第28回 Linuxの創成期に活躍した男
脇英世
2009/6/25
本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部) |
本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。 |
アダム・リヒター(Adam J. Richter)――
イグドラシル・コンピューティング・インコーポレイテッド創業者
アダム・リヒターの書いている履歴は、まったく謎のようなものである。たくさん書いてあるのだが、肝心なところが抜けている。生まれた年からして不明だが、1992年にUCバークレーのコンピュータ科学科を卒業しているのは確かだ。写真で見る限り、中年や老人ではない。30歳前後だと思う。1983年にアダム・リヒターは、ピッツバーグのリハビリテーション・インスティテュートのために、教育用ソフトウェアおよびグラフィックス・エディタを書いた。翌1984年、ピッツバーグにあるエストラック・システムズ・インターナショナルのグラント・ビルディングのために、温度監視システムを構築した。1985年には、ピッツバーグ大学の研究室にあった自動化プログラムを改良、翌年の1986年に、NSF(全米科学財団)の夏期インターンに応募した。オフィスのネットワーキング、ARPAネットのインストール、ワークステーションの評価、VMSからULTRIXへの変更を行っている。どうやらアダム・リヒターは、このころUCバークレーに入学したらしい。
1987年の春、アダム・リヒターはUCバークレーのコンピュータとコミュニケーション施設の上級システムプログラマになった。アダム・リヒターはネットワークデーモンを改造し、キャンパスで5つのサン・マイクロシステムズのクラスタが動くようにした。夏には、ニュージャージー州プリンストンのシーメンス開発技術研究所でアルバイトをすることになり、ここでシーメンスのタイル型ウィンドウマネージャをX11に移植するのを手伝った。このアルバイトが、アダム・リヒターの将来の方向性を定めることになる。
この年の秋から翌年の1月にかけて、アダム・リヒターはジュピター・システムと契約して、X11サーバをPFP20という24ビット・グラフィックス・サブシステムに移植し、最適化した。ここでアダム・リヒターのアルバイトのパターンは決定される。これ以降、アダム・リヒターは、X11サーバを各種のグラフィックス・コプロセッサに移植し、最適化していくのだ。
まず、1988年の5月から1989年3月にかけて、アダム・リヒターはユニソフトと契約し、X11サーバをA/UXマッキントッシュII の特殊なグラフィックスカードのAMD95C60QPDMコプロセッサ用に移植し、最適化した。1989年3月から1989年10月には、ペリテック・コーポレーションと契約して、X11サーバをペリテックのVCKグラフィックスカード上の日立HD63484グラフィックス・コプロセッサ用に移植し、これの最適化を行った。さらに1989年10月から1991年3月、サンディ&アソシエイツと契約して、IBM PS/2の8514AとVGA用のX11サーバの最適化を手掛けた。また、Xツールキットとモチーフのバグをフィックスしている。1991年の3月から6月には、再びペリテック・コーポレーションと契約した。
1991年6月、アダム・リヒターはUCバークレーに復学し、翌年の1992年7月、UCバークレーの卒業とともにイグドラシル(Yggdrasil)コンピューティングを設立する。多様な経験を積んだアダム・リヒターは、プラグ&プレイLinuxを作り上げた。当初はLGXといっていたらしい。これは、Linux/GNU/X ベースUNIXの略語である。Linuxカーネルのバージョンは0.99.5であった。
イグドラシルの名前には、ほとほと閉口した。しばらく読めなかったのだ。読む必要はなかったのだが、読めないのには閉口せざるを得ない。Yggdrasilとあったら何と読めばいいのか、途方に暮れたのはわたしだけではないだろう。クレアラシルと同じように発音すればいいとイグドラシルのホームページに書いてある。
カリフォルニア州はイグドラシル・コーポレーションという名前での登記を拒んだ。何の会社か分からなかったからだ。そのため、イグドラシル・コンピューティング・インコーポレイテッドとして登記したという。本社はカリフォルニア州サンノゼに位置する。
イグドラシルとは、北欧神話つまりバイキングの神話に登場する世界樹のことである。イグドラシルの樹の根は下界に達し、枝は天を支えている。この様子は、フリーソフトの世界を支えるインフラストラクチャを提供するというイグドラシル・コンピューティング・インコーポレイテッドの使命を象徴している。これがイグドラシル・コンピューティング・インコーポレイテッドを設立したアダム・リヒターのイグドラシルに対する理解である。同社のホームページには、そのように書いてある。だが本当のイグドラシルは少々違うようだ。少し脱線になるが、北欧神話におけるイグドラシルの様子について紹介しておこう。
北欧神話によれば、その姿は見えず、その寿命は永遠であるという全能の父と、ギンナンガギャップという深き淵が初めにあったという。全能の父が祈ると、深い淵から強靭(きょうじん)なトネリコの樹であるイグドラシルが生えてきた。イグドラシルは、バイキングの神話の世界とリンクし、これを保護する樹である。北欧神話中の世界は3層構造でできていて、それぞれは3本の根によって貫かれていた。3本の根は、それぞれニブルハイム、ジョツンハイム、アスゴールドと呼ばれている。
第1層には2つの世界があり、北のニブルハイムと南のムスペルハイムがあった。第2層には4つの世界があり、巨人の国であるジョツンハイム、小人の国のナィダベリール、闇の妖精の国スバルタルフハイム、そして死すべき定めの人間の国であるミッドゴールドがあった。第3層には3つの世界があり、光の妖精の国アルフハイム、豊穣の神バニールの国バナハイム、エーサ神の国アスゴールドがあった。
イグドラシルの根本には3つの泉があった。ニドバッグという龍のいるベレゲルミール、宿命の泉ウルダール、智恵の泉ミミールである。イグドラシルの樹の項上には鷲が止まっていた。この鷲の目の間にはベッドフォルニールという鷹が止まっていた。また、イグドラシルにはラタトスクというリスが住んでいた。
神話中のイグドラシルの話はアダム・リヒターの理解とは異なるようだ。余談だが、古典的なロールプレイング・ゲームの世界を創造したことで有名なJ・R・R・トールキンの『ホビットの冒険』や『指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)』などは、北欧神話からヒントを得ていることが分かる。
本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。 |
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