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コラム:自分戦略を考えるヒント(2)
シリコンバレーで感じた自分戦略の大切さ

〜80歳になったとき、後悔しないキャリアを選ぼう!〜

堀内浩二
2003/7/24

 こんにちは、堀内です。

 前回のコラム「技術者は“起業家マインド”で生き残る」について、読者から「キャリア(というか人生?)に対するそのようなスタンス・発想はシリコンバレーでの仕事の経験から得たものなのですか」というメールをいただきました。

 うーん、わたしがシリコンバレーで働いていたのは、30歳を過ぎてからの2年弱にすぎません。シリコンバレーの空気に染まったとは思っていませんが、そういわれて思い返してみると、さまざまな人と出会い、いろいろな経験をしていく中で考えさせられることが多かったのは確かです。

 というわけで、今回はいくつか象徴的な出来事を思い出しながら、その辺りの話を書いていきます。

IT産業の成熟度

 よくIT「産業」といいますが、その成熟度が日本とはずいぶん違うと感じました。一例を挙げましょう。アメリカで働きだしたばかりのときのことです。中西部の化学会社の会議に参加する機会がありました。ERP導入の可否を検討する社内会議で、わたしが働いていたコンサルティング会社からは司会役と技術的な質問に答えられるスタッフが数名参加しました。

 OJT(On the Job Training)の一環として端っこで話を聞いていただけでしたが、いろいろと興味深い発見がありました。

 例えば、ミドルウェア、ERP、Webテクノロジなど、それぞれ担当のアーキテクトがいることです(専任であったかどうかは不明)。白髪交じりの、おそらく50代前半の方も少なくありません。

 それだけのプロが社内にいるということは、常に自社の情報アーキテクチャがどうあるべきかを社内で考えているということです。われわれは会議のファシリテーションと新しい技術に関しての情報提供を担当しましたが、ディスカッションと最終的な意思決定は先方企業がリードして行いました。

 アーキテクチャといっても、それまでに見聞きしたケースでは、たいてい新システムを既存システムに接続する方法(とそのコスト)の話に終始し、技術的なトピックは出入りのITサービス企業からの「ご提案」に依存する割合が高く、企業が自社の情報アーキテクチャの構想を描いていることはまれでした。

 企業の情報アーキテクチャを、堅牢性とスケーラビリティを考慮した一貫性のあるものとしてデザインし、維持していく。これは経済面でも合理的なのですが、現実は案件ごとのツギハギで、インターフェイス地獄なんて呼ばれるプロジェクトが多かったのです。

ITエキスパートのキャリア選択は広がる 

 実際に企業が情報技術を積極的に活用する姿に触れた経験は、日本のIT産業にまだまだ成熟の余地があることを知らせてくれました。同時に、自分自身のキャリアを考えた場合にも、いろいろな選択肢があり得るということに気付かせてくれました。

 わたしはフレームワークで物事を考えることが好きで、仕事でも情報システムのアーキテクチャ作りにかかわる機会が多かったものですから、漠然とアーキテクトを志向していました。自分のキャリアについても、自然とITサービス企業で働き続けることを前提に考えていました。

 しかし、アメリカの企業を見ていると、日本のIT産業が真の基幹産業として成熟していけば、ITエキスパートのキャリアの選択肢も広がっていくに違いないという感触を得ました。

 ITスキルを磨いていくことはもちろん重要ですが、ITを「売る」のか、「活用する」のか、活用を「支援する」のか。自分がどのようにITとかかわっていきたいのか、そのスタンスを考えていくと、ITスキルだけで勝負する必要はないし、逆にそれだけではやりたいことができないのではないかとも考えるようになりました。

「80歳になった自分が後悔しない」キャリアを選ぶ

 アメリカで働いていたのはちょうどネットバブルの時期で、オフィスでも人材の流出が起きていました。そんなとき、仲の良かったアメリカ人のマネージャの1人が、ベンチャーに転職すると聞きました。彼が机の周りの持ち物を片づけているとき、こんなことをいわれました。

 「自分はこのまま会社に残っても昇進していけると思う。でも、この時代に、この場所に生きていて、もし何も挑戦せずにその場にとどまったとしたら、80歳になったときに、きっと後悔する」と。

 ゴールドラッシュ以来の「革命」が起きているといわれる状況でしたから、そういう考え方の人は決して少なくなかったのです。ただ、正面切ってそういわれたので、深く感銘を受けました。彼はチャイニーズアメリカンで、ごく小さいときにサンフランシスコに移住してきたと記憶しています。親が移住を決意し、二世である彼もまた大きなチャレンジに飛び込んでいく。

 そのようなスケールでネットバブルを考えると、チャンスをつかもうとする健全なチャレンジ精神、そしてチャレンジャーが実際に報われるアメリカのダイナミズム。それらと切り離して「カネに目がくらんだIT業界の狂騒が生み出した虚構の景気浮揚」などと、単純に図式化することは、大事なものを見落としているような気がします。

前向きな合理化 〜「Moving Forward」

 当時IPOを目指してベンチャーに移っていった友人たちのその後はさまざまです。しぶとく同じ会社で頑張っている人、新しいベンチャーに転職した人、「昔の畑」に戻った人、学校の先生になるなど大きなキャリアチェンジをした人……。道はそれぞれ異なりますが、彼らが「あのときの経験はこんなふうに役立った」と前向きに合理化して、新しいチャレンジに挑む姿勢は見習いたいと思います。

 最近、当時の友人と話をしました。彼は同僚が次々とベンチャーに転職していく中でも、泰然と仕事を続けており、「それはそれで立派な選択だ」と見ていたのですが、実は同僚が移った先の企業の公開株を買っていたそうです。

 「結局数万ドルを損したよ」と笑いながら、「でも、あれは自分の心のバランスを取るために必要なコストだった」というのです。いまの仕事は続けたい、でもチャンスにも賭けてみたい。その心のバランスを取るために「チャンスを金で買った」ということでしょうか。これもまた「前向きな合理化」だと思います。

 自分の選択の結果は結果として受け止め、「前向きな合理化」をして心の整理をつけ、前へ前へと進む。そんなマインドの象徴が、よく電子メールなどで見掛ける「Moving Forward」という単語です。議論が煮詰まったときとか、何かに失敗したときとか、ふと沈滞ムードになったときにこの言葉が出てきます。不思議に元気の出る言葉です。

失敗しても得たものがあればいい

 わたしも日本では定期的に転職エージェントから話を聞くなどして、自分の「市場価値」なるものを確認していました。自分にとってのキャリアアップとは、「自分をおカネに換算したら幾らになるのか、その金額を上げていくにはどうすればいいのか」と考えていたように思います。ですから同世代の友人が語る「80歳になった自分から見ても後悔しないチャレンジをしていこう」という考え方にはグッとくるものがありました。

 最初のエピソードで紹介したように、日本のIT産業はこれから「厚み」を増していく段階であり、「冒険の場もきっと増えていくに違いない」と楽観的に考えていました。いま振り返ると、こうしたシリコンバレーでの体験の積み重ねが自分の冒険的なキャリア選択を後押ししているのかもしれません。

 失敗もたくさんしていますが、そのときには「でも、これは得られたじゃないか」と自分自身で合理化すればいいということも学びました。起-動線で提供している「意志決定のフレームワーク」ではこれを一歩進めて、決断の前に「たとえ失敗しても得るものはあるか?」と問い掛けています。

 こうやって振り返ってみると、やはりシリコンバレーの影響を受けているみたいですね(笑)。

筆者紹介
堀内浩ニ●アーキット代表取締役。早稲田大学大学院理工学研究科(高分子化学専攻)修了。アクセンチュア(当時アンダーセンコンサルティング)にて、多様な業界の基幹業務改革プロジェクトに参画。1998年より米国カリフォルニア州パロアルトにてITベンチャーの技術評価プロジェクトに携わった後、グローバル企業のサプライチェーン改革プロジェクトにEビジネス担当アーキテクトとして参画。2000年に帰国、ソフトバンクと米国VerticalNet社との合弁事業において技術および事業開発を担当。

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