自分戦略研究所 | 自分戦略研究室 | キャリア実現研究室 | スキル創造研究室 | コミュニティ活動支援室 | エンジニアライフ | ITトレメ | 転職サーチ | 派遣Plus |

IT業界の冒険者たち

第43回 世界を股にかけるメディア王

脇英世
2009/7/21

第42回1 2次のページ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

ルパート・マードック(Rupert Murdoch)――
ニューズ・コーポレーション会長兼CEO

 世界中の新聞や雑誌、テレビ局などのメディアを、1人で手中にしている男がいる。それがルパート・マードックだ。日本でもその名前がテレビや新聞をにぎわせたのでご存じの方も多いのではないだろうか。

 ルパート・マードックは、1931年3月11日、メルボルンのアボンハースト私立病院で誕生した。父親のキース・マードックはオーストラリア最大の新聞チェーンを経営していたという。マードックは高校時代に学校新聞の編集者としてジャーナリストの一歩を踏み出したといわれる(*1)。

*1)高校時代のルパート・マードックは競馬に熱中し、レーニンに熱中する手に負えない子どもであったらしい。左翼かぶれで競馬に熱中する点が独特である。

 マードックは1950年10月に英国オックスフォード大学のウースターカレッジに入学した。在学中に父親が死亡し、卒業後父親から受け継いだ新聞『アデレード・ニュース』の経営に携わる。受け継いだといってもほとんど何も残っておらず、かなり厳しい状況だったらしい。

 マードックの苦労のかいがあって、新聞の経営が成功して利益を上げるようになると、マードックは雑誌や新聞、ラジオ局やテレビ局を次々に買収した。1964年、マードックはオーストラリア初の全国紙『オーストラリアン』を発行する。それまでオーストラリアには全国紙がなかった。この辺りのセンスが、普通の人と違うところだろう。

 1967年4月、ルパート・マードックは『シドニー・デイリー・ミラー』紙の見習い記者アンナ・トルプと結婚する。彼女とは、1999年4月に離婚するまで31年間連れ添うことになる。

 1968年、マードックはオーストラリア国外での買収に乗り出し、英国はロンドンの週刊新聞『ニューズ・オブ・ザ・ワールド』紙を買収する。このときの買収はロバート・マクスウェルとの直接対決であったが、ルパート・マードックはウィリアム・カー一族をだまして味方につけ、買収成立後に支配権を獲得してウィリアム・カー一族を追放した。さらに、日刊新聞『ザ・サン』を買収して大衆紙に変えた。

 1972年、ルパート・マードックとその新聞は、オーストラリアの首相として、労働党の候補を支援する。しかし、当選したガフ・ウィットラムは、マードックの希望を聞かなかったらしい。そのため1975年には、ルパート・マードックは彼を支援せず、マルコム・フレーザーがオーストラリア首相になった。このときの貸しとして、米国に帰化した後のマードックは外国人がオーストラリアの放送局を持てるように法律の改正を要求し、マルコム・フレーザーはこれに従った。

 さらに1973年、マードックは米国進出を敢行し、最初はテキサス州の新聞を買収する。1976年にニューヨークの『ニューヨーク・ポスト』紙を買収する。これでニューヨーク・ポスト紙は大衆紙に変貌してしまった。マードックはこれに続いて米国の新聞や雑誌の買収を繰り返す。

 1979年、マードックはオーストラリアの2大放送局の1つ、テン・ネットワークを買収した。さらにオーストラリアにマードックの全事業を統括するニューズ・コーポレーションを創設する。むろん、マードックがニューズ・コーポレーションの創業以来の会長で最高経営責任者(CEO)である。ニューズ・コーポレーションの従業員は1996年現在、全世界で2万6000人に及ぶ。

 1981年、マードックはロンドンの高級新聞『ザ・タイムズ』を買収する。低俗といわれた大衆紙ザ・サンを持っていた新聞王マードックが高級紙を買収してしまったのだから、ザ・タイムズも大衆紙に堕落してしまうのかと騒がれたものである。しかしマードックはザ・タイムズを高級紙にとどめた。

 1982年、マードックは欧州全域のケーブルTVをサポートする衛星TV局、スカイ・チャンネルの経営に乗り出したが、苦しい経営が続いた。スカイ・チャンネルは、欧州全域という壮大な夢から英国に絞ったブリティッシュ・スカイ・ブロードキャスティング(BスカイBとも呼ばれる)に再編されるが、しばらく苦しい時代が続く。マードックはじっと耐えるタイプだ。

 1984年、マードックはワーナー・コミュニケーションズに投資する。マードックによる買収を恐れたワーナー・コミュニケーションズはマードックの買った株式を買い戻した。利ざやでもうけたマードックは映画会社20世紀フォックスの株式を50%取得し、経営権を握る。マードックは映画会社をも手中にしたのである。

 1985年、マードックは米国の独立系TV局のメトロポリタン・グループの買収を考える。TVの世界ではABC、NBC、CBSの3大ネットワークが独占的な支配を続けていたが、マードックは第4のネットワーク構築を考え始めたのだ。

 米国でTV会社を所有するには米国の市民権を持っていることが必要である。より正確にいえば、非米国民は米国のTV会社の株式を25%以上取得することができない。また同一都市での大手新聞とTV局の併営は禁止されていた。マードックは1985年、米国市民権を獲得しこの問題に決着をつけた。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

第42回1 2次のページ

» @IT自分戦略研究所 トップページへ

IT業界の冒険者たち バックナンバー

自分戦略研究所、フォーラム化のお知らせ

@IT自分戦略研究所は2014年2月、@ITのフォーラムになりました。

現在ご覧いただいている記事は、既掲載記事をアーカイブ化したものです。新着記事は、 新しくなったトップページよりご覧ください。

これからも、@IT自分戦略研究所をよろしくお願いいたします。