第11回 3Comの柔和な帝王
脇英世
2009/5/26
こうしてエリック・ベナムの基本的な戦略は出来上がった。小さな会社を次々に買収していくのである。大きな会社を狙わず、常に小さい会社を狙った。なぜなら、3Comとブリッジの合併を経験して、企業買収や対等合併の難しさを知っていたからである。
しかし、買収した会社を3Comの組織にうまく融和させることについてはエリック・ベナムは巧みであった。買収された会社の創業者は常に夢を破壊される。そのため、それに代わる夢を用意していたのだった。
1997年、3ComはUSロボティクスを買収した。買収費用は66億ドルつまり7000億円にも達する巨大なもので、大きな企業は買収しないとしたそれまでのエリック・ベナムの戦略とは異なるものであった。この買収によって3Comは56KモデムのX2技術とパームコンピュータの2つを入手した。モデム事業を手に入れることによりホーム・ネットワーキング分野を強化したかったといわれる。
「人生はS字カーブの連続だ」というエリック・ベナムの名言がある。1999年になってアナログモデムはすでにS字カーブを越えた。これからはDSLモデムのS字カーブを越えたい、という発言が目立つようになった。モデム事業において、アナログモデムの分野はもはや急速に成長しないというのである。2000年3月、3Comはモデム部門をアクトン、ナットスティールへ売却し、3000人を解雇した。
一方、パームコンピュータの獲得はエリック・ベナム自身の理論に反していた。パームコンピュータはPDAといいながらコンピュータである。ある会社はコンピュータの会社になり得るし、またネットワークの会社にもなり得るが、両立させることはできない、というのがエリック・ベナムの理論である。
パームコンピュータ部門は問題であった。ハブ、ルータ、スイッチの分野でマイクロソフトと協調を保ちつつ、一方でパームコンピュータではマイクロソフトのウィンドウズCEと対立してしまうのである。このジレンマの克服は難しかった。そこで1999年9月、3Comはパームコンピュータ部門を本体から切り離す方向へ進み始めた。
さらに追い打ちをかけるように、2000年1月、ゼロックスとの裁判で敗訴する。3Comのパームコンピュータが採用している手書き文字認識技術が、ゼロックスのグラフィティ手書き文字認識技術とユニストローク技術の特許に抵触するとの判決が下った。
パームの分離は2000年3月に行われ、エリック・ベナムは会長兼CEOに納まっている。
USロボティックスの問題以外にも、3Comは大企業向け市場でシスコに対して苦戦している。小さい会社を吸収することには長けているが、シスコのように巨大な会社を次々にのみ込む術は持っていないのである。
エリック・ベナムはアイデアマンである。エッジ戦略、パーベイシブ・ネットワーキングなど、その時々でいろいろな戦略を提唱してきた。また3Comをインターネットカンパニーとは位置付けないという。インターネットはあまりにあいまいで、あまりに包括的な言葉だからだそうだ。
また、これから3Comが力を入れていく分野として以下の7つを挙げている。
- ボイス・オーバーIP
- LANテレフォニー
- ハンドヘルド・コンピューティング
- ブロードバンド・アクセス
- ホーム・ネットワーキング
- ストレージ・エリア・ネットワーク
- ワイヤレス
ニッチ市場に活路を求めるというつもりらしいが、少し手広すぎるので絞り込みが必要だろう。
ネットワークのスタープレーヤーは、シスコ、3Com、ルーセント、ノーザンテレコムの4社に淘汰(とうた)されてきた。このうち、古くからあるのはシスコ、3Comの2社だけである。競争の激しい、淘汰の厳しい業界である。
本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。 |
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