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IT業界の冒険者たち

第18回 バスケットボールのコーチから通信帝国の王へ

脇英世
2009/6/9

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本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

ベルナルド・エバース(Bernard Ebbers)――
MCIワールドコム社長兼CEO

 はじめにクイズはいかが?

 第1問:「インターネットの父」といわれるビントン・サーフについては、この連載でも取り上げて解説し(「インターネットの父」)、単行本の『IT業界の開拓者たち』にも収録してある。1997年当時、ビントン・サーフはMCIにいたのだが、現在は何という会社にいるのだろうか。

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 第2問:その昔、コンピュサーブという巨大なパソコン通信会社があったが、どこへ行ってしまったのだろうか。何という会社に買収されたのだろうか。

 第3問:UNIXユーザーがUUCPというプロトコルを使って構築したネットワークがUsenetであり、後にこれが企業化されてインターネット・サービス・プロバイダのUUNetとして大きく成長した。草の根連動がお金もうけの会社になるとは随分妙な話であるが、このUUNetは一体どうなったのだろうか。どの会社に買収されたのだろうか。

 これらを全問正解できれば、あなたは相当なインターネット通である。

 クイズの答えは簡単で、3問ともワールドコム(WorldCom)である。正式にはMCIワールドコムだが、ワールドコムがMCIを買収したのでワールドコムということになっている。ワールドコムという会社については、当時あまり知られていなかったといっていい。その理由は、ワールドコムという社名は比較的新しく、1995年から使われたからである。まだ4年の歴史しかない。ちなみにワールドコムの前の社名はLDDSであり、この社名は12年間使われた。この社名には、ユニークな由来がある。

 1983年9月、ミシシッピ州のハッティスハーグという場所にあったコーヒーショップで、4人の男たちが長距離電話回線の再販会社におけるビジネスプランの相談をしていた。当時、史上最大の企業と呼ばれたAT&Tに対する独占禁止法訴訟が終結に向かい、AT&Tは長距離回線会社こそ残せたものの、傘下の地方電話会社をすべて分離させることになった。このことから、長距離電話回線の再販会社というジャンルでのビジネスが可能となった。そこで一獲千金の夢を見る男たちが、コーヒーショップで新事業の立ち上げについて話し合っていたのである。

 そこへウェイトレスがやってきて「アイスティーのおかわりはいかがですか」と訪ねた。男たちの1人、マーレイ・ウォルドロンは「いや、アイスティーはいらないが、目下計画中の新しい会社の名前が欲しい」と答えた。するとウェイトレスは、しばらく彼らの会社の説明を聞いた後、奥へ引っ込んでナプキンに会社の名前を書いてきた。

 ナプキンにはLDDC(Long Distance Discount Calling)と書いてあった。正式な社名はLDDS(Long Distance Discount Service)になったが、基本的にはそのウェイトレスが付けた名前が正式な社名として採用されたのである。何とも安直な話だが、これは実話でワールドコムの社史にも記録されている。

 1983年、LDDSの初代社長にマーレイ・ウォルドロンが納まり、LDDSはミシシッピ州の公益事業委員会から長距離電話回線の再販業者としての認可を受けた。LDDSはAT&TのWATS(Wide Area Telecommunication Service:広域電話サービス)をリースして、長距離電話回線を再販した。LDDSの本社はブルックヘブンにあったが、ミシシッピ州によくある普通の農家のような建物である。いまも写真が残っている。

 しばらくは順調であったが、1985年にAT&TがWATSの電話料金を上げると、LDDSはたちまち赤字を出した。そこで1985年、出資者の1人であるベルナルド・エバースが社長になった。ベルナルド・エバースは1941年の生まれらしく、LDDSの社長になったのは44歳のときに当たる。

 ベルナルド・エバースは、1941年カナダのアルバータ州エドモントンの生まれで、ミシシッピ大学からバスケットボールの奨学金をもらってミシシッピ州に移ってきた。従って、ミシシッピ大学の体育学科を卒業している。大学を卒業すると、高校のバスケットボールチームのコーチになったという。現在もがっしりした体格でひげが濃い。米国人に好かれるタイプの容貌である。

 LDDSの社長になるまで、20年間が歴史の空白なのだが、ジェフリー・アーチャーの『ケインとアベル』のような苦闘の物語があったに違いない。なぜなら高校のバスケットボールコーチが、20年後にベスト・ウェスタン・ホテルを買収し、自動車の販売代理店を手に入れていたからである。どうしたら並みの給料である高校のバスケットボールコーチに、そういったことが可能なのだろうか。本当はこの間での経験が一番参考になりそうな気がするのだが、いまのところ、公開された資料はない。1974年にミズーリ州コロネルでモーテルを買ったことくらいしか分からない。残念である。

 ベルナルド・エバースは、LDDSの経営危機に、無理やり引っ張り出されて社長に就任したのだが、たちまち会社を再建し、その年のうちに黒字に転化させたという。ものすごいやり手である。

 なお、バプティスト教会の熱心で敬けんな信者で、あらゆる会議をお祈りから始めるといった一面もあるようだ。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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