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パソコン創世記
第2部 第6章 魂の兄弟、日電版アルト開発計画に集う
1983 PC-100の早すぎた誕生と死

ハードウェアの中核はASICに凝縮せよ

富田倫生
2010/7/12

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

ハードウェアの中核は
ASICに凝縮せよ

 一体型のカラー版マッキントッシュという目標を示された時点で、松本はTRONの開発上のポイントを2つ、念頭に置いていた。

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 1つは小さな筺体にすべての要素を押し込むために、回路基板を徹底して小型化すること。そしてもう1つの要素が、ビットマップのカラー画像をできる限り速く表示するために、ひねり出せるだけのアイディアを盛り込んで徹底して高速化を図ったビデオ回路を作り上げることだった。

 1つ目の基板の小型化に関しては、西から初めて話を聞かされた時点で、松本は即座に進むべき道を選び取っていた。

 ソニーのSMC-70は、開発をほぼ完了した段階でPCの発表という衝撃波に見舞われた。16ビットの増設モジュールの準備やMS-DOSの手配という対応策をとったあと、西が日本電気にプロジェクトを持ちかけた1982年の5月になってようやく、アメリカ市場向けの商品として発表された。8ビットから16ビットへの転換の隙間に足を取られて、SMC-70は商業的には失敗に終わったが、松本はこのマシンの開発にあたって新しい技術的な経験を積んでいた。

 ソニーにおける商品開発には、PPセンターと呼ばれる意匠の専門部隊のスタッフが当初からかかわり、まず製品のデザインを固めてからハードウェアをその中に押し込むスタイルがとられていた。SMC-70に関しても、直線的なイメージを生かしてすっきりとコンパクトにまとめた筺体のデザインが固められたあとで、松本は限られたスペースに高解像度のカラーグラフィックスを表示する基板を押し込むことを求められた。

 徹底した小型化という難題を押しつけられた松本に突破口を与えたのは、当時から大型コンピュータで使われはじめていたASIC(Application Specific IC=特定用途向けIC)と呼ばれる新種の集積回路だった。

 大量に使われるメモリやマイクロコンピュータなど、汎用性の高い回路は、これまでもいち早く集積回路化されてきた。たとえ開発コストが高くついたとしても、数多く売れると見込めるものは、集積回路に作り付けてしまう方が長期的に見れば明らかに有利だった。ただしあまり数の見込めないものに関しては、開発者は集積回路化をためらわざるをえなかった。

 のちにパーソナルコンピュータに取り組む日本電気のオフィスコンピュータ部隊は、1976(昭和51)年4月に発表したシステム100の新機種で全面的にLSI化に踏み切った。この際、事業を統括していた小林亮は、年間販売台数がたかだか2000から3000台程度のマシンのために、たくさんの専用LSIを起こすことに躊躇(ちゅうちょ)の念を抱いた。

 だが現実に徹底したLSI化を推し進めてみると、プリント基板の小型化や組み立て作業の効率化といった予測済みのメリットに加え、不良箇所がほとんど生じないために検査要員を大幅に削減できるようになったこと、軽量化によって導入先への設置が省力化されたことなど、あらゆる局面でうまみが生きてきた。処理速度を上げるという基本的な課題にとっても、LSI化を徹底させることにはメリットが大きかった。

 ACOSシリーズも監督する立場にあった小林は、システム100の経験を通して、生産台数のさらに少ない大型汎用機でもLSI化を進める必要性を痛感させられた。

 生産台数の少ない大型機の回路をいかにして効率的にLSI化するか――。言い換えれば製造個数の少ないLSIをいかに安く作るかという大型コンピュータからの要請に応え、半導体技術の側はASICという回答を用意した。

 ASICはいわば、半完成品の状態でいったん製造され、注文に応じて最終的な加工をほどこして仕上げる〈イージーオーダー〉のLSIだった。代表的なASICであるゲートアレイは、あらかじめチップ上にたくさんの基本回路を作り付けておき、要求に応じてあとから回路間の配線だけを行って、求められる機能を実現することができた。

 松本はこのASICをパーソナルコンピュータでいち早く利用することによって回路の大半をLSIに押し込み、SMC-70の極端な小型化の要求に応えることができた。SMC-70の開発作業はソニーの厚木工場で進められたが、松本は同じ神奈川県内の中原区、武蔵中原にある富士通のASIC部隊に通っては、SMC-70用の論理設計を行った。

 パーソナルコンピュータで初めてASICを使いはじめたのはシャープのMZ-80Bだったが、松本もSMC-70でほぼ同じ時期に、専用のLSIを起こすことを体験していた。

 一体型のカラー版マッキントッシュという西のイメージを初めて聞かされた瞬間から、松本はこのマシンではASICをさらに徹底して生かすしかないと確信した。

 三洋電機のCP/Mマシンで一体型を経験してきたことも、松本には心強かった。

 回路基板とブラウン管、フロッピーディスクドライブを1つの筺体の中に押し込んでごく近くに置く一体型のマシンでは、相互のコンポーネントの電磁気的な干渉によってトラブルが起こりやすくなる。ブラウン管からの放電によって、メモリの情報の0、1が1つでも入れ替われば、コンピュータは正常に機能しなくなる。磁気で情報を書き込んでいるフロッピーディスクに関しても、ブラウン管にあまり近づけすぎると電磁気的な影響が及んで信頼性が低下する恐れがあった。

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