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パソコン創世記
第2部 第5章 人ひとりのコンピュータは大型の亜流にあらず
1980 もう1人の電子少年の復活

パーソナル・ダイナミック・メディアへの挑戦

富田倫生
2010/7/7

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

 パーソナルコンピュータを根底から革新しようと水面下で用意されつつある動きの意味を、後藤がすでに完全に理解していることは、ローゼンのフォーラムに同行した西の目にも明らかだった。

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 後藤にはウィンドウの意味やメニュー、マウスの役割などあらためて説明する必要はなかった。1977年の春、同年3月号の『コンピュータ』でアラン・ケイの「パーソナル・ダイナミック・メディア」を読んだそのときから、ダイナブックは後藤にとって彼方の導きの光となっていた。

 TK-80が予想外の人気を集め、時代の風に背を押されるように発表したPC-8001が成功して、マイクロコンピュータの販売部門だったはずの部署がパーソナルコンピュータの担当セクションの様相を呈しはじめた時点では、後藤にはアルトに向かって歩みつつあるとの実感はなかった。現実に使っている8ビットのマイクロコンピュータの処理能力と、アルトのようなソフトウェアの環境を駆動するために求められるパワーには、はるかな差があった。だがもう一方で、機会さえつかめばアルトの子供は作り出せるとの確信を、後藤は当初から持っていた。

 パーソナルコンピュータ関連の作業が急速に膨らみはじめてからも、およそ5年近くにわたって、渡辺の部署は正式にはマイクロコンピュータの販売セクションであり続けた。後藤自身も先端的な16ビット版に加え、ビットスライス型と呼ばれる特殊なタイプを担当するなど、チップの販売にもあたり続けていた。通常のマイクロコンピュータが、8ビットなら8、16ビットなら16と一定の単位で処理を行うのに対し、ビットスライス型は2ビットないしは4ビットのプロセッサを並列に組み合わせ、必要に応じて処理の単位を拡張できるように工夫されていた。文字や数値にとどまらず、すぐに大きなデータ量に膨らんでしまうグラフィックスを処理するうえでは、ビットスライス型は強みを発揮した。

 AMD社からライセンスを受けてセカンドソースとして製造していた4ビットスライスのμCOM-2900を担当した後藤は、このタイプのプロセッサを使えば、コストは高くなるものの、アルトの子供をすぐに作れることを意識していた。この時点では後藤自身は知りようがなかったが、アルトはMSI(中規模集積回路)を組み合わせて作ったビットスライス型のプロセッサによって駆動されていた。リサの開発にあたっては当初アップルも、この方式による専用マイクロコンピュータの新規開発を選択肢の1つとして考えていた。

 高価なマシンとしてなら、ビットスライス型を使っていつでも作れる。だが、使い勝手をよくするために、処理能力の大半を割り振ったマシンが高いものについたのでは、ビジネスとしての成功はとうてい望めないだろう。

 そう考えて、後藤は目の前の開発計画と彼方の希望としてのアルトとの落差に気持ちの折り合いをつけてきた。パロアルト研究所を抱えるゼロックスが、いつまでたってもアルトの商品化に踏み切らないでいたことも、自らにモラトリアムを許す免罪符となっていた。だが彼らがついに発表に踏み切ったスターは、明らかにアルトの子供の精神を汲んでいた。

 加えてパーソナルコンピュータでもすでに現実のテーマとなってきている16ビットへの転換が、後藤の精神のバランスを微妙に狂わせはじめていた。

 16ビットなら、かなりのところまでやれるのかもしれない。そう考えはじめていた後藤は、アップルがモトローラの68000を使ってアルトの子供を2つ、並行して開発しつつあるという情報をフォーラムで得て、パーソナルコンピュータの変革の波が着実に近づいていることを意識した。

 〈もしもインテルの8086で作ったとしたら、果たしてどこまでのことがやれるだろう〉

 成田へと向かう帰りの機中で具体的なマシンのイメージを描きはじめた後藤は、そのときふと浮かび上がってきたまったく新しい角度からの発想に、駆け抜けるように背筋をなぶられた。

 〈いけるのかもしれない〉

 後藤は繰り返し、喉の奥でそうつぶやき続けた。

 次の瞬間、「いける」とのイメージは、大脳皮質を駆け抜けた新しい言葉に一瞬で置き換わった。

 〈いけるんじゃない。突破口はここにしかないんだ〉

 後藤はそのとき、パーソナル・ダイナミック・メディアへの挑戦こそが、自分たちに残された唯一の希望であることをはっきりと意識した。


 前年の1981(昭和56)年のはじめ、日本電気首脳はパーソナルコンピュータ事業を今後どう進めるかの大枠を、トップダウンで定めた。

 家庭用の低価格8ビット機は、子会社の新日本電気が担当。今後もっとも大きな伸びの期待できる16ビットの事務用分野には、コンピュータの専門セクションである情報処理事業グループがあらたに乗り出していくことになった。TK-80で種をまき、PC-8001でパーソナルコンピュータの可能性を実証して見せた後藤たち電子デバイス事業グループのチームは、家庭用と事務用の中間的な機種を従来の製品の延長上に担っていくのだと役割を限定された。

 漢字を使うことを前提として機能強化し、この年の9月に発表した8ビットのPC-8801は、定められたこの枠組みの中にかろうじて収まっていた。

 日本最大のコンピュータメーカーである富士通が同年4月、ついに発表に踏み切ったパーソナルコンピュータFM8は、明確にビジネス用途を念頭に置いていた。6800の改良型である6809を2個組み込んだFM8は、8ビットながら、片方を入出力の制御に専門にあたらせる工夫によって、処理速度の向上を図っていた。

 さらにFM8は、漢字ROMを基板上に組み込める、初めての漢字パーソナルコンピュータに仕上げられていた。富士通はこのマシンに、大型コンピュータ用に開発した4層構造の多層プリント基板を用いていた。

 陸も海も混じり合ったような混沌としたホビイの世界から、ビジネスは確固たる市場性を持ったパーソナルコンピュータの1分野として浮かび上がっていた。ここに狙いを定めたFM8に対抗するために、渡辺和也は漢字の使える上位機種の開発を最優先して進めることを指示した。後藤たちは日本語の表示のために解像度を高め、漢字ROMを組み込めるように備えたマシンの開発に突貫工事であたった。FM8への対抗上9月には早くも発表に踏み切ったPC-8801の出荷には、年末ぎりぎりになってようやくこぎ着けることができた。

 だがアメリカではこの年の8月、IBMがPCでパーソナルコンピュータに乗り込んできていた。今後ビジネス市場を狙って各社が16ビットのマシンを送り込んでくることは、火を見るよりも明らかだった。にもかかわらず16ビットのビジネス分野は、情報処理事業グループの領域としてすでに囲い込まれていた。

 後藤たちは、技術の未来を開く権利を失っていた。

 もしも事務用の16ビットという概念に抵触しないもう1つの16ビット機があれば、閉じ込められた8ビットの壁を突き破ってあらたな世界に踏み出せるのかもしれない。

 だが、そんなコンピュータがあるのだろうか。

 「16ビットは情報処理」との方針が示されて以来、後藤は繰り返しこの問いに向き合ってきた。西に誘われて顔を出したローゼンのフォーラムは、この問いと、後藤の胸の中ではるかな導きの光として生き続けてきたアルトへの憧憬とを結びつけた。

 16ビット化によって獲得した処理能力を、使い勝手の側に大きく割り振ったアルトの子供なら、情報処理事業グループの押さえる事務用という領分に抵触しないマシンと言い張ることができるのではないか。

 乗客の食事を片付け終わったあと、客室の窓を閉ざしてスチュワーデスが作り上げた人工の夜の闇の中で、後藤は1人、瞳を燃やしながら考え続けていた。

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