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IT業界の開拓者たち

第4回 ビル・ゲイツとドッグファイトを演じた男

脇英世
2009/2/5

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 1990年9月17日、IBMとマイクロソフトは「IBM、マイクロソフトとの関係を確認、ライセンス関係を拡大」という共同声明を出した。IBMはOS/2 1.3とOS/2 2.0の開発に専念し、マイクロソフトはウィンドウズの開発とRISC版OS/2の開発に専念することになった。表題にもかかわらず、この声明の内容は両者の明確な分裂を意味していた。事実マイクロソフトは、即日、全OS/2開発部隊をウィンドウズ開発部隊に配置転換した。お互いにいろいろとりなし工作は続けたようだが、この日をもってマイクロソフトとIBMの協力関係は事実上、完全崩壊した。

 1991年6月、ビル・ゲイツの内部メモが外部に流出し、IBMとマイクロソフト間の確執が初めて公式に明るみに出た。1991年7月、IBMとアップルの提携が発表された。今度はIBMがマイクロソフトに宣戦布告した。

 IBMは、1991年10月21日午後3時、ネバダ州立大学に特設会場を設けてOS/2 2.0の発表を行った。マイクロソフトのスティーブ・パルマー副社長は、IBMの技術力を嘲笑し、「12月31日までにIBMがOS/2 2.0を出荷できたら、フロッピーディスクを食べてみせる」と各種の雑誌のインタビューで公言した。

 この発言はIBMを歯ぎしりさせたが、現実にはスティーブ・バルマーの予言どおり、IBMのOS/2 2.0は間に合わなかった。スティーブ・バルマーはフロッピーディスクを食べずに済んだ。結局、出荷予定は1992年3月31日に変更された。

 1992年の早い時期に、シアトルのキングドームでマイクロソフトの社員総会があった。スティーブ・バルマーは、ウィンドウズと書かれた赤いコルベットに乗って登場した。スティーブ・バルマーの後にOS/2とドアに書かれたエドセルという車が続いた。エドセルはフォードの失敗作である。OS/2を失敗作として、晒し者にしたのである。これに続いてハーレー・ダビッドソンのオートバイに乗った若者がさっそうと登場した。ヘルメットを脱ぐとビル・ゲイツだった。

 ジェームズ・キャナビーノはこれに黙っているような男ではない。早速赤いコルベットを買って、その窓(ウィンドウ)をたたき壊して報復した。両方ともやることが暗い。粋なところが全然ない。1992年3月31日、OS/2の発表会用に、キャナビーノは上映用のフィルムクリップを作った。キャナビーノが登場する前に、舞台の明かりが消えてフィルムが上映される。スキーヤーが丘を滑走して窓(ウィンドウ)をぶち破る。舞台の明かりが消えて、再び点灯すると、スキーウェアに身を包んだジェームズ・キャナビーノがステージに上がってくる。キャナビーノが手にしていたのが、OS/2 2.0の最終版である。本当は、この日OS/2 2.0は間に合っていなかった。

 1992年6月、IBMとマイクロソフトは今度こそ正式に別離を告げた。IBMはウィンドウズNTへの権利を放棄し、1993年9月までウィンドウズのコードをOS/2 1本当たり23ドルで使用することを許された。マイクロソフトはIBMの特許権に対して2500万ドルを支払った。

 1993年1月、IBMのエイカーズ会長が辞任し、3月まで大空位期間が続く。この時点でキャナビーノは、会長のポストを狙えるスタンスにあった。本人も意識したようだ。だが、キャナビーノは尊大であり、自意識過剰で選考委員会にあまり良い印象を与えなかった。3月にルー・ガースナーがIBM会長に選ばれた。キャナビーノに負けず個性の強いガースナー会長とはウマが合うはずがない。1995年3月、キャナビーノは事実上IBMを追い出された。公式にキャナビーノの辞職が報道されたのは、それからしばらくたった1995年夏過ぎになってからである。全盛期にはIBM会長より立派なオフィスを持ち権勢を誇ったキャナビーノだが、32年目にして追放の憂き目にあった(*1)。

*1)ジェームズ・キャナビーノは1995年、有名なロス・ペローの会社、ペロー・システムズに社長兼COOとして入社し、1997年7月同社を去った。ギルバート・アメリオ失脚後のアップルのCEO候補になったこともある。彼は1998年3月、サイバーセーフの会長兼CEOになった。現在もその職にとどまっている。

 キャナビーノといい、アップルのスティーブ・ジョブズといい、ボーランドのフィリップ・カーンといい、パソコン業界は強烈なキャラクターが去り、「そして誰もいなくなった」状況になりつつある。

本連載は、2002年 ソフトバンク パブリッシング(現ソフトバンク クリエイティブ)刊行の書籍『IT業界の開拓者たち』を、著者である脇英世氏の許可を得て転載しており、内容は当時のものです。

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