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パソコン創世記
第2部 第6章 魂の兄弟、日電版アルト開発計画に集う
1983 PC-100の早すぎた誕生と死

藤井展之とコンピュータグラフィックス

富田倫生
2010/8/6

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げています。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に則り、表記の一部を@ITの校正ルールに沿って直しています。例)全角英数字⇒半角英数字、コンピューター⇒コンピュータ など

ダイナウェア
魂の兄弟とめぐり会う

 ジャストシステムがPC-100用ワードプロセッサの開発作業に集中して取り組みはじめた7月、後藤富雄は「コンピュータグラフィックスに入れ込んでいる面白い大阪のグループがある」と紹介されて、藤井展之と名乗る人物からの電話を受けた。

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 スケジュールを確認し、港区芝、田町駅前の日本電気本社ビルを訪ねてもらう日を決めた。

 藤井展之は1954(昭和29)年、スティーブ・ジョブズと同じ年に福岡で生まれた。電電公社に勤めていた父の転勤に伴って、藤井は5つの小学校と、2つの中学校に通った。高校に入ってからも、長崎北高校から小倉西高校への編入を体験した藤井だったが、目まぐるしい転校体験はむしろ、彼の心に腰の据わったしなりを育んでくれた。

 レッドツェッペリンやディープパープル、グランド・ファンク・レイルロードなどのビートのきいたロックを愛した藤井は、仲間たちと組んだバンドでギターを弾いた。高校3年生のときには、ウッドストック・イン小倉と名付けたコンサートの開催に走り回って、1万人を集めるイベントを成功させた。

 2年浪人して入った大阪大学の文学部では、西洋美術史を専攻した。

 ミュージシャンか物書きか、なにかそうした仕事で食っていきたいと考えていた藤井は、大学の軽音楽部でバンドを組み、放送作家の見習いとしても働きはじめた。5年かけて卒業した時点では、まともな就職のコースには乗っていなかった。小さかった運送会社を急成長させていった叔父の姿を見て育った藤井には、もう一方で自分の会社を起こしたいという漠然とした希望があった。放送作家で進むのか、会社の設立に向けてもう少しまっとうなキャリアを積むのか――。

 モラトリアムのその日暮らしにけりを付けるきっかけとなったのは、三洋電機の人材募集だった。

 「ビデオ事業の拡張に伴い、人材を募集する」とした中途採用の募集広告を見た藤井は、大企業を覗いてみるのも経験と考えて電話を入れてみた。

 履歴から考え方まで、包み隠さずに話すと、「けったいなやっちゃ」と人事担当者が面白がってくれた。テレビ、ビデオに関する営業企画の仕事は藤井自身楽しかったが、給料の安さにはあきれ返った。大阪のエッセンスを煮染めたような地元、守口、門真の風土には、ロックマニアで作家志望の感性には受け入れがたい臭みがあった。

 急成長を遂げていた化粧品会社、ノエビアの求人広告を見た藤井は、染み付いてきた大阪ローカルのにおいを洗い落とそうかとしゃれて、履歴書を送ってみた。入社そうそう社長に買われ、社長室付きとなって宣伝、広報を担当することになった。アメリカのテレビCM向けに目もくらむようなコンピュータグラフィックス(CG)を作っていたボブ・エイブルの作品に、藤井はこの時期目を奪われた。職場があった東京、青山のツインタワーに隣り合う東洋リンクスで、CGのデモを見せてもらうと、この新しい表現に対する関心はいっそう深まった。

 そんなとき、藤井がコンピュータに興味を持っていると聞きかじった友人が、「ロボット作りのスタッフを集められないか」と相談を持ちかけてきた。聞けば産業用の無骨なタイプではなく、娯楽用のロボットを開発したいのだという。ハードウェアに関しては開発のめどがついたが、ソフトウェアの書き手が確保できないという話だった。

 手配師として振る舞えるほどのコネクションはなかったが、1つだけ手がかりを思いついた。阪大時代、卒業間近になって同じ下宿に入ってきた渡辺嘉伸がまだ4回生で残っているのではないかと閃いた藤井は、電話を入れ、コンピュータマニアの学生を集めるように頼み込んでみた。渡辺は学内に大阪大学コンピュータクラブというサークルがあるのを発見し、アルバイトでロボットのソフトウェアを書いてくれる力のある人間が欲しいと話を持ち込んだ。

 工学部、基礎工学部、理学部の学生が大半を占める総勢30人ほどのクラブのメンバーには、出来合いのマシンをいじる程度の学生も多かった。だが、中にはハードウェアを自作したり、OSの移植や高級言語の翻訳ソフトウェア開発までやってのける硬派のハッカーがまじっていた。

 大型コンピュータを抱えている計算センターで開発を手伝ったり、マシンのマニュアルのチェックを引き受けたりと、コンピュータ関係のアルバイトにも精を出していたハッカーたち10人ほどが、ロボット絡みの仕事に手を挙げた。

 結局のところ、アミューズメントロボットの開発計画は、中途で頓挫することになった。このプロジェクトに関しては、藤井は純粋に話をつないだだけだった。だが学生たちの中にCGに興味を持っている者がいるという話には、耳が止まった。彼らに会ってみると、会話が弾んで「ちゃんとした物を作ってみろよ」と口をついてでた。ロボットの言いだしっぺと藤井が、各々100万円ほど開発費としてハッカーたちに渡し、デモの作品を作ることになった。

 ハッカーたちは、3次元の物体にきわめてリアルな陰影付けを行う、レイトレーシング(光線追跡法)と呼ばれる最新の技術を盛り込んだ作品を作ろうと考えた。鏡面仕上げの球体が、周囲のものを反射させながら動いていくグラフィックスの作成には、膨大な計算が必要だった。16ビットのコンピュータを持っていなかったハッカーたちは、2.5MヘルツのZ80を使った手作りのCP/Mマシンで処理することを覚悟した。1こまの計算に、まる一晩かかるありさまで、数秒のアニメーションを完成させるまでに大変な時間を費やすことになった。

 それでも、仕上がったデモの出来映えは見事だった。

 ハッカーたちは、自分たちで開発したシステムを使い、コマーシャルや映画、テレビ番組などで使うCGの受託開発スタジオを作りたいと考えていた。社内の人事抗争に嫌気がさしていた藤井も、ハッカーたちとの出会いが独立のチャンスを与えてくれるかもしれないと考えるようになった。

 1983(昭和58)年の夏、でき上がったデモのテープを抱え、藤井はCGを発注してくれる可能性のありそうなテレビ局や広告代理店などを軒並み訪ね歩いた。日本電気ならショールームの展示などに使ってくれるかもしれないと考え、宣伝販促担当のセクションに電話を入れてみた。パーソナルコンピュータの宣伝担当者は、開発の技術屋さんにも紹介したいと話をつないでくれ、パーソナルコンピュータ事業部の池田敏昭に引き合わされた。

 眼鏡の奧の池田の目の色は、デモのビデオを見るうちに変わっていった。

 開発の手順をたずねられ、「自分たちで書いたプログラムを、手作りの8ビットマシンでえんえん走らせて作った」と答えると、「是非上司に会ってほしい」と逆に求められた。

 少し眠そうな目で、ひょうひょうとした雰囲気を感じさせる後藤富雄の印象は、デモを見終わったときには、一変していた。

 「面白いですね」

 そう膝を乗り出してきた後藤は、再び開発の手順を問い、どんなスタッフが作業にあたったのか、質問を重ねた。

 藤井の答えを聞き終えた後藤は、しばらく黙りこくっていた。ふと忘れていた用件でも思い出したように面を上げた後藤は、「僕たちもグラフィックスに強いマシンを考えているんですよ」と話しはじめた。

 「新しいこのマシン向けに、グラフィックスのアプリケーションが書けないか」

 そう水を向けられた藤井は、「是非ともやらせてほしい」と即答した。グループの中心となっていた4回生のハッカーたちは、卒業を目の前に控えていた。彼らとともに独立を目指すとすれば、藤井は船を出さざるをえなかった。後藤の提案は、船出を誘う絶好の風だった。

 彼らの中でも特にCGに入れ込んでいたハッカーに企画書をまとめさせ、後藤や池田たちとの打ち合わせを繰り返した。支配人という肩書きの渡辺和也も出席した会議で企画が本決まりとなり、開発中のマシンを貸与してもらえることになった。

 10台ほど確保しているプロトタイプを何台まわせばよいかとたずねられ、取りあえず3台送ってもらうことにした。

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