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IT業界の冒険者たち

第8回 企業変身マネージャ

脇英世
2009/5/21

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

ギルバート・アメリオ(Gilbert Amelio)――
元アップル会長兼社長兼CEO

 アップルコンピュータは1976年4月1日、1970年代の反戦主義とマリファナに象徴されるヒッピー文化の影響を色濃く受けたスティーブ・ウォズニアックとスティーブ・ジョブズという2人の若者によって設立された。アップルはウォズニアックの電卓とジョブズのフォルクスワーゲンを売り払った資本で始められたガレージ会社である。

 1977年1月、25万ドルを投資したベンチャーキャピタリストのマイク・マークラがアップルの会長となる。続いて1977年2月、マイケル・スコットが社長になる。スティーブ・ウォズニアックとスティーブ・ジョブズは経営には関与していない。考えてみると小さな会社でありながら、創立者と経営者が違うのがそもそも齟齬(そご)をきたす原因なのである。

 1977年4月、この会社の作ったアップルII というパソコンが奇跡的な大当たりをし、明確なマーケティングもサポートもないままに、急激な成長をする。

 1981年、無方針に拡大したアップルは行き詰まり、リストラクチャリングが必要になった。会長のマイク・マークラが社長に、社長のマイケル・スコットが副社長に、スティーブ・ジョブズが会長になった。

 1983年4月、ペプシコからやって来たマーケティングの専門家ジョン・スカリーが新社長になる。1985年9月、スティーブ・ジョブズが辞職し、ジョン・スカリーが会長になる。アップルで辞職という場合、ほとんど宮廷クーデターによる追放と同義語だ。内訌(ないこう)の激しい会社である。

 1990年11月、マイケル・スピンドラーが社長になる。これは次の事件の伏線であった。1993年10月、ジョン・スカリーが辞職する。代わってマイク・マークラが会長になる。

 マイケル・スピンドラーの戦略の基本は低価格化にあり、マッキントッシュパフォーマシリーズを強力に推進した。ところが収益性の悪いマッキントッシュパフォーマシリーズは逆にアップルを次第に追い詰めて巨大な赤字を出させることになる。マイケル・スピンドラーの戦略の第2はパワーPC601を使ったパワーマッキントッシュであった。

 1994年1月、マイケル・スピンドラーはパワーマッキントッシュクローンの必要性を説いた。マッキントッシュ市場はパソコン市場の1割程度にしかすぎず、シェアが小さすぎてスケールメリットが出なかったからである。皮肉なことにパワーマッキントッシュクローンもアップルの首を絞めることになる。

 1994年3月、次世代Mac OSのコープランド(Copland)の計画が公表される。コープランドそのものはメモリ保護とマルチタスクを実現するという平凡なものであったが、これにクイックタイムやOpenDocが絡んでくると、極めて複雑で大規模なものになり、開発は泥沼にはまり込んでいく。

 1994年ごろアップルはIBMとの合体を考え、1994年11月にはIBMによるアップル買収交渉が最終局面まで進んだ。交渉はIBMのルー・ガースナーが出てくるほどにまで煮詰まっていたが、最終局面で流れた。この後アップルはHP、東芝、フィリップス、コンパック、ゲートウェイなどに身売りの交渉を繰り返すが、すべて失敗に終わる。これがアップル従業員の士気を低下させた。

 1995年12月、アップルのフィリップスへの買収交渉が不調に終わると、サン・マイクロシステムズへの買収交渉が始まった。いつまでも身売りの交渉が続き、士気は最低になる。

 1996年1月、マイケル・スピンドラーがCEOを解任され、マイク・マークラも会長を解任される。

 1996年2月、アップルの業績は悪化の一途をたどったため、会社再建屋の異名を持つギルバート・アメリオが会長兼最高経営責任者になる。

 つまり、アップルは会社再建屋を迎えなければならないほど経営が悪化した。このことはパソコンハードウェアの革新のスピードが鈍化して、普通の商品となりつつあることを物語っている。

 ギルバート・アメリオとはどんな人だろうか。アップルコンピュータでのアメリオの公式なパーソナルポートフォリオには、飛行機の操縦に関したことは何でも好き、最近読んだ本は新しい航空管制システムのマニュアルとある。

 また、アメリオの著書『トランスフォーメーション・マネジメント』(ギル・アメリオ/ウィリアム・L・サイモン著、前田俊一訳、東洋経済新報社)にも飛行機の操縦のことがよく出てくる(*1)。1991年ごろの愛機はターボプロペラのハイパーチェインで、かなりの飛行機狂らしい。

*1)1997年ごろの愛機は、ビジネス用ジェット機のサイテーションII であった。7人乗りで双発のジェット機である。

 食べ物は母親の作ったラザニアが好き。最高の休暇は東地中海でのクルージングとある。人生を楽しむタイプのようだ。

 音楽はバッハのブランデンブルク協奏曲、『真昼の決闘』やフランク・キャプラの映画、テレビはオリジナルの「スタートレック」とある。正直なところ、この組み合わせは極めて不可解だ。

 ギルバート・アメリオはジョージア工科大学の物理学科で学士、修士、博士号を取得した。大学を出るとベル研究所に就職して、CCD関係の研究をしていたらしい。

 引き続いてフェアチャイルド・カメラに移り、フェアチャイルドのMOS生産グループの副社長兼ジェネラルマネージャに就任した。

 1983年、アメリオはロックウェルの不良採算部門のエレクトロニックデバイス部門を半導体生産部門(SPD)と改名し、5年間で奇跡的な再建にこぎつける。SPDはFAXの電子部品の世界的な供給業者としての地歩を固める。

 続いてアメリオは、ロックウェルのさらに大きな不良採算部門ロックウェル・コミュニケーション・システム(RCS)の再建を任され、社長に任命される。「いま解決せよ、さもなくば閉鎖」というスローガンで、アメリオは再建を断行する。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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