めたLSIを採用した機種が登場してきた。

 松本が浪人時代を過ごした1972(昭和47)年ごろ、猛烈な勢いで電卓が小さく、安くなる中で、秋葉原にはすっかり時代遅れとなった初期のIC電卓がジャンクとなって流れはじめていた。デジタル技術を経験してこなかった松本にとって、IC電卓のジャンクは格好の練習台だった。予備校の帰り、小遣いの範囲で収まるジャンクを買ってきて利用できる部品を抜き取り、松本は電卓の基本的な動作を実行する回路を作ってみた。

 出来合いのICを使って回路を組む作業を、自分は楽しめるのか。松本はその点にまず、興味を持った。

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