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IT業界の冒険者たち

第48回 地球上で最大の書店をつくった男

脇英世
2009/7/29

第47回1 2次のページ

本連載を初めて読む人へ:先行き不透明な時代をITエンジニアとして生き抜くためには、何が必要なのでしょうか。それを学ぶ1つの手段として、わたしたちはIT業界で活躍してきた人々の偉業を知ることが有効だと考えます。本連載では、IT業界を切り開いた117人の先駆者たちの姿を紹介します。普段は触れる機会の少ないIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組む一助としていただければ幸いです。(編集部)

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の冒険者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

ジェフ・ベゾス(Jeff Bezos)――
アマゾン・ドット・コムCEO

 ジェフ・べゾスは、正式にはジェフリー・ベゾスという。アマゾン・ドット・コムというインターネットを利用した書店の創立者にして、会長兼社長兼CEO(最高経営責任者)である。

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 1963年ニュー・メキシコのアルバカーキの銀行でジャッキー・ガイス・ヨルダンセンという女性が働いていた。ジャッキーは銀行にアルバイトに来たキューバ難民のミゲル・ベゾスという大学生に会った。ベゾスと出会ったころ、ジャッキーは妊娠中であり、1964年1月にジェフリー・プレストンという男の子を産んだ。父親はプレストンという人であったことが分かる。

 1968年、ジャッキーとミゲル・ベゾスは結婚し、ジェフリー・プレストンはミゲル・ベゾスの養子になり、ジェフリー・ベゾスと名前を変えた。短くジェフ・ベゾスという。

 ミゲル・ベゾスはアルバカーキ大学を卒業すると、エクソンで石油技術者として働き始めた。このためテキサス州ヒューストンに引っ越した。さらに転勤でフロリダ州ベンサコーラに引っ越した。

 少年時代、ジェフ・ベゾスは宇宙飛行士か物理学者になることを希望していた。その昔、祖父が原子力委員会に勤めており、その影響もあった。

 ジェフ・ベゾスはパルメット高校を卒業した。成績は優秀であったという。1982年ジェフ・ベゾスはプリンストン大学に入学した。当初、物理学を専攻したが、とてもかなわないような優秀な学生がいるのをみて、電気工学およびコンピュータ科学に志望変更した。

 1986年プリンストン大学卒業後、ジェフ・ベゾスは金融テレコミュニケーション企業のファイテルに入社した。ファイテルに見切りをつけた1988年、ジェフ・ベゾスは投資銀行のバンカーズ・トラスト・カンパニーに転職した。金融関係のソフトを顧客に売っていた。この時代に、後にCNETを立ち上げるハルゼイー・マイナーと会社をつくる相談をしたこともある。

 1990年にはD・E・ショー社に副社長として入社した。社長のデビット・ショーは技術畑出身で、一風変わった会社であった。ジェフ・ベゾスは社長に気に入られて1992年には最年少の上級副社長になった。ウォール・ストリートのためのヘッジ・ファンドを構築したという。

 1994年、インターネットの急激な躍進ぶりを目の当たりにしたジェフ・ベゾスは、インターネットにこそビジネス・チャンスがあると考えた。ジェフ・ベゾスは、eビジネスというほどではないが、インターネットで何か物を売るビジネスを始めようと考えた。当時インターネットで何か物を売ることは、過激な行為と見なされていた。それでもジェフ・ベゾスは、インターネットで扱えそうな商品を、20ほどリストアップした。リストのトップにあったのは本であり、音楽CDが次に続いた。

 ジェフ・ベゾスの理論によれば、本は常に150万冊が印刷にかかっており、音楽CDは常に20万タイトルが製造されていた。本の方が魅力的だった。それに本の末端流通は、音楽CDの場合と違って、絶対権力を持つ大手だらけではなかった。本の流通の最大手はバーンズ&ノーブルであって、年間25億ドルの売り上げがあり、従業員が2万8000人、全米のショッピング・モール439軒に大型店を持ち、全米に1011軒の本屋を持つ。このバーンズ&ノーブルが12%のシェアを持つだけである。ジェフ・ベゾスは、インターネットで本を売るというアイデアに取りつかれた。

 1994年夏、ジェフ・ベゾスと奥さんのマッケンジーは直ちにニューヨークを発ち、飛行機でテキサスを目指した。テキサスにいた彼の父親は車のない2人にシボレー・ブレーザーをくれてやった。

 2人は勇躍、西海岸のシアトルを目指した。奥さんのマッケンジーが車のハンドルを握り、ジェフ・ベゾスはかたわらでラップトップ・コンピュータをたたいて新会社の目論見書を作り、携帯電話でベンチャーキャピタルに電話をかけ資金の調達を図ったという。勇ましい奥さんである。だが、この話は多分にもれずうそだったらしい。

 シアトルを選んだ理由はいくつかあった。第1に、マイクロソフトがあるおかげでハイテク技術者が多く、人材に恵まれていたことがある。第2に、大手の配本業者イングラムのウェアハウス(倉庫)が、オレゴン州のローゼンベルグにあったからである。そして第3に、州税の仕組みが有利であったことが挙げられる。

 シアトル郊外に到着したジェフ・ベゾス夫妻は家を借りた。家具も到着していなかったというからすさまじい。ジェフ・ベゾスはクレジット・カードで資金を借り、ガレージにコンピュータをセットした。早速、4人の社員を雇ったという。

 当初ジェフ・ベゾスは、新会社の社名をカダブラ・ドット・コムとした。多分アブラ・カダブラから取ったものだろう。しかし、分かりにくい社名だといわれて「アマゾン・ドット・コム」(以下、アマゾン)と変えた。「アマゾン・ドット・コム」と名付けた理由は、アマゾン川が地球上最大の川だからである。世界第2の川はミシシッピ川であるが、アマゾン川はミシシッピ川より水量で10倍も巨大である。世界の淡水の20%は、アマゾン川の水なのだ。ジェフ・べゾスは、アマゾン川にあやかって地球上最大の書店をつくりたかったと説明している。ただし、いまでもアマゾン川には行ったことがないという。

 1994年、ジェフ・ベゾス率いるアマゾンは、従業員4人でスタートし、1995年7月、最初の1冊を売った。その後の膨張の仕方はすごい。1997年には従業員は125人になり、1998年には従業員は800人になった。1997年の売り上げは1億4780万ドルであり、対前年度比で838%の伸びである。しかし、赤字も2760万ドルと大きい。さらに黒字に転換しても利幅は少ないだろうといわれている。というのは、競争相手のバーンズ&ノーブルは、ハードカバーで30%引き、ペーパーバックで20%引きという猛烈な値引き戦争を仕掛けているからである。対抗するにはジェフ・ベゾスのアマゾンも、10%から30%の値引きをしなければならない。いくらアマゾンがインターネットによる無店舗販売で小売店の家賃や人件費の節約ができても、これはつらい。ジェフ・ベゾスはアマゾンの設立当初、出資者たちに5年間は収益が出ないと宣言しているが、地上最大の書店になってしまっては、利益が出ないと説明し続けるのは難しい。

 アマゾンのWebサイトでは、300万冊の本を表題、著者、主題、キーワードで検索できる。顧客は平均して発注後5日で本を受け取ることができる。少し時間がかかり過ぎるのではないかと思うかもしれない。その理由はこうである。本の発注伝票はサウスシアトルとデラウェア州のニューカッスルにある流通センターのウェアハウスに送られ、人の手で仕分けされ検索される。出荷処理も人の手によるものである。トヨタが発明した看板方式(ジャスト・イン・タイム)が倉庫の否定にあったとすれば、これはまた随分オールドファッションな方式であり、ジェフ・ベゾス自身オールモスト・イン・タイムといっている。

 アマゾンは手作り文化である。アマゾンの最初の従業員4人の机は、ドアと4×4(フォー・バイ・フォー)の木材を使って自分たちで手作りした。従業員が800人になったいまでも、机は外部から買わず、職人を雇って作らせている。机の基本設計は創立当時と同じで、机用の木材とブラケットの部品代が60ドル、職人の人件費が60ドル、計120ドルで机を作らせている。コンピュータの台として電話帳を積み重ねて使っている。じゅうたんは会社創業以来一度も洗濯されたことがない。この辺がなんとも猛烈である。

 アマゾンの社員は、長時間、猛烈に、スマートに働くことを要求される。三拍子全部そろわないといけないのである。

 アマゾンは、切り詰めるところは切り詰めるが、最良のプログラマと最良のコンピュータを使っていると主張している。創立間もない1994年の中ごろ、アマゾンはサンのサーバを購入して使用していた。その後500メガバイトのRAMを持つ、DECのアルファ・サーバ2000モデル5/300を2台購入した。これが最良のコンピュータだというのである。

 ところがコンパックによる買収後のいまでも、深い場所に残っているDECのホームページを見ると、DECのアルファ・サーバ2000モデル5/300は、アルファ21064/275MHzを搭載し、最大内部メモリは1Gバイトであるが、すでに生産中止のマシンとある。それに500メガバイトのRAMなどと胸を張るが、いまなら数十万円のパソコンだって、それくらいのメモリ容量なら積もうと思えば積める。

 圧巻は1998年6月30日付の米国SEC(証券取引委員会)の報告書である。これを一読すると、呆気にとられる。「実質的に、この会社のコンピュータと通信ハードウェアは、ワシントン州シアトルの1つの賃貸施設に集中している。この会社が持つシステムの運用は火事、洪水、停電、通信障害、侵入、地震などの事象による損害や中断に対して脆弱である。この会社は現在、冗長システムを保有しておらず、また業務の中断があった際の正式な災害回復計画を持っていない。もし事故が起きた場合の損失を補償する十分な保険を持っていない……」

 まだ延々と書いてあるのだが、要するにアマゾンにあるコンピュータは旧式のDEC製サーバ2台だけで、バックアップもなければ、回復プログラムもない。障害が起きたり壊れたらどうなるか、それについては何も考えられていないのである。クラッシュがあれば一巻の終わりである。何とも勇ましい。

 1997年3月、ジェフ・ベゾス一家はアマゾンの総発行株式の53%を所有していた。「一家は」というのは、多分奥さんのマッケンジーも株式を保有しているからだ。ともあれ1997年後半ジェフ・ベゾスは、アマゾンの総発行株式の40%、つまり2000万株を保有していた。これに時価の100ドルを掛けるとジェフ・ベゾスの資産は20億ドル程度であった。日本円に直すと数千億円である。

 それでもジェフ・ベゾスは奥さんのマッケンジーと、ホンダ・アコードを共用していた。自動車は1台しか持っていないのである。また、シアトルのダウンタウンにあるオフィスから10ブロックほど離れたベルタウンにあるアパートを月極めで借りていた。さすがに最近ワシントン湖近く、マイクロソフトの億万長者による大邸宅が並ぶあたりに、10億円以上を出して大邸宅を買ったそうだ。

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